5:5 「テ族の里へいざ行かん」

 グレィの里帰り、そして竜仙水を手に入れるため屋敷ウチを出た俺たち四人は、裏の森をフレド孤児院へ続く道とは別のルートから抜けだした。

 抜け出すのに二時間は歩いただろうか?

 人気のなさそうな平原へ出たところで、グレィにドラゴンの姿になってもらった。

 そのタイミングで持ってきた荷物をグレィの体にロープで括りつけ、落ちないようにしっかりと固定する。

 テ族の里への旅路は十日強。途中で補給をするために、中間地点にあるという町によるつもりだが、少し余裕をもって一週間分の食料を用意しているので、それだけでもかなりの量になった。


 馬車を用いてもよかったのだが、今回の旅……グレィの帰郷に関しては、行く先が隠れ里であるということもあり、身内以外にはあまり知られたくない。

 それからグレィの希望もあって、こうして彼の背中に乗ることになったのだ。

 なったのだが……。


「たかいたかーい」

「もう二回目になるが、飛行機とはまた違った楽しさってもんがあるよなあ。どうだー恵月」

「あ、あぁぁぁ……た、たきゃ……い……」


 高い高いぃぃ……怖いってばあ!!


 飛行機程の高度ではないが、それでも5メートルはあろうかと言う針葉樹が豆粒ほどに小さく見える高さ。

 グレィの背中のウロコはざらざらとしていて滑ると言うことはほとんどないし、飛ぶのもかなり気を遣っているようには見える。でもそれはそれ。こんな高いところを生身で……あぁ、正気の沙汰じゃない。


「あれ……お前、高いところダメだっけ」

「そ、そういう問題じゃニャアアアアアアーーーーッ!!!」


 怖くて体を蹲らせていた俺は、前に座っている親父を見上げようとして顔を上げた。

 その際に顔面に降りかかってきた風の流れにびっくりしてしまったのだ。


「お、大げさな……にゃーはないだろ、にゃーは」

「えるにゃん、かわいい にゃー」

「ぅしゃいぃぃ……」


 経験者だからって余裕ぶっこきおってからに……あぁぁ、早くついて……。


「大丈夫だって。オレも最初は少しビビったが、慣れれば楽しいもんだぞ?」

「むりぃ」

「わーったわーった」


 分かったと親父が口にした直後、蹲っている俺の背中に何かが触れるのを感じた。

 突然のことで思わず体をびくつかせてしまったが、この感覚……どうやら親父が俺の隣に来て、半ば抱えるような形で俺の体に手を回してきているらしい。

 親父はもう片手でののも抱きかかえているため、これで完全に両手が下がった状態になる。


「どうだ、これなら少しは安心できるか?」

「……ぅん」

「ならよかった。まだかなりかかるだろうからな、慣れるまではこうしていよう」


 親父の言葉に甘え、俺は小さく顔を頷かせた。

 グレィの故郷――テ族の里は、大陸西部にある岩山の中だと言う。

 馬車で行ったら三週間程かかるらしいが、グレィが最短を行けばその半分で着く。つまり十日はこれに耐えなければいけないということでもあるのだ。

 途中で食料と水の補給をしなければならないので、実際はもう少し長くなる……ああ、考えるだけで気が遠くなりそうだ。


 だがしかし、それもこれも元の体を取り戻すため。

 うん、ガンバロウ。


 ……でもやっぱりコワイ。




 * * * * * * * * * *




 岩山の上に作られた、懸造の舞台の上。

 我は赤く染まりつつある空を仰ぎ、ゆっくりゆっくりと息を吐き出す。

 十秒、二十秒、三十秒……一分、二分……。

 肺の中を空っぽにして見る空は、何とも美しい。


「今日も一日、何事もなく日が落ちる。一時を闇が覆い、また日は登る……されど我が子は、未だ恋路の檻の中、か」


 あやつが里を出てから早十余年。

 我ら三千年の時を生きる竜族からしてみれば、十年など人生におけるほんの一瞬。

 さりとてこの十年は、我の生きた千五百の時の中で最も長い……永遠にも思えるほどに、長い長い年月であった。


 だからこそ、少し前に我が里を訪れたエルフの娘……確か、エィネと言ったか。

 あやつが我が子グラドーランの話を持ち込んで来た時、凍りかけていた心が、その奥底からマグマが噴出するかのように熱くなったのを感じた。


 グラドーランを一族のネットワークから切り離したのは我自身。

 しかしいざこうして離れ離れになってみれば、なんと我が子の愛しいことか。

 エィネが里を去った数日後、人間の国でグラドーランが死んだとの噂を耳にした時は、それが真実かどうかも分からぬまま夜通し泣いた。

 それからしばらく経ち、あのト族の聞かん坊であるリヴィアがグラドーランと接触したとの話を聞いた時は、里をあげて祝いの宴を催した……勿論、建前は付けたが。


 時が経てば経つほどに、あやつのことが心配で夜も眠れなくなってくる。

 こうして空を眺めているのは、いつかグラドーランがこの里の上空に現れるかもしれないという、儚き願望の表れ。

 ああ、美しい。

 我の心はこんなにも満たされず寂れているというのに、この空は何処までも汚れを知らぬ。


「戻るか……」


 美しい空を、闇が徐々に染め上げて行く。

 それを見守りながらそっと呟き、我は屋敷の中へ続く扉をくぐろうとした。

 しかし我が扉へ向こうと振り向いた直後、目的の扉は、ただ事ではないとばかりに大きな音を立て開かれた。


「族長様! 竜王グリーゲル様! 大変だ!」

「む? どうした」

「ヤツが……グラドーランが、ここへ向かっているらしい!!」

「なっ……!?」


 目の前に現れた、いかにも村人Aといった特徴のない風貌の若者から発せられた、これ以上にない一言。

 我の心は、その十年間待ちわびた言葉に歓喜した。

 真偽を問うべく、興奮を隠せぬままに若者の肩を掴みかかった。


「本当か!? 本当なんだな!? あやつが、グラドーランがこの里へ帰ってくると申すのか!?」

「は、は、はいっ!」

「あい分かった、今すぐ先遣部隊を結成するのだ!」


 いてもたってもいられなくなった我は、若者に短く命令した。

 来るのを待ってなどいられない。

 こちらから迎えに行くのだと、一族全員を招集し、グラドーランの里帰りを盛大に祝ってやるのだと。

 理性が飛ぶほどに興奮した我の頭は、もはやそのことで一杯になっていた。


「は、はい! 了解致しました! 必ずあの裏切り者を捕らえて御覧に入れます!!」

「うむ!」


「…………ん?」


 返事を聞くや否や、若者は部隊結成の為に走り去っていったが……あやつ、今なんといった?


 裏切り者を……捕らえる?


「あ……ああっ!?」


 ちょっと待て!

 そういう意味合いではない!!


 そう叫ぼうとするも、若者は既に我の視界からは外れてしまっている。

 念話を試みようにも、これは相手の姿かたちが分からなければならないのだが……特徴が無さ過ぎて、既にあやつの顔を覚えておらん……。


「な、なんてこった……あぁぁ」


 先程まで赤かった空も、今はもう暗き闇の中。

 我は屋敷の舞台の上で、己が命令を悔やみ項垂れる。

 先程とは打って変わり、余りのショックに身動き一つとれなくなってしまった。


「どうか……どうか無事で……せめて、無事に連れてきてくれぇ……」


 決して人には見せられない、それはそれは情けない竜王のお言葉が、闇夜に寂しく響いていた。

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