5:57「変化世界」
「へっくちっ!」
「これエルナよ、口を押さえんか。唾が飛ぶじゃろう」
「ずびびび……だってぇ」
寒い。ものすんごい寒い。いやもう寒いどころじゃない。凍え死にそう。
自身の両腕を抱きかかえ、鼻をすすり、そしてガクガク震える声でエィネに反論をする。こんな中じゃ、口に手を持っていくこともままならないと。
それもそのはずだ。俺たちが今居る異空間は、吹雪が吹き荒れる極寒の地なのだから。
今の装備は肩と胸元がはだけており、下半身はコート状でその中は膝上丈のミニスカートだ。靴下がニーソックスの分いくらかマシと言えばマシなのだが、吹雪の前には無力である。
「な、なんでファルとエィネは大丈夫なんだよぉ」
「わしは氷の特性持ちじゃからの」
「僕は寒いですよ。ですが北国のひどい時と比べれば、まだいくらか余裕はありますね」
これで余裕があるだと……北国には絶対行かない。今決めた。
「うぐぅ。エィネずりゅい……ずびゅびゅるっ」
「そう言われてものう。確かに氷は特異ではあるが」
「とくい……?」
「氷の属性特性は、水属性の変異特性と言われています。とても希少なので、ボクも実際にお会いするのは初めてですよ。流石は賢者の資質をお持ちの方ですね」
「じゃろう!? エルナももっと褒めてもよいのじゃぞ!」
「……ぜったいやだ」
流石と言われてえらく嬉しそうにするエィネ。
彼女は七百歳を越えているとは思えない幼い容姿もさることながら、潜在能力を示す髪の長さも素の状態では短い。きっと、今のように素直に褒められるという経験が少ないのだろう。
だがそれがなんだ。俺の知った事ではない。
このロリっ子には散々イジられているのだ。誰が褒めてなどやるものか。
「それよりエィネ、今どの辺……じゅぶぶぶぶっ」
「まだ先じゃな。今のところ標的が動く気配も感じられん」
「あ、あまり長引くと、本当にエルナさんが凍ってしまいそうですね……」
俺たちは今エィネを先頭に、俺、ファルの順に並んで歩いている。
こうして普通に会話ができるのは、エィネが周囲の気配を探りながら先導しているからなのだ。
コロセウムの時はかなり強引な方法で空間全体を把握したが、今回はそういった斥候役はエィネに任せている。
「しっかしいい加減鼻の音がうるさいのう」
「ずびっ!? しょ しょれはどういう事かなエィネさん……?」
嫌味か!?
こんな時に嫌味なのか!?
「どうもこうも、おんし炎属性持っとったじゃろう」
「そのくらいわかってるよぉ……でもこの吹雪の中じゃ、火の玉なんて出してもすぐかき消されちゃうし」
「そこは頭を使うんじゃよ。炎の魔法は、何も物理的な炎を出すだけではないぞい。炎属性に変換した魔力を、薄い膜のようにして体の表面に定着させるんじゃ。ちと魔力コントロールにコツがいるじゃろうがの、おんしならできよう」
「ぬぅ」
言う通りにするのはなんだかシャクな気がするが、この寒さでは歩くのもやっとだし、戦闘なんてとてもできそうにない。
俺は白いため息を吐き出すと、助言通りに魔力を練り出すことにした。
体に薄い膜を、か。
肌にピッタリ張り付けるとなんとなく窮屈そうだし、ちょっと浮かせた方がいいのかな。でもそれだと服がちょっときつくなったり浮いちゃったりするかも?
ちょっと形とか複雑になりそうだけど、服の上から重ねるイメージにしてみよう。
上着……というよりは、極薄の布団をかぶってるような感じかな?
「…………お? おぉぉ!?」
「よくなったかの」
「めっちゃあったかい!」
「それは何よりじゃ。これで唾と騒音を気にせんで済むわい」
「あ~ぁ、余計なこと言わなければお礼言おうと思ってたのにー」
「ヌッ!」
前を歩く小さな背中が、大げさなほど分かりやすい反応を見せていた。
後ろからでも、エィネの悔しそうな顔が目に浮かぶ。
さっきのことがあったから、褒められることとか、お礼なんかには平常時より敏感になってたことだろうし。
いつかいつかと思っていた仕返しの時がついにやって来たのだ。
思う存分悔しがるがいい!
「にしししし♪」
「おのれ小僧めがぁ、調子にのるでないわ!」
「もう小僧じゃないもーん」
「なにゅおおぉお!」
女として生きていく道を選んだ今、もう俺は小僧ではない。強いて言うなら小娘である。母さんと被るけど。
動揺して墓穴を掘ったな阿呆め!
「ははははは。エルナさんの元気が出たようで何よりです。でも一応適地ですので、警戒は怠らないようにしましょう」
「うぐっ……ごめんなさい」
「わしは言われずともわかっておるがな。異常はないから安心せい」
これ見よがしに胸を張るエィネ。
なんでかこう、やっぱり変なところが子供っぽいんだよなぁ……このロリっ子。
でもまあ、これ以上はやめておこう。
ないとは思うけど、機嫌を損ねて雑な仕事をしてもらっては命に関わるし。
それはそうとして魔力を張り続けながら戦闘もしなきゃいけないだろうから、今の状態に慣れておかなければ。マルチタスクの練習として、俺も軽く周囲に気を配りながら進むこととしよう。
――グラ。
「っ! 一旦止まるんじゃ」
「どうかしたんですか?」
エィネが手を後ろへ伸ばし、静止するように示してくる。
確かに、遠くで何かが揺れるような感覚がした。
ファルは気が付いていないようだが、間違いない。もう少しこの空間全体に気を巡らせてみると、精霊たちがざわついているのが伝わってくる。
「な、なんじゃこれは……どうなっておる」
「エィネ? 何があったの? 確かに変な感じはしたけど」
「わからん……じゃが、これは……〝繋がった〟?」
* * * * * * * * * *
アーちゃんたちが入った渦の下。
みんなが休憩を取っている中、わたしはただじっと、その見ているだけでも吸い込まれてしまいそうな黒い物体を見上げていたの。
「…………」
「ロディ。もうここ着いてからだいぶたつが、首痛くならねえか?」
「う~ん、まだ平気ねぇ」
「奥様、やはりお二人が心配なのですね」
「気にしすぎても、心がすり減るだけ……そう言いたいのね」
「い、いえ! そんな」
「いいのよミー君。わかってるから」
分かってはいるつもり。
でもこうでもしていないと、今度はエルちゃんたちのことが気になって、居てもたってもいられなくなってしまいそうで。
本当は今すぐにでも駆けつけてあげたい。
でも勝手な行動をとれば、みんなの足を引っ張ってしまう。
でもでもやっぱり、じっとしてるなんて許せない。
それでもわたしは、今ここを離れるわけにはいかない。
行きたい気持ちと行けない気持ちが合わさって、どうしても不安が募ってしまう。
「わたし、やっぱりダメね。昔はここまでじゃなかったのだけれど……」
「あの誘拐事件、か」
「きっかけは……そうね」
あの時、わたしはエルちゃんを守れなかった。
手の届く場所にいたはずなのに、体が言う事を聞いてくれなくて、ただ見ているだけしかできなかった。
だから何もできないのが嫌で、何かしなきゃと思ってるのかもしれない。
過保護だってわかっていても、それでも――。
「…………え?」
「ん、ロディ?」
「どうかなさいましたか?」
「上見て!」
頭上、さっき見つめていたその場所を指さして、きょー君たちの目を誘導する。
「おや? 渦が」
「消えてる! ってことは――」
そう、木の上にあった渦が姿を消したの。
わたしたちの時と同じなら、きっとアーちゃんとののちゃんが出てくるはず。
近くで見張りに就いていた兵士さんたちも交えて、二人が出てきていないかをくまなく探す。
でも……。
「いねえぞ!? 一体どうなってやがる!」
「気配もありません……この近辺にはいらっしゃらないと思われます」
「で、でも! 渦は消えたのよ!? 見間違いじゃないハズよね?」
確かに、間違いなく消えたはず。
もう一度上を確認してみても、やっぱりあの黒い渦の姿は見当たらない。
ミー君が嘘をついているとも思えないし、でも、それなら……。
「何? 何が、どうなってるって言うの……?」
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