第五十二話 奈落の二人

「な、なんだこれ……!?」


「もしかして魔方陣? それもこんな巨大なものが……!?」


 俺とエマリィが絶句するのも無理はなかった。

 突如として輝き出した光の筋は、直径五百メートルはある穴の底全体を覆うようにして浮かび上がっていたのだから。


 そしてまるでその輝きに反応するかのように、穴の底に積もっていた先ほどの土砂崩れで出来た大量の土砂の山がもこもこと蠢きだした。

 そう。まるで生きているかのように、土の山は形を変えて体積を見る見るうちに増やしていく。

 あちこちで溢れ出した大量の土は、穴の底全体を飲み込むかのように巨大なうねりとなって、あっという間に俺たちの足元まで迫っていた。


「こ、これはやべえぞ……! エマリィは俺の背中へ!」


「う、うん――!」


 俺は妖精袋フェアリーパウチから背負い子を取り出して背負うと、エマリィをそこに座らせてカレトヴルッフを装備した。

 そして、すかさず近場の壁に向かって大ジャンプ。

 壁にカレトヴルッフを突き刺して両足を壁に固定すると、更に垂直ジャンプで上へ登っていく。

 それを何度も繰り返して壁を登っていくが、大量にあふれ出した土の山は、今や穴の底全体を覆い尽くしているばかりか、それでも飽き足らずにどんどん嵩を増して足元へと迫っていた。


「タ、タイガ見て――!?」


 エマリィの悲痛な叫びに、足元を見て思わず絶句した。

 あろうことか大量の土の山は嵩を増すだけでは物足りないらしく、まるで意思を持ったように時計回りに回り出していたのだ。

 大量の土砂が巨大な渦となって、俺たちを飲み込まんとぐんぐんと足元から迫り来る。


「く、くそがっ――!」


 俺はジャンプする間隔を短くして連続ジャンプを繰り返したが、土砂が嵩を増す速度のほうが遥かに上回っていた。

 一気に高さが同じくらいにまで追いつかれる。

 そして、左方向から土砂の津波が大きなうねりとなって迫ってくるのが見えた。


 ダメだ、間に合わない――

 土砂に飲み込まれると身構えた俺だったが、土砂の津波は俺たちの一メートル手前で辛うじて進路を変更して、そのまま流れていく。

 理由は明白。エマリィの魔法防壁だ。

 黄金色に輝く三メートル四方の魔法防壁が盾となって、土砂の直撃を防いでくれていたのだ。


「――エマリィ!」


「い、今のうちに早く! そんなに持ち堪えられそうにないよっ……!」


 エマリィが苦しそうに呻いた。その間も次々と魔法防壁は新しく張り替えられている。


「くそ!」


 とにかく今の俺にできる事は、ジャンプを繰り返して一刻も早くこの穴から抜け出すことだ。

 しかし――

 背中のエマリィが、一際苦しそうに呻き声を上げた。

 それとほぼ同時に、魔法防壁にぶち当たる土砂の音が、それまでとは違った音色を立て始めていた。

 明らかに硬質なものがぶち当たる音へと――


 ふと見ると、土砂の渦はいつの間にか全体的に鉄色へと変色しているではないか。

 土の土砂は今や砂鉄へと変化していて、エマリィの魔法防壁を一瞬にして食らい尽くしていた。

 それでもエマリィは新しい魔法防壁を展開する速度を増す事で、鉄色の凶暴な渦をなんとか防ぎきっていた。

 しかし杖の魔法石は、俺が確認出来ている範囲でも既に二回は交換しているはず。

 魔力の消費量が尋常ではない。

 地上まではまだ二千メートル以上はあるだろう。

 このままでは、エマリィの魔力も枯渇してしまうのは誰の目にも明らか……

 俺自身がつい諦めてしまいそうになった時に、脳裏をふと閃きが駆け抜けた。


「そもそもこの砂はどうやって動いてるんだ……!? 魔力は一体どうやって……!?」


 俺の脳みその一番奥で、何かが花火のように弾け飛んだ。


「エマリィもう少し堪えてくれ! 一か八か試してみたいことがある……!」


 俺は背負い子を外して壁に突き刺さっているカレトブルッフの柄に引っ掛けると、フラッシュジャンパーからアルティメットストライカーへと換装。

 そしてそのままストライクバーストドリフターを装備して渦の中心へ照準を絞った。


「頼むっ…ストライクバーストドリフター!!!」


 音声コマンドに反応して発射された全長三メートルのドリルミサイル。

 先端のドリルが高速回転して高周波の唸り声を上げる。

 そして一直線に鉄色の渦の中心へ到達すると、土砂のうねりを切り裂きながら最深部に向かって突き進んいく。

 

 その刹那――

 渦の内部で爆音と衝撃が沸き起こった。

 渦の中心部が噴火でもしたみたいに、大量の土砂を噴出して高く舞い上げたかと思うと、ようやく鉄色の渦は電池の切れた時計のようにぴたりと活動を止めた。


「な、なんとか大丈夫みたいだな……?」


 俺はエマリィを背負ってそろりと地面に降りてみる。

 地面の魔方陣を破壊することによって渦は活動を停止していたが、大量に生み出された鉄色の土砂はそのままそこへ残っていた。

 丁度一番底から八百メートルから千メートルくらい地面を嵩上げしたような格好だ。

 こちらとしては渦さえ起きなければ、地上に近い分だけありがたい。


「そ、そうか、あの巨大魔方陣を破壊してやればよかったんだ……。ああ、ボクってやっぱりダメだな。そういう所にすぐ気がつけないなんて。だからこんなに闇雲に魔力を消費しちゃうんだ……」


 エマリィは背負い子から飛び降りると、鉄色の地面の感触を確かめながらそう力無く呟いた。

 心なしか横顔が元気が無さそうに見えるのは、疲労のせいだけだろうか。

 その証拠に、自分を責めるような顔で唇を噛み締めている。


「い、いや。俺もなんとなく思い付いただけだからさ。あの場合は誰だってパニックになっても仕方ないよ。むしろエマリィの魔法防壁のお陰で、時間が稼げて助かったんだから、そんな気にすることはないと思うよ……?」


「ありがと……。タイガはいつも優しいんだね……」


 と、エマリィは言葉とは裏腹にニコリともせずに、淡々と魔法石の交換作業を進める。

 そして魔法石を取り付け終えると、俯いたままぼそりと呟いた。


「これでボクの魔法石のストックは、残り一個になっちゃった。魔法が使えないボクなんて、ただのお荷物にだから……。もしもの時はボクを残して、タイガ一人で上に行ってほしい。ボクはもう……」


 いつも健気で明るく前向きなイメージだったエマリィが初めて見せた、そんな弱気な態度に戸惑うばかりだ。


「エ、エマリィ……?」


 こ、こういう時はどんな顔すればいいの?

 笑えばいいの?

 いや、なんかそれは違う気がする!

 思い返せばエマリィさんのことを、チョロインだと決め付けていたあの頃が懐かしい。

 一体俺はエマリィのことを、どれだけ理解しているのだろうか。理解してこれたのだろうか。

 エマリィがこんな顔をした時に、どんな言葉をかけていいのかわからない。

 それが答えだ。

 俺はエマリィと出会えたことが奇跡だと思っていて、エマリィのことを大好きな筈なのに、エマリィが目の前でこんな切ない顔を浮かべていても、かける言葉が見当たらない。思い当たらない。


 ほんと俺はダメな奴だと自分でも思う。情けない男なんだと思う。

 棚ボタ的に異世界転移できて空想兵器群ウルトラガジェットを駆使できても、俺の正体は単なるゲームが好きな、どこにでも居るような十七歳のガキに過ぎない。

 人生も、恋愛もこれから。今までの人生で、誰かに何かを語って聞かせるような経験もなし。

 飽食の日本で、親の庇護の元ぬくぬくと暮らしていた、ただの高校二年生。

 それが俺の正体であり本質だ。


 い、いや違う! 落ち着け! まずは落ち着こう!

 ここで自己嫌悪と自己卑下と自己反省の渦に陥るのは違う。違うと思うぞ。

 例え今の俺の境遇が棚ボタ的であったとしてもだ!

 これでも俺は、この異世界へやって来てから真剣に生きてきた。生きてきたつもりだ。

 そしてエマリィとも真剣に向き合ってきた。

 ただ日々の多忙に流されて、エマリィが発していた兆候サインに気がつくのが遅れていただけで、俺は確かにエマリィが何かに悩んでいたらしいことには気がついていた。


 ハティに言われた言葉がきっかけだったのはご愛嬌で許してもらうとしても、それでも俺は俺の出来る限りのなかで、エマリィとちゃんと向き合おうと努力してきた。

 だから俺自身が、その思いに対して自信を失ってはダメだ。

 結局時間が足りなくて、きちんと向き合って、受け止めて力になってあげられなくて、今この瞬間を招いてしまっているけれども、俺が俺の気持ちに自信を持てなくてどうする。

 俺がエマリィの力になりたいと言う思いに、自信が持てなくてどうする!

 だから。

 だからこそ……

 こんな時に、俺はなんと言葉をかければいい……?


「と、とにかく――」


 少し休憩でもしよう――と、苦し紛れの言葉が喉から出掛かった瞬間。

 周囲の壁に直径一メートルほどの、光り輝く魔方陣が無数に浮かび上がった。

 それも周囲三百六十度の壁全てにだ。

 しかも出口に向かう上の方の壁にもびっしりと浮かび上がっている。全て合わせたら軽く数千はありそうな数だ。


「エ、エマリィ! まだなんか仕掛けてくるぞ……!」


「こ、こんなに沢山の魔方陣が……! ボクじゃもう……!」


「とにかく今弱気になるのは禁止! 俺が絶対にエマリィを地上へ連れて行くから!」


 俺は呆然とした顔で突っ立っているエマリィを無理やり背負った。

 その直後――

 驚くべきことに、全ての魔方陣から一斉に六十センチ四方ほどの立方体が生え出したかと思うと、まるでピストンのように伸縮運動を始めたのだ。


「はあああっ!? なんじゃこりゃ!?」


 四方八方から伸び縮みする鉄色の立方体。

 どうやら魔方陣から垂直に伸び出すようだが、伸びる距離と縮むタイミングなど、どれもがランダムで動きが把握しづらい。

 しかし、逆にこの立方体を足場にして少しずつ上がっていけば、この巨大落とし穴から脱出できるかもしれない。

 早速俺はエマリィを背負ったまま、一番近くの立方体に飛び乗って地上を目指すことにした。

 この洞窟に浚われたピノやちびっ子たちの姿はない。

 そしてこの無数の罠。

 敵の狙いは、明らかに俺をこの洞窟に引き止めておくことだ。


「くそ、まったくやることが一々姑息で面倒くさいんだよ……っ!」


 まるでアクションゲームの中に放り出された気分だったが、立方体が伸縮する時の速度は今のところどれもが五十キロくらいしかない。

 だから、俺とエマリィの二人で分担して周囲を監視すれば、まず直撃を食らうようなことはなかった。


「――タイガ! 左斜め後ろ! 少し遅れて真後ろからも!」


「はいよ!」


 アクションゲームは得意じゃないし、運動神経もそれほど良いほうではなかったが、ABCアーマードバトルコンバットスーツが俺の体力と運動神経を数十倍は引き上げてくれている。

 しかも立方体はアサルトライフルの最高ランクに属するHAR-88ならば難なく粉砕することが出来たので、俺は二丁持ちで迫り来る立方体を次々と撃破していく。

 さらに立方体を一度破壊してやれば、壁の魔方陣が新しい立方体を吐き出すまでにタイムラグがあることがわかった。

 だからその隙をついて、次々と壁の魔方陣に特殊ナノマテリアル弾を叩き込んで魔方陣を破壊してやった。


 そうやって洞窟内に重層的かつ格子状に展開する立方体郡だったが、魔方陣を破壊して安全地帯セーフティーゾーン少しずつを確保していく。

 そして敢えて破壊せず足場として残した立方体に、タイミングを見計らって飛び移っては、少しずつ上へ上へと移動していくことが出来た。

 まさに気分はマ×オかドンキー×ングと言ったところだ。

 しかし立方体ジャングルジムを、順調に攻略できていたのも束の間。

 足元の立方体の動きが突然早まった為に、俺の足がもつれて思わずバランスを崩してしまう。


「うおっ――!? 急に動きが早まった!?」


「――危ない!」


 そんなエマリィの叫び声とともに、左側で巻き起こった衝撃音。

 左側から伸びてきた立方体にまったく気付けていなかったが、エマリィが魔法防壁で防いでくれたのだ。

 しかし感謝の言葉を述べる間もなく、間断なく四方八方から伸びたり戻ったりする立方体群を避けるだけで精一杯だ。

 突如として全ての立方体で、伸縮する速度が二倍近くに跳ね上がったのだ。

 しかも立方体の四面全てに、鉄の茨が一定間隔で飛び出すという、泣きたくなるようなオプション付きで――!


「嘘だろ、勘弁してくれよっ……!」


 その鉄の茨のせいで、これまでよりも大きく回避行動を取らなければならない。

 いくらABCアーマードバトルコンバットスーツのおかげで、常人以上の身体能力を発揮できるとは言え、動体視力が限界を迎えていて、さすがにこれはきつい。

 それでもエマリィが魔法防壁を幾つも展開して、俺の死角の立方体を防いでくれているので何とかぎりぎりのところで持ち堪えられている。

 しかし、集中力も限界を超えて、徐々に俺自身の反応が遅れつつあった。


「く、くそ……っ!」


 しかも立方体群が更にスピードを上げていくではないか。

 そしてエマリィの悲痛な叫びが、俺の名を呼んだと思った瞬間――

 魔法防壁が破砕される音が、無常にも鳴り響いた。

 直後、全身に衝撃が走った。

 俺とエマリィの体は、奈落の暗闇へと吹き飛ばされていた……

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