第二十一章 乱世の胎動 -10-
翌朝、まだ日が昇らぬうちにフランヒューゲルを出発する。
暗いうちにシュペッサルト山地を越えようとすると、魔物がうようよ上昇してくる。
多くの魔物は高速移動で振りきれるが、たまに素早い魔物も飛んでくる。
そういう魔物はタスラムで撃ち抜き、順次撃墜、掃討した。
中には高く売れそうな魔物もいたが、回収する余裕もないので断念する。
シュペッサルト山地を越えてすぐ見えてくるのが、ヴェルハイムの街だ。
想定通り進んでいれば、パユヴァール公は今日此処を発つか、今日此処に来るかくらいの日程のはずだ。
日が昇り始める頃、市場の商人たちからパユヴァール公の情報を集める。
どうやら、やはり昨夜到着していたようだ。
急げば、出立前に面会できるだろうか。
急いで教えられた宿に向かおうとしたが、不意に違和感が全身を貫いた。
そうだ。
見張られている。
この街には初めて来たし、来たばかりだというのにぼくを見ているやつがいる。
監視の仕方は素人ではない。
ぼくくらい感覚の鋭い者でなければ、気付かない程度の気配であろう。
この類いの密偵を派遣してくる者といえば、シュヴァルツェンベルク伯くらいしか心当たりはないな。
何故見張られているか。
それは、市場でパユヴァール公を探していたからだ。
すると連中、パユヴァール公に接触する者を見張っているということなのだな。
気付かない振りをしつつ、細い小路に入った瞬間上空に舞い上がる。
慌てて後を追ってきた男をやり過ごし、その背後に回り込む。
「ぐっ」
隠密には長けているかもしれないが、戦闘技術は大したことはない。
目をつぶっても勝てる相手だ。
尋問してもよかったが、時間が惜しいし、そのまま放置することにする。
見張っていたのは、こいつだけ──いや、こいつが捕らわれると同時に動き出した気配がある。
ちっ、二重の見張りとは、手が込んでいるな。
だが、ぼくを撒けると思われても困るぜ。
駆け去ろうとしたのは、路地の隅に座っていた老人だった。
いや、老人は変装した姿か。
老人とは思えぬ機敏さで駆けていくが、路地をひとつ曲がる前に、ぼくの
うん、見張りは二人で終わりのようだな。
だが、こいつらが戻らないことを怪しまれれば、すぐに拘束はばれる。
さて、そうなる前に急いでパユヴァール公に会いに行くか。
教えられた宿に行くと、出立の準備で従者たちが忙しく動き回っていた。
こいつらに取次を頼んでも、忙しいと断られるのが落ちであろう。
だが、パユヴァール公が宿泊するこの宿が、無防備であるはずがない。
宿の中からは、複数の兵の気配がある。
正面から入って素直に通してくれるとも思えない。
とはいえ、直接パユヴァール公の部屋に侵入でもしようものなら、書状を読んでもらう前に人を呼ばれるのが落ちだろう。
殺すのが目的なら駆けつける前に処理できるが、今回は目的が違うからな。
そこで目を付けたのは、外に出てくる騎士だ。
従者や兵と違って、騎士クラスならレナス帝領伯の封蝋の紋章もわかるだろう。
都合がよさそうなのは、厩にいる騎士だな。
「お早うございます、騎士殿。いい朝ですね」
馬に塩を舐めさせていた初老の騎士が、その姿勢のまま答えてきた。
「──少年、どこかの刺客か? おぬしのような手練れが、ヴェルハイムのような小さな街に、目的もなく現れるはずもなかろうて」
「刺客なんてとんでもない。ぼくはレナス帝領伯の使いです。パユヴァール公に書状を持って参りましたので、お取り次ぎ願えれば有り難いのですが」
「ふん、取り次いでもよい──が、その前に、貴様の名前を聞かせてもらおうか。その隙のなさに見合わぬ、魔力の痕跡のなさは異常すぎる。子供のなせる業ではない」
「名乗るのは構いませんが、宜しければ騎士殿の御名も教えて頂けますか?」
「ふん、それは、貴様の名前次第だな」
初老の騎士が、初めて振り向いてぼくの顔を見た。
戦いの年輪が顔に刻み込まれた男だな。
騎士の力量としては、ボーメン王の筆頭騎士フレデリック・フォン・ヴァルトシュタインと同程度かな。
「ぼくは、アラナン・ドゥリスコルです。これが、レナス帝領伯と、それとボーメン王の書状です」
差し出した書状を受け取った騎士は、白い髭を撫でて口許を歪めた。
「──ふん、その名前は聞いたことがある。去年のベールのフェストで、
「バーベンベルク家──ヴァイスブルク家の前にエーストライヒ公爵位を所有していた家柄ですね」
「ふん、貴様らヘルヴェティアがアレマン人の貴族を追い出さなければ、わしらの先祖も所領を奪われることもなかっただろうがな」
「いやあ、それは流石に責任は取れませんが──きっとこの書状が少しは役に立つと思いますよ」
書状を受け取ったヴォルフラム卿は、くるりと踵を返すと付いてこいと言いたげに右手を動かし、歩き始めた。
後ろを付いて歩き出すと、早速ぼくを見つめている気配を察知する。
やれやれ、当然この宿も張られているようだな。
シュヴァルツェンベルク伯の手下は、一体何人派遣されているんだか。
宿の一階の食堂では、三十人ほどの兵が食事を食べている最中のようであった。
ヴォルフラム卿はその間を縫うように進み、階段を昇っていく。
その後ろに続いて階段を昇り、最上階の三階までたどり着いた。
階段の一番奥の部屋には二名の騎士が警護に付いており、ヴォルフラム卿の姿を見ると警戒を解いて道を開けた。
だが、後ろにぼくがいるのを見ると、再び警戒心を顔に浮かべる。
「ヴォルフラム卿、その者は──」
「
ヴォルフラム卿がにやりと笑うと、警護の騎士も苦笑を浮かべ、そして扉をノックした。
「閣下、ヴォルフラム卿がレナス帝領伯の使者を連れて参りました」
「通せ」
部屋の中から聞こえてきた声は、抑揚のない乾いた声であった。
ヴォルフラム卿に続いて部屋の中に入ると、中には二人の男が朝食を食べている最中であった。
奥にいる老人が、恐らくパユヴァール公であろう。
覇気のない目と、大きく膨らんだ腹に軽く失望を覚える。
こいつは、何かを動かせるタイプの人物には見えない。
「これは、ベールの英雄。一瞥以来ですな、アラナン・ドゥリスコル」
そいつがいるのは、部屋の外にいるときから気配でわかっていた。
赤毛に対応するかのような赤い上着の貴族。
ボーメンの
ミヒャエル・フォン・シュヴァルツェンベルク。
エーストライヒ公の右腕だ。
「ブレスラウで会ったのが最後でしたっけ。いつも意外なところでお目にかかりますね」
「ふふ、わたしがパユヴァール公のところに使者に来るのは意外なことでも何でもない。君が
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