第二十四章 イ・ラプセルの騎馬隊 -5-

 行軍中のシュドゥアゲルト公国軍の右側面から左側面に抜け、そのまま離脱してアウグスタへと駆け抜けた。

 シュドゥアゲルト公国軍は何が起きたか把握できぬまま一方的に損害を出し、簡単にぼくらの撤退を許した。


 追撃もなく、流石に拍子抜けしたものだ。


 城門の中に入り、高等科生たちは馬から転がるように降りた。

 限界を超えて疲弊しきった様子である。


 最後尾を駆けてきたのは、ストリンドベリ先生であった。

 クリングヴァル先生の姿が見えない。


「──ストリンドベリ先生、クリングヴァル先生はどうしました?」


 不安に思いながら聞くと、ストリンドベリ先生はため息を吐いて両手を広げた。


「すぐに追い付いてくるさ。シュドゥアゲルト公を見つけたんだよ。そうしたら、一人で突っ込んでいったんだ。ほら、戻ってきた」


 ストリンドベリ先生が顎をしゃくると、城門の外から悠然とクリングヴァル先生が現れた。

 追われている様子も急ぐ気配もなく、散歩から帰ってきたような気安さだ。

 まあ、シュドゥアゲルト公国の騎士の強さのレベルは初等科生並みだったし、ややましな者でも中等科生並みだったから、クリングヴァル先生がどうこうされるとは思っていなかったけれどね。


「少しは協調しろよ、スヴェン。一人で突っ込んでいきやがって」

「ふん、シュドゥアゲルト公国軍じゃあ練習相手には弱すぎる。あんなのは、とっとと片付けるに限るぜ」

「それじゃ、片付けてきたんだな?」

「愚問だな。連中、雪崩を打って逃げ始めたよ」


 どうやら、クリングヴァル先生は本当にシュドゥアゲルト公を討ち果たしてきたようだ。

 奇襲の混乱に乗じたとはいえ、あっさりとまあ。

 でも、気にしても仕方ない。

 クリングヴァル先生だし。


「本当にシュドゥアゲルト公を討ってきたんですか、クリングヴァルさん。知ってはいましたが、とんでもねえな」


 何とも言えないような表情を浮かべて現れたのは、レオンさんだ。

 さっきまではノートゥーン伯と話していたが、クリングヴァル先生が帰ってきたのを見て二人でこっちに近付いてきた。

 レオンさんは、アウグスタの防衛のために来ていたのだろうか。


「なんだ、レオンじゃねえか。ルイーゼは放っておいていいのか? パユヴァール公の後継でごたごたしているんだろ?」

「後継はフェルディナンドの子供のヴィルヘルムで決まりですよ。ただ、まだ幼いんで、ランゲンブルク侯が後見人になることになりましたがね。ルイーゼは、そのために奔走することになりましたが」

「ふーん。それで、出陣の準備は整ってんのか?」

「そいつはちょっと無理ってもので。ホーエンローエ家の意志を統一し、軍を揃えるにはまだ半月はかかりますよ。だから、おれがアウグスタで食い止めようと、こうして出張ってきていたんで。正直、クリングヴァルさんのお陰で助かりましたよ」


 聞けば、アウグスタには衛兵程度の警察力しかなく、シュドゥアゲルト公程度の進軍でも十分脅威だったようだ。

 聖修道会からも、ぼくたちの救援に感謝する人が出てきているらしい。

 ノートゥーン伯とエスカモトゥール先生は、そっちの対応に行ってしまった。


「当面の脅威であるシュドゥアゲルト公を潰し、パユヴァール公がまだ出陣の準備が出来ていないなら、ぼくらは当座休養できる感じですかね?」


 ぼくら的には疲労はしていないが、高等科生は疲労困憊だ。

 今日は流石にアウグスタで休息だろう。

 ついでに二、三日のんびりしたいところではある。


「あー、どうなんだ、ビヨルン。ここで休ませたら、追い込んだ意味はないよな」

「そうだな。夜間長駆もやってないし、小休止したら出発でいいんじゃないか?」


 鬼がいた。

 いや、クリングヴァル先生は元からこういう人か。

 でも、ストリンドベリ先生も似たようなタイプだとは。

 まあ、筋肉が服を着ているような人だし、多少予想はしていたけれども!


「まあ、何だ、アラナン。とりあえず頑張れ」


 同情を顔に浮かべて、レオンさんが肩に手を置いてくる。

 学院生だった時代から、クリングヴァル先生の鍛練好きは有名だったみたいだからな。

 くそう、レオンさんめ、自分は関係ないと思って!


 ここにいたら、何をされるかわからない。

 鍛練狂と筋肉至上主義者からは離れておくべきだ。

 そう判断すると、路上でへたりこんでいる高等科生たちに近付くことにした。

 大胆にも馬の傍らで大の字になって寝転がっている女性は、カサンドラ・ペルサキス先輩だったか。

 ドゥカキス先生と同じグリース人だったはずだ。

 精も根も尽き果てた様子で転がっている。

 うら若き乙女としては、いささかはしたない格好だ。


「カサンドラ先輩、幾らなんでももう少ししゃっきりしましょうよ。見なさいよ、中等科生のヴォルフガングの方がもう少しましな体勢で休んでいますよ」

「放っておいてよ、アラナン・ドゥリスコル……。あたしらはあんたみたいな化け物じゃないんだ。普通の人間なのよう」


 カサンドラ先輩は動物を使役する魔法の使い手であり、基礎魔法ベーシックの練度は中等科に毛が生えた程度だ。

 それだけに、この強行軍は堪えたのだろう。

 だが、別にぼくだけが平気なわけではない。

 クリングヴァル先生から魔力再循環リサーキュレーションの指導を受けた者は、みなさほど疲労はしていないのだ。


「ほら、さっさと起き上がりや。ええ年して恥ずかしゅうないんか、ほんま」


 カサンドラ先輩に言い返すことができず立ち尽くしていると、ジリオーラ先輩がやってきて彼女の手を引っ張った。

 カサンドラ先輩は、確かジリオーラ先輩より前に高等科生になっていたはずだ。

 つまり、後から上がってきたジリオーラ先輩やぼくやマリーに追い抜かされたということでもある。

 それで面白くないところもあるのだろうか。


「あんたみたいなぽっと出の女に海は自分のものですみたいな顔されたくないのよね。多島海はアシーナイの庭だわ」

「ほなセイレイス帝国にそう言いや。実際、多島海もグリースの土地も、全部セイレイス帝国が我が物顔でのさばっとるやないか。ジュデッカに言うんは筋違いやで」


 かつて海上の覇権を握っていたグリース人は、ジュデッカ共和国に対して快く思ってないようだ。

 でも、それって千年以上前の話だよな。

 ジリオーラ先輩が呆れるのもわかる。


 だが、怒りは人の気力を奮い起こさせる。

 大の字になっていたカサンドラ先輩が、起き上がってジリオーラ先輩と口論を始めていた。

 何だ、まだ限界じゃなかったんだな。

 実際、ぼくがクリングヴァル先生の鍛練を始めたときは、こんなに優しくはなかった。


 ヴォルフガングやステファン・ユーベルも、談笑しながら馬の世話を始めていた。

 思ったより、彼らも逞しいのかもしれない。


「アラナン、今夜はアウグスタで美味しいもの食べようよ」


 マリーが笑顔で提案してくるが、ぼくは両手を広げて大きく息を吐いた。


「今夜は夜間行軍の調練だってさ。すぐに出発になるよ」

「なにそれ! 信じられないわよ! もう、うちの指揮官は頭おかしいんじゃないの!」


 残念ながら、鍛練に関して頭がおかしいのは否定しない。

 ぷりぷり怒るマリーを宥めながら、ぼくは立ち上がりつつある高等科生たちをもう一度眺めた。

 うん。

 これならきっと大丈夫だ。

 まだ彼らも脱落はしまい。

 本当の限界は、まだその先にあるのだから。

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