第二十七章 戦慄のプトヴァイス -7-
朝靄の城壁の上を、涼しい風が流れていく。
南の正面に配置されているのは、カランタニア公を中核とするカラント兵千余。
セイレイス帝国に侵略された旧フルヴェート王国と、ジリオーラ先輩のジュデッカ共和国の間にあるカラント人の公国だが、いまはヴァイスブルク家が支配している。
カランタニア公の後詰めとして、マジャガリーのニトラ公が北部マジャガリーの諸部族二千を率いて控えている。
遊牧民であるマジャガル人ではなく、北部マジャガリーは農耕のイシュクザーヤ人が多い。
だから、ニトラ公の軍は騎馬隊ではなく、歩兵であった。
カランタニア公の右翼に展開しているのが、ポルスカのマゾフシェ公率いるゴプラン部族の兵と、傭兵からなる千余だ。
ヤドヴィカは動かなかったようだが、マゾフシェ公を派遣していたようだな。
国内に置いておくと、いつ自分に牙を剥くかわからないというのもあるからか。
そして、カランタニア公の左翼にいるのが、シュヴァルツェンベルク伯率いる若手の
一番厄介で、油断のならない連中だ。
だが、この部隊はすぐには動くまい。
まずは、他の部隊から動くだろう。
エーストライヒ公率いる本隊は、まだ到着していなかった。
それでも、優に五千を超える兵が布陣している。
普通に考えれば、相手になる数ではない。
「壮観ではないかね、アラナン君」
隣に立つクルト卿が、感慨深げに言った。
「武人として、これだけの敵と戦う機会は、そうあるものではない。もっとも、そうあっても困るがね」
謹厳そのものといったクルト卿が、お茶目に片目を瞑ってきた。
思わず噴き出すと、もう一度眼下の布陣を一望する。
卿の言うとおり壮観な眺めだが、あれがこちらに向かってくるとなると話は別だ。
南の城壁の上にいるのは、クルト卿と従士が二人、それに三十人の衛兵だけ。
彼らの手に負えない分は、全部ぼくの担当となる。
「向こうは降伏の使者を送るつもりでいるだろうが──戦いの口火は、スヴェン・クリングヴァルが切るのだろう?」
「ええ。
ちなみに、本来左翼にはブライスガウ伯が位置していたと思われるが、彼の部隊は例の水攻めの被害が大きく、独立した部隊としての運用が難しくなったらしい。
シュヴァルツェンベルク伯の部隊に、吸収されてしまっている。
ルドルフ・フォン・ツェーリンゲンには、ぼくもマリーも結構煮え湯を飲まされてきたからな。
あいつが行軍の先頭を切っているんだったら、もっと派手にぶちかましてやればよかった。
朝食も終わったのか、陣から出てきた兵士たちが隊伍を整えて前進してくる。
彼らは城壁から離れたところで停止し、綺麗な陣を組み直した。
最前線は、カランタニア公アルブレヒト・フォン・ヴァイスブルク。
エーストライヒ公の傍系だが、セイレイス帝国と真正面で対峙しているだけあって、驍勇の名は高い。
「プトヴァイスの民よ!」
カランタニア公が進み出てきて、降伏の勧告を喋り出す。
アレマン人らしい尊大な言い方だが、威風堂々として淀みはない。
貴族らしい貴族だな、こいつは。
「戦力の差は明らかであり、抵抗は無用であるばかりか害悪である。神の御名において、皇帝の代理たるこのカランタニア公爵アルブレヒト・フォン・ヴァイスブルクが命ずる。プトヴァイスの住民は直ちに門を開き、正当なる皇帝の威に従え」
声高に宣言したカランタニア公は、馬上で胸を張って返答を待つ。
城壁の上のクルト卿は、苦笑を止めると、謹厳な表情に戻って叫んだ。
「プトヴァイスはアレマン人になど開く城門を持たぬ! 誰か、この無礼者に目にものを見せてやる勇者はおらぬか!」
「此処にいるぞ!」
大音声が響くと同時に、巨大な影が城門の上に浮かび上がった。
小山のようにそびえ立つ巨躯。
光輝く白銀の鱗。
凶悪そうな顎から覗く太い牙。
古代竜にも匹敵する巨竜が、空中からカランタニア公を
ぐおおおおおお!
魂を揺さぶるような咆哮が轟く。
カランタニア公は硬直し、馬から転がり落ちた。
カラント人の兵士たちも狼狽し、しわぶきひとつ立てない。
「
飛び上がった先生の口から、猛火がカラント人の戦列に降り注がれる。
密集隊形が災いし、火だるまになる兵士が続出する。
阿鼻叫喚のカラント軍団は、忽ち戦列を乱した。
「う、撃てい!」
それでも、カランタニア公は武人として有能であった。
何とか馬上に戻ると、後方に下がって
号令とともに銃声が鳴り、鈍い音が響いた。
だが、銃弾は幾つか命中したようだが、竜鱗には傷ひとつ付いていなかった。
「おれさま相手に、その程度で話になるかあっ!」
轟、と再び火炎が吐かれる。
猛火の奔流に包まれた銃兵から、絶叫が
「カランタニア公、こやつの相手は卿ではいささか荷が重い」
燃え盛る炎の中から、穏やかな声が聞こえてきた。
衝撃とともに炎がふたつに割れ、中から眼光鋭い白い長髪の男が現れる。
障壁でカランタニア公を守った男は、公を立ち上がらせると後ろに下がるように言った。
「此処は、それがしに任せたまえ。卿は軍を立て直し、城壁に取り掛かられよ」
「う、うむ。任せたぞ、
竜の攻撃が止まっていた。
宙に佇み、じっと白髪の男を凝視している。
男は相好を崩すと、軽く右手で招いた。
「どうした、スヴェン・クリングヴァル。
「
竜の体が光に包まれる。
その光は次第に凝縮し、縮んでいく。
眩しさが薄れると、そこには見慣れたクリングヴァル先生が立っていた。
長身のイシュバラに比べ、小男のクリングヴァル先生はかなり貧相に見える。
だが、立っているだけで威を周囲に振り撒いているイシュバラに、先生は一歩も退いていなかった。
「貴様の拳は、まだ
「くっく。
二人の神力が膨れ上がる。
大気が震え、巻き添えになることを恐れた兵士が我先に逃げ出す。
不自然に軍の中央に空いた空間で、二人のアセナの超拳士がついに拳を交えた。
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