5:68「白と黒の波状世界」
「っ……ここは」
目を開くと、想像とは全く違った空間が飛び込んできた。
何もない空間であることに変わりはないのだが、以前とは違い空はドス黒く、しかし地面は影も映らないほど真っ白に染まっている。
踏みしめている地面に凹凸は感じられないが、はるか先に見える地平線は
例えるなら変動が激しい線グラフだろうか。線と言っても色の境界線だが。
変わっていたことはそれだけじゃなった。
視界にチラついた髪の毛を何気なくかき上げてみると、俺自身の体も服もモノクロになっていることに気が付いた。
一瞬目がおかしくなったのかと思ったが、きっとそういった要因じゃない。
ここはグレィの精神世界。
光も色も失われつつあり、世界を暗闇が侵食しているというのは、今のグレィが置かれている状況を示しているのかもしれない。
そういえば、賢者の試練でグレィと会ったのは、俺自身も深い闇にのまれそうになっていた時だ。
あの時出会えたのが、もし似たような状況に陥っていたたことに起因しているのだとしたら。
「グレィ……急がないと」
「その必要はないよ」
「! グレィ!?」
どこからか、グレィのものとしか思えない声が聞こえてきた。
前なのか後ろなのか、はたまた横か、上か下か。一体どこから話しかけてきているのかと、俺は首を迷わせる。
何度かきょろきょろとしてみると、いつのまにか正面に何かが姿を現していた。
真っ黒な玉座に座る、愛しい人の姿があった。
「グレィ!」
すぐさま駆け寄って行き、目線を合わせるために片膝立ちになる。グレィの体には目立った外傷はないものの、目には色濃く隈が出ており、やつれている表情からは並々ならぬ精神ダメージを感じさせられた。
「……お嬢。来てくれた……ん、だね」
「うん! 来た! 約束通り助けに来たよ! だから――」
「でも……ダメだ……逃げろ」
「え?」
逃げろと、グレィの口からそう告げられた直後。
彼の意思とは反するように、真っ黒な玉座から、同じく真っ黒なムチのようなものが俺の左手を掴みにかかって来た。
「!! 手がッ」
咄嗟に引きはがそうとするも、複雑に絡んでくるそれは手首を締め上げ、更には別の場所から左足にまで絡みついてきて、左半身が完全に封じられてしまった。
「実に素直なもんだね。その素直な愛が君を殺すのさ、お嬢」
「――――!?」
グレィの声がして、俺は今一度目の前に座る彼を見た。
しかし、今の声はやつれている彼から出たとは思えないほどハッキリとしていて、すぐに考えを改める。
この声はそうだ、さっき……ここに来て一番最初に聞いた声と雰囲気が似ている。
直後、背後に威圧的な視線を感じて振り返ると、そこにはタキシードではなく、以前の黒コートを纏っている彼が立っていた。
咄嗟に玉座に目を戻してみると、タキシード姿のグレィは依然としてぐったりと腰掛けている。
「グレィが、もう一人……!?」
「正確には……暴走した、我の人格の分身だ」
「分身……?」
「おいおい人聞きの悪いことを言うなぁ。貴様の方こそ、我の不純物の塊だろう? 愛だの恩だのにうつつを抜かして、里を出て行ったのが十年前。いい加減目を覚ますべきなんだ。我は王の器なのだから」
黒コートがそう言い、俺たちの方へと足を進めてくる。
暴走した人格ということは、こっちが今グレィの体本体を操っていると言う事なのだろうか。
……いや、本当にそうなのだとしたら、自分の体を痛めつけるような真似はしないだろう。
言動からして、黒コートの方は今のグレィを忌み嫌っているように聞こえる。グリーゲルさんの後を継いで、竜族の頂点に立つハズだった彼といったところだろうか。
この空間自体が示しているように、今は二つの人格が体の所有権を巡って争っているような状況なのだろう。
どちらともつかない不安定な状態だから。暴走しながらも、でそれに抵抗しようと必死なんだ。
もっとも、圧倒的に黒コートが有利なようだが。
黒コートは俺の目の前で立ち止まると、俺の右手を掴み上げ、もう片手を俺の顎へ持っていく。
「な、何を……」
「この髪色は、結界に近づくためのカモフラージュかい? 小賢しいマネを……ああ、腹立つな。その媚びた顔」
「いたっ!」
握られた手首がキリキリと締められ、黒コートが怒りをあらわにする。
その彼に呼応してか、左手足の締め付けも強くなっているような気がした。
「君が悪いんだよ。君がレーラを救ってしまったせいで、我はまた道を踏み外した」
「お嬢……ダメだ、聞いては……!」
「汚物は黙っててくれないか」
「!!」
「グレィ!」
玉座に腰かけるグレィの口元に、俺の手足を縛っているものと同じ黒いムチが覆いかぶさる。
同時に四肢も玉座に固定され、グレィは完全に張り付け状態にされてしまった。
「君が我を呪わなければ、我はまた王の道を歩むことができたんだ。なあ?」
「! ……そうだ、呪い」
「効かないよ。そんなもの、全部それに捨てた」
「なっ!?」
それと言って、黒コートはタキシードのグレィを指さした。
「何を……いや、そういうことか……」
捨てたと聞いて、ひとつ思い当たる節があった。
かつてハルワド海岸に赴いた時、グレィの幼馴染であるリヴィアが言っていたことと、帰った後でグレィとした会話のことだ。
【王の声】は魔力によって体と人格を縛る呪い。
肉体を共有していても、タキシードの方が本来の――
「そういうことさ。我に【王の声】は効かない。
「…………」
ああ、読めてきた。
俺の呪いは体と心を縛る。そして黒コートはこの心の部分が自由なんだ。
でもこのまま体の所有権を得たところで、体が呪われているのは変わらない。
つまり、黒コートが俺に言いたいことはひとつしかない。
「わかるだろう? 解呪してくれよ。あとはこれだけが邪魔なんだよ。中途半端に呪われた体なんて、何があるかわかったもんじゃない」
「んっ……んーん゛ん……!」
口を封じられているグレィが、力なく首を振りながら俺を見る。
いつ解呪できるようになったことを知ったのかは知らないが、多分分かっていて黒コートは言っているのだろう。
元より全部終わったら呪いは解くつもりだったんだ。だけど、今は……。
「できるようになったんだろう? そしたら解放してあげるからさ」
「今は……まだ、ダメ」
この呪いだけが邪魔だというのなら、なおさら今解くわけにはいかない。
今解いてしまったら、きっと俺の知るグレィは居なくなってしまう。
白が黒に染まり、レーラ姫を尊敬していた、俺を愛してくれたグレィは、きっと殺されてしまう。
「強情だな……我にも時間が無いと言うのに」
「……ぇ?」
「分かってるだろう? 外では集団リンチ状態さ」
「!!!」
そうだ、グレィの体はもうズタボロで、本当は動くのもやっとの状態なんだ。
俺が食べられてしまったことで、きっと皆はグレィを……。
早くしないと、何もかも手遅れになってしまう……!
「っ……でも」
これを許してしまえば、それはそれで手遅れになってしまう。
呪いを解かなければ、外でグレィが殺されてしまうかもしれない。
でも呪いを解いたら、救いたいグレィが殺されてしまうかもしれない。
どうしたらいい……!
俺は、一体どうしたら……!!
「……もうひと押し足りないか」
黒コートが小さくそうつぶやくと、なぜか手首を締め付ける力を緩めた。
どうしたらいいのかわからず、その上に意味不明な行動をされて戸惑いかけた、その刹那――。
「ふえっ――んっ!?」
「ん゛っ!? ん゛ー! ん゛っ ン゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛!!!」
頭が真っ白になった。
黒コートの唇が、俺の唇に重なっていた。
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