2:23「一夜が過ぎて」

 夢の中で誰かがささやいてきた。

 その姿をよく見ようと目を凝らしてみても、その人だけがぼやけてしまって誰なのかは全く分からない。

 確かなことは、細かい装飾が施されたドレスを身に纏っている女性だということ。

 彼女の背に広がる背景も身に覚えがない。赤地に金色の装飾を施された高級そうな壁紙、それに見合った家具の数々。

 天蓋付きのベッドに横たわる俺の体は鉛のように重くなっている。

 「ここはどこなのですか」と聞こうとしても、開いた口から声が全く出てこない。

 ベッドの隣で腰かけている謎の女性もずっと俺に何かを言っているようだったが、聴覚も鈍っていて何を言っているのか全く聞き取ることができなかった。




 * * * * * * * * * *




「…………」


 知ってる天井だ。

 俺と母さんが宿泊している宿屋の……自然の匂いが染みついた天井。

 ということは、今度は夢じゃなくて……里は無事だったってことなんだろうか。


「体は……動く。あの時ほどじゃなかったのかな……―――ん?」


 わき腹の辺りに重みが。

 俺はそっと体を起こし、重みを感じた場所に目を向けてみると、そこには椅子に腰かけたままベッドに前傾姿勢で居眠りをしている母さんの姿があった。

 こちらも無事で何よりだが、頭や腕に巻いている包帯を見る限り相当な消耗を強いられていたらしい。

 俺が迷いの森を抜けたときと同じく、ずっとそばで看病をしてくれていたのだろう。


「……お疲れ様」


 短く、照れくさくもあるその言葉を送りながら、優しい寝息を立てる母さんの頭をなでる。

 そういえばあれからどのくらいの時間が経ったのだろうか。

 傷が癒えていない母さんの姿を見るに、そこまで長くは経っていないように見えるのだが。

 部屋の丸時計では残念ながら日付までは分からないし。


(あ、そういえば借りた力の中に時間を知る魔法があったような……)

「えっと術式は………………」




「えーっと…………?」




「…………」


 思い出せない。

 確かそんなに難しいものではなかったはずなんだけど……。

 気を失って、完全におじいさんの……神樹さまの魔力が抜けたせいで、あの時得ていた知識がきれいさっぱり消えてなくなってしまったらしい。


 ちょっと前まで事細かく覚えていたものが全く分からなくなるこの感覚……ものすごく気持ち悪い!

 覚えていた、実際に使っていたという事実を記憶しているがために、忘れてしまった知識に対するもやもや感が頭から離れない。


「うーん……えるちゃん……?」

「! 母さん、ごめん……起こしちゃった?」

「いいのよぉ……あー……無事でよかったぁ……もっとさすさすしてぇー」

「え……えぇ……」

「はやくぅー」


「……はぁ。しょうがないなあ……」


 まあ、嫌いじゃないし。

 母さんの髪、さらさらしてて気持ちいいし。


 二言ほど心の中でつぶやいておき、再び優しく手を動かし始める。

 しばらくこうしていると、母さんは再び眠りについたようだった。

 先程とは違い、不安の取り払われた幸せそうな寝顔を見ていると、俺まで表情が緩んでどこか不思議な……すごく安心してくるような気がする。

 里が襲撃されて、自分の中で気を張っていた部分がゆっくりと、甘やかに溶かされていくような。まるで「もう大丈夫だよ」と、俺の方が頭を撫でられているような感覚さえも覚えてくる。

 今こうしていることが、すごく幸せなことなんだと―――。


「…………」

「………………む」


 ふとそんなことを思いながら顔をあげてみると、半開きになったドアから顔をのぞかせニヤニヤしているチビッ子と目が合った。

 俺のほぐれていた表情筋が一瞬にして硬直し、何もかもを放り投げてしまいたい衝動に襲われる。


「ふふふ。幸せそうな顔しおって、全くどちらが母親なのやら」

「えっええっと、その、これは……」

「なんじゃ? 続けてよいぞぉー? わしは撮影役になるでのぅ。ぐへへ、キョウスケのやつが見たら泣いて喜ぶじゃろうよ……はて、いくらで売りさばいてやろうかのぅ」

「は!? 勘弁して!!! お願いしますなんでもしますからぁ!!!」


 てかそのカメラどこから取り出した!?

 あったのね、この世界にも!!!


「なんでもとな? では続けてもらおうかのう」

「え!? いや、その」

「冗談じゃ。騒ぐとまた小娘が起きるぞい?」

「……チビッ子め」

「あ? なんじゃ?」

「なんでもないです」


 覚えてろよ。


 エィネがあらためて部屋の中へ入ってきて、母さんの隣に腰掛ける。

 すると先程までの態度とは一変、真剣な顔をして俺の顔を見て―――。


「……すまんかった」


 両手をつき、深く頭を下げた。


「まさかおんしらが来ているうちにこのようなことが起きようとは……迷惑かけたのう、本当にすまぬ」

「い、いやそんな……そもそも俺たちが来なければこんなことは起きなかったわけだし」

「いいや、わしの不注意じゃ……ここだけの話じゃがな、わしはずっと観ておったのじゃよ。おんしが己の絶望と向き合う様を」

「……え?」


 俺の驚きと困惑の入り混じった反応の後、エィネは顔をあげて話を続ける。


「迷いの森を造る霧はの、各里の長が神樹さまの力をお借りして精製するものなんじゃ。当然、術者たるわしにはその様子を観ることができる。おんしが引っ掛かってしまったのは正直なところ想定外じゃったのじゃが……おんしの心を見極めるために、手を貸さずに見守っておったんじゃ」

「で、でも……」

「その結果がこのありさまじゃ。侵入者に気が付かず、一週間も森の中にのさばらせてしもうた。わしは……長失格じゃ」

「エィネ……だからって――」

「じゃからの、わしは責任を持って―――おんしらを完璧に仕上げてから帰す!」

「へ?」


 数秒、部屋が静寂に包まれた。

 一体何がどうして長失格からそこに繋がると?

 この流れってあれじゃないですか!

 責任を取って辞めるとかそういう流れじゃないんですか!!


「なんじゃ? わしが辞めるとでも思うたか」

「え! そ、そんなこと全然、うん! 全然……」

「うそつけ、顔に出とるわい」

「……ごめん」

「謝るでない。考えなかったわけでもないしの……ただ」

「ただ?」

「今、この里から引くことが責任を取るということとは違うと思うた。それだけじゃよ。それは責任ではなくただの逃避じゃ。何百年もこうしておると、そう易々と他の若輩者に任せるわけにもいかんしのう……次に里を任せられるものが出るまでは、しっかり守りぬいて見せるわい。その一環として、おんしらもしっかり仕上げてやらんとな」

「……そっか。ありがとう、エィネ」

「みっみなまで言うな! 少し……恥ずかしいわい」

「ははは」


 その後は、あの男との戦いで俺が気を失った後のことを話してくれた。



 あの後すぐに俺の体の中にいた里のひとたちが解放され、目を覚ました。

 そして少ししてから母さんとアルトガさんが神樹さまの広間にたどり着き、火グマが急に光の粒になって消えたこと、それと同時に里に回りかけていた炎がすべて消え失せたこと、燃えてしまった木々は精霊たちが寄り集まって既に修復し始めていることが里の人々やエィネに伝えられた。

 俺の体はすぐに宿へと運び込まれて、母さんが一緒についた。

 男の方は縄でぐるぐる巻きにして監視体制をとっていたようだが、監視が居眠りをこいた夜中の内に逃げられたらしく『やらねばならないことがある。仕留めたくば二十六日後、アルベント王国の王都へ来い』とご丁寧にエルフ文字で書かれた置手紙が置いてあったそうだ。

 はじめはすぐに探し出して捕まえようという動きがあったようだが、エィネとアルトガの意向により今は療養と森の復興、そして俺たちの育成を優先させるという流れになり、あらためてそのことを伝えようと彼女がこうしてここにやってきたというわけだ。



「森の方は一週間もあれば元通りになるじゃろう。おんしたちは気にせず鍛練に励んでほしい。術式を学び終えた後はわしとアルトガが実戦演習の面倒を見る手筈になっておる、そして最後の仕上げは……まあ、それは後のお楽しみといこうかの」

「な、何それ……超気になるんだけど……」

「はっはっは。大したことじゃあないわい。さ、一通り話したら腹が減ったの。メシにするからついてくるんじゃ。小娘も寝たふりなんぞしとらんで、さっさといくぞーい」

「い!? いつから……」

「あら……バレてたのねぇ」

「最初っからじゃよ、ほれほれさっさとせんか! 小僧はそのぼろっぼろの服を着替えてからじゃぞ」

「ちゃんと残しておくから、早くいらっしゃいねぇ」

「え! あ、う、うん……?」


 そう言い残し、エィネと母さんは部屋から出て行った。


「26日……か」


 男が残して行ったその数字をつぶやきながら、俺はベッドから身体を起こす。

 過ぎたことだし、今更何かしでかさない限り深追いをする気もないのだが……どうも気になって仕方がなかった。

 やることがあるというのも、一体なんなのだろうか。愛人のため……なのだろうが、そのために何をするつもりなのだろうか。

 まあ、万が一にも俺がまた巻き込まれる事なんてないと思うけど。

 26日後って、なんかあったような……。


「……考えてても仕方がないか! さ、着替えよ着替えよ。腹が減っては戦も出来ぬってな!」


 考えるよりも、今は次のやるべきことをしなければ。

 俺は念押しに頬を叩くと、タンスの上に置かれた真新しい民族衣装へと手を伸ばした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る