第二十二章 選帝侯会議 -9-

「──正気かい?」


 呆れたようなセンガンの声が響く。


「至って正気だよ」


 タスラムを仕舞うと、アセナの基本的な構えを取る。

 だが、センガンが止まったのはそれではない。

 ぼくが、神の眼スール・デ・ディア太陽神の翼エツィオーグ・デ・ルーを解除したからだ。


「三段階目に到達しているボク相手に互角に戦えているのは、キミが加護を持っているからだ。そのふたつの加護を切ってしまったら、悪いがキミ程度の力じゃボクの相手にはならないんだが」

「そうだろうな」


 否定しても仕方がない。

 センガンの言っていることは正しい。

 ぼくの現在の実力では、正面からぶつかれば勝ち目はない。


 もっとも、あれを使えば勝つ可能性もあるが──祭司サケルドスから使用は禁止されている。

 大魔導師ウォーロックにも見せたことはないしね。

 ちょっとばかり、被害が大きすぎるからな。


「はあ──がっかりだよ、アラナン・ドゥリスコル。それじゃあボクが楽しめないじゃないか」


 センガンの雰囲気が変わった。

 張り詰めた空気が解け、体を弛緩させている。

 それでも、一瞬の油断もできないのは同じだ。

 武人としての力量は、明らかに彼の方が上である。

 緊張を途切らせずに、額に集中させていた魔力を一度解放して体を再循環させなければならない。


 神聖術セイクリッドの発動には、幾つか段階がある。


 かつてのノートゥーン伯のように、一瞬だけ虚空の魔力を引き出すのが第一段階。

 それの維持ができるようになって第二段階。

 そして、引き出す魔力の量を爆発的に増やす第三段階。


 太陽神の加護があるぼくは、並みの第二段階よりは強力な神聖術セイクリッドを扱うことができる。


 だが、正面から撃ち合ったら第三段階のパワーの方が上だ。


 だから、センガンには打ち負けてしまう。

 それを覆すには、こちらも第三段階の門を開くしかない。


 だが、これまで幾度も練習をしてきたが、まだ第三段階は一度も成功していなかった。

 理屈ではわかっているんだが、これをやるには精密な魔力操作が必要になる。

 さもなければ、大量に引き出した魔力に飲み込まれ、自爆行為になりかねない。

 学院に入ったときもそうだったが、こういう繊細な操作は得意じゃないんだよな。

 一度やり方が掴めれば、そんなに難しくはなくなるんだけれど。


 体内の魔力を丹田に集束させながら、虚空への門を開こうとする。

 繋がりは感じられるんだが、その出入り口は小さく狭い。

 これを大きくしなければならないのだが──。


 思わず、大きく後ろに飛び退く。

 センガンの拳が正面から飛んできたのだ。

 何の変哲もない突きだが、神の眼スール・デ・ディアの補助がないから恐ろしく速く見える。

 というか、遠間だから飛び退けたが、至近ならかわせなかっただろう。


「ほれ見ろ。そんな様で戦いになるか。ボクを舐めるのも大概にしろよ」


 センガンは首を振ると、地を蹴って距離を詰めてくる。

 ここだ!

 ここで虚空から魔力を引き出せなければ、とても彼には太刀打ちできない。

 細く狭い穴を一気に広げ、強引に魔力を──。


「ぐはっ!」


 引き出した瞬間、途方もない魔力の奔流に飲まれ、体が弾け飛びそうになった。

 引きちぎられる。

 全身の細胞が、全方位に吹き飛んでいくような感覚。


 ──制御しきれない。


 魔術エレメンタルで集める魔力とはあまりに異質で荒々しい。

 加護を伴わない状態では、ここまでじゃじゃ馬なのかよ!


 不幸中の幸いなのは、この荒れ狂う魔力にセンガンも近付いてこれないことか。

 だが、このままじゃぼくの体は四散して世界中に飛び散ってしまう。

 もしくは、虚空へ引き込まれて飲み込まれるか。

 どっちにしろ楽しくない未来だ。


 焦って魔力を抑え込もうとするが、巧くいかない。

 嵐に飲み込まれた小舟のようなものだ。

 なすすべもなく、翻弄される。

 本当にまずい。

 破裂する──。


 どうしようもなく迫りくる死を感じたとき、不意に両肩に冷たい手が置かれた。


 同時に、暴れまわる魔力が一瞬で抑えられる。

 魔力が凍りついたかのように、その動きを止めたのだ。


「──主様、ちくとおいたをし過ぎでござんせんか」


 冷気が降りてくる。

 だが、その言葉には、温かみがあった。


「すまないイリヤ……。ちょっと無茶をした」

「意地の張りすぎでござんしょう」


 ファリニシュの視線が、センガンに向けられる。

 彼の体は狼の冷気によって凍りついていた。

 だが、暴虐なまでの魔力が放出されると、その氷が破片となって砕け散る。


「面白いよ。イリヤ・マカロワ──ペレヤスラヴリの白き魔女め。この程度でボクとやり合うつもりかい」

「戦いには相性がござんすよ。そこはわっちの間合いでありんす」


 センガンが動こうとした瞬間、またその足許が凍りついた。

 彼の母親なら、此処まであっさりと術を食らうまい。

 だが、拳士であるセンガンは、まだこういう搦め手の術に弱いようだ。

 爆炎には耐えられても、冷気には動きを止められてしまうのか。


「面倒な女め」


 再び、センガンが魔力で強引に氷を砕いた。

 そして、一気に後方に飛び、距離を取る。


「おい、アラナン・ドゥリスコル。今日はボクの勝ちだぞ。忘れるなよ。キミは、女に助けられたのだと言うことをな!」


 そして、そのまま身を翻した。

 急速に去っていくセンガンの気配に、大きく息を吐く。

 言われなくても、わかっていたことだ。

 今回はどう考えてもぼくの負けだろう。

 ファリニシュが来なければ、殺されていてもおかしくはない。

 いや、その前に自滅していた可能性もある。


「急ぎなさんすな、主様。まだ、次に進むにははようござんす」


 ファリニシュの手から流れる魔力が、ぼくの狂った魔力を整えていく。

 それでも、全身の痛みと倦怠感は取れなかった。

 彼女の言うとおり、まだぼくには早いのだろうか。

 だが、敵がぼくの成長を待ってくれるとは限らない。

 なにより、これから戦乱の時代へと突入しようとしているのだから。


「──飛竜リントブルムに会わなければ。ぼくには、彼の教えが必要だ」

「順番でござんしょう。主様が飛竜リントブルムと対峙するとき。それは──」


 ファリニシュが言葉を切った。

 だが、その飲み込まれた言葉の続きは、ぼくにもわかった。


 初等科で黒猫シャノワールと、中等科で執事バトラーと戦ったのは、いずれも進級試験のときだ。


 ならば、飛竜リントブルムを超える。


 それが、学院の卒業試験になるのだろう。


 だとしたら、冒険者ギルドに行っても、彼は相手をしてくれまい。

 彼が待つのはただひとつ。


 ビュルグレンの上級迷宮だ。

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