第二十一章 乱世の胎動 -9-
パイヴァルトに着くと、ボーメン王はすぐに書状を認めてくれた。
王よりもむしろ、王妃が皇帝になった方がいいんじゃないかと思ったのは内緒だ。
パイヴァルトの街にはすでに夕闇が迫っていたが、今日は無理をしても帰還する気になっていた。
不思議な高揚感が、ぼくを包んでいたのだ。
国王夫妻との会話に当てられたのか。
いや──ポルスカのときとは違い、自分が時代の中にいるという実感があったのだ。
あのときは傍観者だった。
だが、いまは動きの中心にいる。
夜の帳が降りてくる中、パイヴァルトを出発し、西に向かって飛び立つ。
夜空の星は、神々の眼だ。
昼は強烈な太陽の光に隠れているが、夜は遠くから大地を見下ろし、隙を窺っている。
そう、真っ先に目にするのは、宵の明星アシュタルテーだ。
夜になると暗躍を始めるこの女神が、もっとも油断がならない。
フランヒューゲルに戻ったときには、すでに月も中天に差し掛かっていた。
真っ直ぐ宿に向かうと、ハンスを訪ねる。
ちょうど、彼は夕食を取っているところだった。
「早かったね、アラナン」
「空は混んでなくてね」
「それはよかった。返書も受け取ってきたのか?」
ぼくが頷くと、ハンスは手で合図をして上に来るように言ってきた。
階段を登り、レナス帝領伯の部屋まで来る。
ノックをして中に入ると、
「今日帰ってくるとは思わなかったぞ、アラナン・ドゥリスコル」
「王妃殿下が積極的でして」
返書を差し出すと、レナス帝領伯は封を破り、急いで目を通した。
「ふむ。パユヴァール公にエーストライヒ公の爵位をくれてやることにしたようだな。これは驚いた。我々が考えていた以上に豪胆な方だ」
「ボーメン王より、王妃殿下の方が勇ましい様子でしたよ」
「さもあろう。リンブルク家の血筋は、もともとそれほど激しい気性ではない。こういうときには、あの方が王妃でよかったと思える」
「パユヴァール公がフランヒューゲルに着く前に方針を決めてしまえば、マイン大司教にも手出しはできまい。これで、エーストライヒ公を出し抜ける」
皇帝の側近として、長くエーストライヒ公と対峙してきたレナス帝領伯は、あの父子の異常性をよく理解していたのかもしれない。
「しかし、本当に戦争になるのでしょうか」
クルト卿に勧められ、パンとワインを戴きながら疑問を投げかけた。
その疑問に、クルト卿は唇の端を上げた。
「少なくとも、レナス川流域の騎士は、いつでもそうする覚悟を固めている。それは、聖修道会が後ろ楯になっての話だぞ」
「聖修道会が?」
考えてみれば、学長はレナス川流域の小領主層である騎士たちを、教会に対する反乱分子にしようと工作していたはずだ。
それが、もう成果を挙げていたということだろうか。
「レナス川流域の農奴は帝国でも特にひどい扱いで有名でな。トレヴェリンゲン大司教の農奴は、敬愛する大司教の背にナイフを突き立てたくてうずうずしているのだよ」
「聖職者が農奴を持っているのですか」
「当然ではないかね、アラナン・ドゥリスコル。諸侯も騎士も、土地を持つ者は全て農奴を所有している。都市に住んでいるとわからないのかな」
いや、貴族や騎士が農奴を保有していることは知っていた。
だが、神に仕える者まで農奴を持っているとは想像もしていなかった。
聖界諸侯とは、名前の通り貴族と何ら変わらない連中のようだな。
「──アラナン君、本当に戦争になったとき、アルマニャック王国はともかく、ロタール公は必ず動くだろう。それも、ヘルヴェティアに向かってね」
「それは──まさか、マリーがいるからかい」
「そうだ。彼は執念深いからね。まだ諦めてはいないはずだ。会議の結果次第ではあるが、ロタール公の動きには気を付けておくんだよ」
ハンス・アルベルト・フォン・ザルツギッターには、ぼくには欠けている諸侯の知識がある。
こういう点では、大貴族の息子であるノートゥーン伯やハンスにはかなわない。
だが、まあ全てをぼくがしなければならないというわけではない。
足りないところは友人に頼ればいいのだ。
「さて、できた。この書状をパユヴァール公に届けてくれ。無論、明日で構わないぞ」
そして、それをぼくに差し出してくる。
「パユヴァール公の公都ミンガは、ボーメン王の都プラーガよりフランヒューゲルに近い。今頃は、かなりフランヒューゲルに近付いているはずだ。エーストライヒ公の手の者が接触してくるやもしれぬ。油断だけはせぬようにな、ドゥリスコル。──もっとも、地上でお前をどうこうできる者もそうはおるまいが」
「大丈夫ですよ──お任せください」
書状を受け取ると、それをすぐに
「できれば、ホーエンローエ嬢の協力を受けたいところなんだが。まだ連絡はつかないか?」
「フラテルニアからなら、ミンガからと大差はないからねえ。もう少しで到着すると思うけれど」
レオンさんとルイーゼさんと会いたいね。
あの二人なら、きっといい方策を考えてくれる。
でも、彼らがきてからでは遅いのだ。
手遅れにならないうちに、手を打たなければならない。
夕食の時間には大分遅くなっていたが、冷えた肉料理とパンくらいは出してくれるという。
固くなった肉を食べながら、ハンスにフレデリック卿の印象を語ってやった。
ボーメン最強の騎士という話だが、ぼくの見たところ実力はハンスとそう変わらないように思えた。
「フレデリック卿は、二回前のフェストに出たことがあるんだ。確か、二回戦でメディオラ公に敗れたはずだ。わたしと同じだな」
「いまのハンスなら、列国でも指折りの騎士に数えられてもおかしくないね。
「レナス帝領伯の剣は独特だからな。身に付けた剣を土台から壊された気分だよ。でも、今までの自分がいかに盲目だったかを気付かされた。ぼくの剣は、力に頼りすぎていた」
「うん。大分隙がなくなったね。ティナリウェン先輩ともいい勝負ができるんじゃないかな」
「あの人は戦士の見本のような人だ。五感も鋭いし、学院で最も剣を使う人だろう。その人と並ぶと言われるのは、悪い気はしないな」
「まだまだだ」
肉の残りを頬張りながら、ナイフを軽く横に振った。
「
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