5:16「お仕置き」

「な……ッ!?」


 真っ白だったはずのシャツが、我の腹部を中心にして赤く滲んでいく。


 刺された?

 誰に?

 今この部屋には我とお嬢以外には誰もいない……じゃあ、お嬢に?


 そんなまさか、有り得ない。

 何を考えているのだと首を横に振るおうとすると、刺された場所に更なる痛みと熱が加えられた。

 ぐりぐりと、刃物が腹の中をえぐる感触。

 歯を食いしばりながら背後を振り向いてみると、そこには無邪気な笑顔を浮かべながら、魔力刃で我を突き刺すお嬢の姿があった。


「グァッ……」

「どう? 痛い?」

「お嬢、何を……!」

「何をって? そうだね、お仕置きかな」


 魔力刃が抜かれ、えぐられて広がった傷口からぼたぼたと血が流れ出る。

 せめてもの抵抗に、前の傷口には手を置き、未だ開く前の扉を背に押し付けた。


「意味が、わからない……何故……」

「グレィ、いやグラドーラン・・・・・・。初めて会ったときのこと覚えてる?」

「……?」

「俺と母さんが魔法を習いに行ってた時にさあ、急に襲撃してきたんだよねえ」

「…………あぁ」


 お嬢が発したそのセリフを聞き、お仕置きの意味をなんとなくではあるものの理解することができた。

 忘れるはずがない。

 エルフに伝わる霊薬を求め、火グマと共にルーイエの里を襲った日。

 我が呪いを受けたあの日のことを。

 恐らく言っているのは、里の人々を傷つけたこと……そしてお嬢を傷つけたことに対してだろう。

 既に過ぎたこと……などと言って切り捨てるつもりはないが、それでも何故今更なのか、やはりそこは腑に落ちない。


「レーラ姫を助けるためだって、里の皆を随分傷つけてくれたよねえ。俺も結構派手にやられたよねえ」

「…………」

「レーラ姫さえ助かれば他はどうでもいいって言ってたもんねえ」


 あの頃は本当にそう思っていた。

 姫様の幸せのためならなんだってすると。

 例えそれで悪事に手を染めたとしても、我が真の王になればどうとでもなると。

 それに関していえば、返す言葉も見つからない。


「コロセウムでは暴走したとか言ってたけど、幻獣使って散々やってくれたよねえ」

「…………」


 散々とは異空間や冒険者たちの竜化のことか。

 それとも我の精神世界でのことか……いや、両方か。

 考えていても仕方がない。

 どちらにせよ、我が手間をかけさせたことに変わりはない。

 何をされても文句は言えない……か。


「俺が見てるところでは死者は出てなかったけどさあ。きっと沢山殺してきたんじゃない?」

「!! それは違う!」

「口答えするな」

「ッ―――!」


 口答えするなと、そう言われた瞬間に声が出なくなった。


「実は今家に誰もいないんだ。丁度いいでしょ? 俺が元に戻る前にさ、まとめてお仕置きしておこうかなあ――って!」

「――――っ!!」


 ぐさりと、今度は膝に魔力刃が突き刺さる。

 そしてどういう訳か、腹部の傷が治りかかっていることに気が付いた。

 確かに竜族は傷の治りが速いが、それはエルフ族ほどではない。先のような傷、少なくとも治るまでに1週間は時間がかかるはずだ。


「ああ、そうだ。今話して気になったんだけどさー、幻獣飼ってるんだよねえ。そいつらって今どうしてるの?」

「……まだ、我の中にいる。必要とあらば出すこともできるが、人里では騒ぎになるだろう……」

「ふーん」


 ニヤリとしながら、お嬢が魔力刃を抜きずいっと背伸びをして顔を寄せてくる。

 そして我の左胸に左指を突き立てながら、普段のお嬢だったら絶対に言わないであろうことを口にした。


「じゃあソレ没収。所有権を俺に譲ろうか――出てきて」

「っ――!!!」


 何かがおかしい……目の前にいるのは、本当にお嬢なのか?

 そう思いつつも、絶対に逆らうことは許されない。

 許可が無ければ口を開くことも許されない。


 お嬢は争いごとを好まない……絶対に、こんなことはしない。

 そうだ、きっと目の前のいるお嬢は偽物だ。

 だが必死にそう思おうとしても、確信に至る程の根拠が無い。

 口も体も、一切の言う事を聞いてくれない。

 目の前にたたずむ少女を、体が『主』だと認めてしまっている。


 そして目の前に現れてしまった、二メートル程に縮小化された三体の幻獣を前にして、我の脳裏に『恐怖』の二文字が浮かび上がった。


 【王の声】――絶対服従の真の意味を、この時初めて痛感したのだ。

 ルーイエの里やコロセウムでの戦い。ラメールと対峙した時。そして生き返った時。呪いの効果自体を体験したことは何度も会ったが、今回はそのどれとも違う感触を得た。


 このお嬢の形をした得体のしれない少女と幻獣たちに、我は一体何をされるのか。

 これから一体どうなってしまうのか。

 それだけが頭を埋め尽くしていた。

 ボロボロになるまで嬲られ、炙られ、そして治る。

 死することさえ許されず、永遠に。


 少女のにやけ面が、それを物語っていた。


「じゃあ……始めよっか。お仕置き」

「――――――――――ッッッ!!!!!」


 それから丸二日間。

 声にならない悲痛の叫びが、頭の中にだけ響き渡った。



 * * * * * * * * * *



 グレィとグリーゲルさんが扉をくぐってから、およそ一日。

 あれから気が気でいられなかった俺は、この地下空間と外を行き来して気を紛らわせていた。

 途中で親父と交代で仮眠を取ったりもしたが、一時間も眠ることができなかったのが正直なところだ。

 グリーゲルさんは階段を下っていく際、精製まで丸一日かかると言っていた。

 もとより十日かけてテ族の里へ行く予定だった俺たちからすればそれでも早いくらいなので、それくらいは大丈夫だと伝え、部屋の門が開かれるのをずっとその時を待っている。


 この二時間ほどは、扉の前でじっと、竜仙水の精製よりもグレィの無事だけを祈っていた。

 そして――。


 ギィィィ……。


「「!!」」

「お待たせした。竜仙水は完成したぞ」


 重々しく扉が開き、中からグリーゲルさんと、彼に抱きかかえられたグレィが姿を現した。

 俺はグリーゲルさんから竜仙水を受け取るが、それよりもと声を荒げる.


[グレィは! グレィは無事なんですか!?」

「まだ、わからない……心臓は停止している」

「そんな!? どうして!」

「ちょっと落ち着け恵月」

「でも!」

「いいから」


 疲れて寝ているののを抱きかかえた親父が、片手で俺の肩を掴みグリーゲルさんから離そうとしてきた。

 これが落ち着いていられるかと、そう声を上げようとしたところで、親父が先に問いかけてくる。


「恵月、あの時……討伐隊の時。グレィは確かに一度死亡が確認されたんだ。つまりは死んでからしばらくして生き返ったってことだろう? ということはだ、まだことを荒立てるには早い。一度宿に戻って、経過をみよう。延長できるか聞かねえとな」

「そう、か……わかった、ごめん」

「グリーゲルさんもきてくれると助かる」

「無論だ」


 答えを急ぐな……か。

 俺はグレィが死ぬことなんて望んでない。だったら心臓はまた必ず動き出すはずだ。

 確かに、少し焦り過ぎていたかもしれない。

 でも……深呼吸をしてみても、この胸騒ぎだけは収まってくれそうにない。

 今にも爆発してしまいそうな心を必死に抑えるように、胸元でぎゅっと拳を握る。


 こうして俺たちは、グリーゲルさんの鈴の音と共にミネルバの町へ戻っていった。

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