3:16「追憶の丘」

「っ!?!?」


 何が起こったのか。

 いきなり現れたその光景を前に頭が困惑してしまう。

 ドラゴンと目が合った気がして、その直後に左胸……心臓の辺りに強烈な痛みが走った。それから……どうしたらこの光景につながるというのか。


 気が付けばそこには、辺り一面の花畑が広がっていた。

 丸く、綺麗な桜色の……見たことのない形をした花。


「母さん!? 親父!! ののー!!」



「…………」



 返事はなく……ただただ、鈴の音のような少女の声が寂しく響いた。

 また先ほどのように異空間か何かにでも飛ばされてしまったのだろうか?

 それとももっと別の何かなのか。


「とりあえず……進んでみるか」


 歩きながら、今の自分の状態を確かめる。

 心臓の痛みはきれいさっぱり消えており、そのほか体に異変のようなものは感じない。

 それどころか、時折吹く風には心地よささえ感じてしまう。


(精霊は王都よりも多い……気がする。でもあの異空間ほど満ち溢れてるって感じはしない。やっぱりあそことはもっと別の何かなのか……?)


「……あ」


 そうしてしばらく歩いていると、地平線の先……遠くのところで、かすかに桜色が途切れているのを見て取れた。


 何かがあるかもしれない。

 そんな藁にもすがるような思いで歩くスピードを上げ、小走りになり、十秒もしないうちに走りに代わる。

 蹴られ、踏まれ、散っていく桜色の花びらになど目もくれず、夢中に「終点」へ向かって走った。

 こんなところ母さんに見られたら即説教だろう。あの人はそういうところにも中々うるさい人だ。


「……ん――ッッ!!!!」


 他愛のない想像をしながら目的の場所までたどり着く直前、咄嗟に急ブレーキを踏んでその場にとどまった。


「あ……あっぶな……死ぬかと思った……!」


 本当に危なかった。

 花畑の終点。その先に待ち受けていたものは……高層ビルほどの高さはあるであろう断崖絶壁。あの勢いのまま落っこちていたらと思うとゾッとする。

 恐る恐る下を覗き見てみれば、そこにあるのは綺麗な芝生の海。森でもあればまだ少しは衝撃も和らいだのかもしれないが……ああ、本当心臓に悪い。


「はぁ……こわ……で、でもなんだってこんなところに出て……」


 ますます謎が深まる。

 結局ここは何なのか。そう思いその先に目を向けてみると、少し先……数百メートルくらいだろうか。何やら町のようなものを見て取ることができた。

 とても大きい……おそらくは王都と同じくらいの大きさを誇る町。

 その中央に立つのは……。


「いや、あれ……王都……?」


 中央に聳え立つ大きな城。それは遠目に見た王都レイグラスの王城そのものだった。

 まだ二回しか見たことがないけれど間違いない。


「でもなんだろう……なんか町に隙間が多いような……気のせいか?」


 俺が通った場所の密度が高かっただけなのかもしれない。しかしそれでも、上から見下ろしたその町は明らかに今の王都よりも建物の数が少ない気がする。


 謎が謎を呼ぶ。

 そもそもなぜ俺はこんなところにいるのか、皆目見当もつかない。

 町に行ってみれば何か答えがあるのだろうか。


「……そうだ! コロセウムに行けば―――」

「ほんとー!?」

「っ!?」


 コロセウムへ、みんなの元へ。

 そう思ったところにふと、小さな女の子のような声が聞こえてきた。

 今度は聞き覚えのない……おそらく初めて聞く声だ。


 俺は声が聞こえた東の方角へ顔を向けると、花畑の中に二人の人影があることに気が付いた。

 一人は小さな……見た限り5,6歳ほどの、華やかなドレスに身を包んだ女の子。

 もう一人は真っ黒なコートに身を包んだ、怪しげな短い金髪の男性だった。

 男性は女の子の前に跪き、見上げるような形で優しく微笑みかけている。


「はい。私はこの命が尽きるその時まで……きっと姫と共にありましょう」

「じゃあおっきくなったら私と結婚しましょ!」

「ハハハ……私でよろしければ、喜んで」


「な、なんだ……?」


 早くみんなのところへ急がなければと思いつつも、その光景から目を離すことができなかった。

 近寄りがたい雰囲気の中、姫と呼ばれている女の子が、跪いている男性の目の前にそっと手の甲を向けて差し出すと、先ほどと同じ元気な声色で口を開く。


「じゃあ はい!」

「姫……これは?」

「グレィはきしさまなんでしょ! きしさまはお姫様のおててにちゅーするの!」

「……そうでしたか。私は人の世はあまり知らないものでして」

「そーなの? じゃあいいお勉強になったわね!」

「はい」


 自慢げな顔で言う女の子に、男性は再び優しい笑顔を見せながら答えを返す。

 そして男性がそっと女の子の手を持ち、その甲へ徐々に顔を近づけようというとき――。


「あ! 待って!」

「むぐっ」


 男性の唇は女の子の人差し指によって静止され、何事かと言う表情で彼女の顔を見上げなおした。

 女の子は指を自分の顔の前に持ってくると、自慢げな表情のまま男性の目を見る。

 そして――。


「ちゃんとやくそくしましょ!」

「約束……ですか?」

「そ! やくそく! 大きくなったら……そうね、私が16さいになったら、お嫁さんにしてくれるって!」


 自慢げな顔を満面の笑みに変えて、女の子が男性にそう言った。

 これに男性の方は少しばかり驚きの色を見せると、「ふふっ」と吹き出すような微笑の後に女の子の手を取りなおす。


「はい。しかし私からも一つだけよろしいでしょうか?」

「なーに?」

「姫様が16歳……ということは、今からまだ10年も時間があります。もしかしたらその間に、姫様はこの約束を忘れてしまうかもしれません」

「むむむ……わすれないわよ!」

「そうだと良いですが……人と言う生き物は、案外すぐに物事を忘れてしまうものなのです。なのでひとつだけ、私のわがままを聞いてください」

「むむむむ……」


 むくれっ面になる女の子に、男性は「お願いします」と一言付け足す。

 女の子はそのままの顔で男性を見つめていたが、しばらくするとそっぽを向きながら首を縦に振った。

 幼子特有の可愛さというものを感じさせるその素振りに、男性は何度目かの笑みを浮かべながら「ありがとうございます」と一言置いてから、本題のわがままを聞かせようと口を開く。


「年に4回……季節の変わり目に、会いに来てもよろしいでしょうか」

「え……?」


 男性の言葉を聞いた女の子のむくれていた顔が一変、目をキラキラと宝石のように輝かせる。


「会いに来てくれるの!?」

「はい。姫様さえよろしければ」

「絶対よ!」


 何度も首を縦に振って「絶対よ、絶対だからね!」と念を押す女の子。

 男性の左手に支えられていた女の子の右手も、男性の手を両手で握り返すようにしてブンブンと何度も振る。

 本当に、心の底から嬉しそうな笑みを見せる女の子に、男性もそっと首を縦に振った。


「はい」


 そしてなおも振られ続けている右手に、男性は右手をかぶせるように乗せて動きを止めると、あらためて女の子の手を取り、そして―――。


「『竜王 グラドーラン・テ・シャルレーナ』、この命、姫様と共に……」


 男性……グラドーランは女の子の手の甲に、その唇を優しく振れさせた。





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