5:37「内なる自分」

「くっ――」


 小刀を掠めた部分に、数センチ余りの赤い線が浮き上がった。

 チリチリと、嫌な痛みが脳を突いてくる。

 どうやらこの場所では痛覚も機能するらしい。


 だがそんなことに気を取られている暇はない。小刀を避けるために体を捻らせたついでに、がら空きの脇へめがけて杖を突き立て、【猛火弾フレア・バレット】でもってゼロ距離射撃を試みた。

 一発 二発 三発――


「しゃらくせぇ!」

「!!」


 四発目を撃とうとしたところで、ガレイルが方向転換をしながら左拳のフックを仕掛けてきた。

 間一髪のところで海老反りになり回避したものの、この様子ではやはり俺の魔法は効いていない。

 続けざまに右手の小刀で突いてくるのを避け、また左拳を避け、それを何度か繰り返したところでバックステップを踏み、少し考える時間を稼ぐことにした。

 ――が


「逃げてんじゃねえクソアマァ!」

「おわっ!?」


 距離を置いた途端、ガレイルは右手の小刀を俺に投げつけてきた。

 力任せに放たれたそれは、プロ野球選手の如く剛速球。

 咄嗟に【フレイムシールド】を張ろうと試みるが、ワンテンポ遅く発動したそれは小刀を受け止められず、先ほど掠めた傷の下に、もうひとつ新たな赤線が刻まれた。

 こちらは先よりも少しばかり深く刃が入ってしまったのか、だらりと流れ出る血がすぐに頬を伝い、ぽたぽたと真っ赤な雫が地面へ向けて落ちていく。


 今のは危なかった。

 一歩間違えば眼球をくりぬかれていたかもしれないと思うとゾッと――


「め……? そうか!」


 眼球――目を狙えばいいのか。

 ガレイルがどれだけ鍛えていようが、体が頑丈で攻撃が通らなかろうが、目だけはどうしようもない。

 あとはまあ、股間なんかもめちゃくちゃ有効打になりそうだが、元男の身としては無いタマがひゅんとしてしまいそうなので、やはり目を狙うのがいいだろう。

 それに、今の状況ならそちらの方が圧倒的に狙いやすい。

 この部屋は不用心なことに武器らしきものは何も置いていないし、隠し持っていたとしてもリーチはそこまで長くないはず。

 魔法も使えなさそうだし。

 つまり、ガレイルが俺を攻撃するためには近づくしかない。

 そして俺の身長が150センチなのに対して、ガレイルは優に200はありそうな大男。足技はともかくとして、手を使う時はその巨体を屈ませる必要が出てくる。

 確実に狙いやすく、且つ隙が出るその瞬間を狙うのだ。


 狙いを定め、唾を飲み込むとほぼ同時。

 ガレイルは数歩後ろに下がると、深く腰を落とし、顔の前で腕を組みながら突進攻撃を仕掛けてきた。

 まるで狙いが読まれたかのようなタイミングに焦りを覚え、反応が遅れてしまった。


 鋼の肉体に、顔いっぱいに表された怒りを込めた一撃……これを受けるには、俺の身体はあまりにも非力すぎる。

 精神世界だからと余裕をこいていたが、痛覚がある以上これを喰らったら色々な意味でヤバい。

 反応は遅れたが、少しでもダメージを逃がさなければと体をひねらせ――ついでに足も滑らせてしまった。 


「しまっ――!」


 焦りの代償。

 俺は体をひねらせた勢いでしりもちをついてしまい、もうだめだと心の内に悟る。

 が、しかし


 ――時を同じくして、ガレイルの巨体が凄まじい勢いで目の前に倒れ込んできた。


 何がおこったのかわからず倒れてきた巨漢を見てみると、彼の足元には先ほど倒したパールの体があった。

 どうやら怒りで前が見えなくなったガレイルは、パールの体に足を躓かせて自爆したらしい。

 ならやることは一つだ。


 ガレイルが起き上がるより早く動き、最大限の魔力を籠める。

 そして顔を上げたところの眼前に杖を起き、【猛火弾フレア・バレット】を発動させた。


 攻撃を受け、仰け反ったガレイルの体が壁に激突する。

 砂塵に紛れた巨漢の右半分は紅く染まり、俺の攻撃が確かに効いていたことを証明していた。


「やった!?」

「くううっそがあああああああああああ!!!」


 一瞬の油断。

 獣のような雄たけびを上げ、ガレイルが杖の先端部を握り締めにきた。


「クッソしぶといなもう!!」


 そんなに欲しけりゃくれてやる!

 パッと杖から手を離し、一歩後退する。そして腰を落としたままの体勢で、両手を斜め後ろに広げた。

 ガレイルの目は、左は白目をむき出しにしており、右目は血でよく見えないがかなりの損傷を追っている。

 もう一押しだと踏んだ俺は、一つの強硬策に出た。


「……魔杖×2!」


 両手に花ならぬ、両手に杖。

 魔力消費も二倍になるが、精霊の力借り放題のここでは関係ない。

 ありったけの魔力を込めて、襲い来るガレイルの両目の前へ構え――


「いい加減爆ぜろ! ――炎弾!!」


 二本の杖が光りを帯び、二発の【猛火弾フレア・バレット】が同時に発動。

 これによって盛大な爆発音とともに、ガレイルの顔面が吹き飛んだ。

 後ろの土壁をも大きくえぐり、仰向けに倒れていく巨体。


 首から上が無くなったそれを見ているのは、不思議と気分が良かった。

 やり遂げた達成感や、俺を貶めようとした者に対する「いい気味だ」「ざまぁみろ」という感情が、直接高揚感に繋がっている。


 ああ、本当にいい気分だ。

 アドレナリンがとめどなく溢れ、高ぶった感情が抑えられそうにない。思わず顔がニヤケてしまう。

 今まで感じたことのないほどに……大声で笑いたくなるほどにハイな気分。


「ははっ――は、ははははははははは!! アーッハッハッハッハッハ!!! ……あー……気持ちいい……♡」


 声に出してみると、また余計に気分が高揚してくるのがわかる。

 これはもはや麻薬に等しい。

 もっと、ずっとこんな気分が続けばいいのに。

 頭の中はいつまでも興奮が治まらない。

 あれ……そういえば俺、なんでここにいるんだっけ。


「はは、ははは……は……――――」


 ふと、一瞬だけ頭が冷静になった瞬間があった。

 それは高笑いの中、この部屋の隅が視界に入った時。

 びちゃびちゃに濡れた地面の上にうずくまり、身体をガクガクと震わせて俺を見る、よく知っている少女が目に映った時。

 あれほどに火照っていた体の感覚が、その一瞬でゼロどころかマイナスまで落ちていく。


 少女が――俺が俺に向けている目は、恐怖以外の何物でもなかった。

 あの時、攫われた当時ガレイルに向けていた目と感情が、そのまま今の俺に向けられていると分かってしまった。

 一歩、また一歩と近づいていくと、彼女は大きく体をびくつかせ、頬に涙を伝らせる。


「や……いや、だ……くるな……!」

「ちがっ! 俺は――」

「あ……ああぁあぁ……!!」

「だから!」

「くるなあああああああああ!!」


 悲鳴の直後に、俺の腹部に何かが飛んできた。

 熱を持った魔力の塊――あの時の俺ができた、唯一、精一杯の奥の手だ。

 そのちっぽけな抵抗を受けた所で、俺の意識と理性が飛んだ。



 * * * * * * * * * *



「……大丈夫かのう、こやつら」

「大分苦戦してるねぇ」


 エルナとメロディアを覆う光の人形。

 これは対象者に悪夢を見せ、本来の人格の裏側――負の人格をのぞかせる。

 第二の試練は、そんな内に潜むもう一人の自分を乗り越え、この場に意識を取り戻すこと。

 どんな場面においても、自分という敵が一番手強いのは変わらない。三つの試練のうち、これが最難関といえるだろう。


 負の人格に飲み込まれるにつれ、光人形は本体である二人を覆いつくしていく。

 本体が完全に覆われると、その時点で負の人格が元の――正の人格と入れ替わり、固定されてしまう。

 そうなる前に判定を下し、救い出すのがアタシらの仕事だ。


「アリュシナよ……既に浸食率は七割を優に超えておる。このままじゃと二人とも飲まれかねんぞ」

「その時はアタシらでどうにかするしかないだろう?」

「そういうことを言っておるのではないわい! 下手をすれば人格改変どころか、最悪廃人になってしまうかもしれんのじゃぞ!」


 本来なら七割に到達したところで止めるところを、手を出さずに放っておいてることに疑問を持ったんだろう。

 確かに言っている通り、このままじゃあ二人とも失格まっしぐら。

 どうしようもない事態になりかねないのは見た通りだ。

 でも――


「じいさんアンタね、アタシの時も同じこと言ってたよ」

「……そう、なのかの?」

「あぁ。もう覚えてないでしょうけどね」


 実のところ、アタシが賢者の試練を受けた時は、先に賢者の道を歩んでいたこのじいさんが監督役を務めた。

 腐れ縁ってやつなのかね。ずっと近しい間柄だった関係で、受ける前にそりゃもうやめろやめろとしつこかったのを今でも覚えている。

 それでも絶対に越えるからと、監督は頼むが手出しするなって押し通したもんさ。


 エルナとメロディアは精霊の契約を交わした。この地の精霊と一体化しているじいさんにとっちゃいわば子供みたいなもの。

 自分の子がそんな事態に陥ることを、止めない親はいないだろう。


「アンタは子に甘すぎるんだ。この子らは守るべきもののため、ちゃんと覚悟を決めてここに来たんだ。心配するのを悪いとは言わない……でもね、それが必ずしもいい事だとは思わないこった」

「しかし……!」


 おせっかいも過ぎれば人を傷つけるもの。

 この試練に必要なものはたった一つ――己の中に、一本ガッチリとした芯があることだけさ。

 試練を受けに来た時、少なくともエルナにはそれが見えた。

 だからまだ……今はまだ、アタシらが手を出すトコじゃないのさ。


「信じて待とうよ。必ず乗り越えてくる……だからもうちょっとだけ、我慢しなよ」

「……本当に、あと少しだけじゃぞ」


 エルナの浸食率が九割を超えたのは、このすぐ後のことだった。

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