5:73「エルナ」
* * * * * * * * * *
「……あれ」
目が覚めると、そこは真っ白な空間だった。
体は横になっているが、背中に床や地面と言ったようなものは感じられず、ただふわふわと、何もない空間に浮いている状態だった。
グレィの中にまだ取り残されてしまっているのかとも思ったが、それとはちょっと違う。
なんとなく、直感的にだけど……ここがどこか分かる気がした。
「俺……生きてるのかな、それとも」
「それは自分がよくわかってるんじゃない?」
「!」
聞きなれた声が頭の上の方から聞こえてきた。
横になっていた体を、声の主の前に立たせようとして動かす。
そこに立っていたのは、俺の視点からしたら絶対にいるはずのない少女だった。
「お、俺……?」
「うん、そうだよ」
少女は肯定し、頷いた。
俺――女の俺。エルナ・レディレークだ。
そしてこうやって向かい会ってみて、俺自身の視点がいつもより高いことに気が付く。
まさかと思って体を触ってみるとそのまさか、俺は恵月の体になっていた。
素っ裸だったことに少し驚いたが、首から下は輪郭だけがあり、見えちゃイケナイトコロが見える事も無い。
「流石は頭の中。ちゃっかり修正済みとは恐れいる」
「ちゃんと息子とお別れできなかったの、若干気にしてたもんね」
「それブーメランだろ」
「それは言わないお約束」
そう、ここは俺自身の頭の中。
エルナと恵月、二つの俺が唯一存在できる空間。
「時が来た……ってことなのかな」
今ここで、こうしてエルナと向かい会っている理由は分かっている。
俺はグレィの中に入り、そして救う事に成功した。
恵月としての最後の仕事は、何とか終えることができたのだ。
それはつまり俺から私への――〝恵月〟から〝エルナ〟へのバトンタッチが、ここで完全に行われるという事を意味している。
つまるところ、ここは別れのあいさつの場だ。
「……寂しい?」
「少し。でも、やり切ったって気持ちの方が圧倒的に上だよ」
エルナが俺の顔を覗き込むように問い、俺は気持ち微笑みながら答える。
間違いなく、圧倒的に達成感の方が大きい。
寂しいなんて気持ちは、比率的には一割もないくらいだろう。
それくらい、今の俺はこれから見られる光景がが楽しみでならない。
ようやく掴み取った幸せへの第一歩なんだ。喜ばないでどうするか。
「それに、俺は消えるわけじゃない。色々あったけど、恵月としての全部がエルナに繋がってる。俺の心は、ずっとエルナの中に残るから」
恵月の役目は終わり、エルナに引き継がれる。
でも、その実は何も変わらない。
変わりようがないんだ。
これからは身だけでなく心も、本当に女として生きていく事になる。
でもその根底には確かに今までの……恵月だったころから歩んできた足跡があって、その全部が合わさった先にエルナがいる。
だから不思議な感覚だった。
俺はエルナとしての記憶も感情も有しているし、それは目の前にいるエルナも同じことだ。
姿形だけ違う、それ以外は完全に同じ自分同士が向かい合って会話している。
強いて違うことと言えば、話し方が体によって左右されていることだろうか。
こっちの体だとなぜか自然体で男言葉が出てくるというのは、なかなかに面白い。思えばいつの間にか、話し方もかなり女っぽくなってた気がするし。
あとはそうだな……俺の中の時は『エルナとして生きていくことを選んだ時点』で止まっていて、その先にいるのが、今目の前にいるエルナだということ。
全く同じ自分だけれど、今までとは違う自分。
苦労苦難を乗り越えて、笑顔で未来を迎えられる自分。
なんにせよ、俺は安心してこれからの自分にバトンを渡すだけだ。
「特等席でずっと見てるから、幸せにならなきゃ許さないぞ?」
「あ、改めて言われると怖いねそれ……」
「そのくらいの覚悟を決めて選んだ道だろうに」
「まあね」
互いにクスりと頬が緩んだ。
同時に、この空間ごと俺たちの体がキラキラと光を帯び始めた。
下から上へと流れるように、真っ白な空間を聖なる光が包み込もうとしている。
それはこの空間の最期――二人が一人に戻る時が近づいていることを意味していた。
「そろそろ時間か」
「うん」
いよいよだとなると、さすがにちょっとばかし感傷的な気持ちになってくる。
俺はそんな気を紛らわせるように、エルナの前に手を差し伸べた。
今まで見えていた輪郭もぼんやりとしていてよくわからなくなってきているが、これは俺なりに『バトン』を渡す合図だった。
エルナは一秒だけ目を閉じて、微笑みを浮かべながら俺の手を取る。
バトンとは、エルナと恵月の間で立てた誓いの確認だ。
笑って未来を迎えることと、一番近いところでその未来を見届けること。
恵月がエルナになるための、一番最初の約束事。
「別れの言葉はいらないよな」
「うん。あの時決めたことは、絶対に破らないよ。だから……安心して、後は任せて」
「ああ……任せた」
世界を覆う光が強さを増していき、次第に視界が白く染まっていく。
体の感覚も段々と薄くなり、一時的に二つに分かれていた意識が交差して、もう一度複雑に絡み合う。
残されていた男としての自意識が、一つになった少女としての人格と合流し、手を取り合って上へ上へと昇っていく。
天寿を全うした魂が、天国へと導かれていくように。
止まっていた時が動き出し、明るい未来へと続いていく。
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次回からエルナ視点での地の文の一人称が「私」になります。
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