第二十一章 乱世の胎動 -1-

 セイレイスの艦隊が去って三日後、ジュデッカの艦隊が再びリンドス島にやってきた。

 皇帝スルタンの身柄はリンドス騎士団に引き渡したので、ヘルヴェティアとしてはもうセイレイスとリンドスとの交渉に立ち入るつもりはない。

 後は、ジュデッカの船に乗って帰るだけだ。


 だが、帰国する前に一度学院の生徒たちを夕食に招待したいと、リンドス騎士団総長ギュスターヴ・ド・ヴァレットが言ってきた。

 別に行きたくもなかったが、ノートゥーン伯やマリーは断るわけにはいかないと主張し、招待を受けることになった。


 リンドス城は堅固な作りの実用的な城である。

 大聖堂のような華美な装飾はまるでなかったが、絵だけはとても巧いものが飾ってあった。

 代々の城主の肖像画なのかな。

 時代によって画風も変わるようだが、最近のものは特に色使いがまるで本物のように鮮やかで息を飲む。


 武骨な広間の中央には長いテーブルがあり、奥にはリンドス騎士団総長ギュスターヴ・ド・ヴァレットが立っており、左右には彼の妻と息子が控えていた。

 その隣にはジュデッカの艦隊指揮官ルチアーノ・ブラマンテがおり、ヴァレット総長の正面にはセイレイスの皇帝スルタンヤヴズが尊大に座っている。


「ようこそ、護民官トリビュヌス

「お招きを有難う、騎士団総長ホーフマイスター


 マティス護民官が進み出て、ヴァレット総長と抱き合った。

 次に護民官は彼の妻子と抱き合い、それからぼくたちを紹介した。


「手前がノートゥーン伯爵」


 マティス護民官が、まずノートゥーン伯に掌を向けた。

 ヴァレット総長は微笑むと、その言葉に続けた。


「アルビオンの若き獅子」

「光栄です、総長閣下」


 ノートゥーン伯は進み出ると、アングル人らしい生真面目な礼を取った。


「その隣がブラマンテ嬢」

「ジュデッカの蒼き真珠」


 総長の言葉の後に、ジリオーラ先輩は些か元気のいい礼を取る。


「初めまして、ヴァレット総長」

「いやいや、提督からお噂はかねがね」


 ジリオーラ先輩の兄はジュデッカの艦隊指揮官だ。

 ヴァレット総長とも、昔からの知り合いらしい。


「で、彼がエアルのドゥリスコル」


 次に、マティス護民官はぼくを紹介する。

 ヴァレット総長の彫りの深い目が、大きく見開かれた。


「おお、この少年が小竜というわけだな。フェストでレナス帝領伯と引き分けた」

「お耳汚しをして申し訳ございません、閣下」

「いや、今回の戦いでも随分活躍したと聞いたぞ。多くの船を沈め、名だたる黒石カアバの祭司を幾人も倒したとか。流石は大魔導師ウォーロックの教え子よの」


 右手を胸に当てて礼をすると、ヴァレット総長は近付いてきて、ぼくの肩を叩いた。


「エアルの出身の割りには、礼儀作法がしっかりしているな。ルンデンヴィックで仕込まれたか? 此処は宮廷じゃない。もっと楽にしていいぞ」

「恐縮です、閣下」


 なかなか話せそうな人だ。

 まあ、確かにこんな島で宮廷作法なんて持ち出しても仕方ないだろうが。


「その隣が、ダルブレ嬢」


 マティス護民官がマリーを紹介すると、ヴァレット総長の口許は僅かに緩み、そして皇帝スルタンの目が興味深そうに輝いた。


「アルトワの黄金の薔薇。いや、お美しい」

「光栄ですわ、閣下」


 マリーの礼は、ジリオーラ先輩に比べるととても優雅である。

 流石に貴族の令嬢なだけのことはある。

 猫をかぶっていれば、普段の彼女の姿は想像もつかないだろう。

 特に、今日のようにドレスなんて着ている日には余計にだ。


「さあ、座ってくれ。リンドスの料理はアルマニャックのようにお上品ではないが、量だけはあるぞ」


 長テーブルの上には、すでに料理が山と積まれていた。

 揚げたミートボールやスパイスをまぶした焼きチーズ、羊肉のピラフ、種々のパンに山盛りのサラダ。

 皇帝スルタンの前には、魚料理もある。

 確かに、アンヴァルでも満足できそうな量が並べられているな。


 ヴァレット総長が座り、彼と奥さんと息子はルウムの聖句で食前の祈りを捧げた。

 聖公会アングリカンも聖修道会もその点では同じなのか、みな同じように十字を切っている。


 皇帝スルタンだけは別な聖句を唱えているようだが、特に誰も言及はしなかった。

 ヴァレット総長も皇帝スルタンも、お互いの信仰に干渉する気はないようだ。


 食事は概ね和やかに進んだ。

 冷酷と言われる皇帝スルタンだが、意外と理性的で激したりはしない。

 ヴァレット総長はマティス護民官と昔の戦いの話で盛り上がり、ジリオーラ先輩は兄と口喧嘩をしていた。

 そして、ぼくとマリーは皇帝スルタンから何故かよく話しかけられた。


ダルブレ嬢フロイライン・ダルブレの話は、至高の帝国デヴテッティ・アリエにも届いておるぞ」


 皇帝スルタンの声は、穏やかですらあった。


「ロタール公がいたく執心の令嬢とか。こうして会ってみると、その理由がよくわかるというものだ。これだけの美しさは余の後宮にもそうはいない」

「ご冗談を、陛下」

「いやいや。余は嘘や冗談を好まぬのでな。常に本当のことしか言わぬ。ドゥリスコルもそうは思わぬか?」

「は……いえ……その……仰る通りかと……」

「何だ、はっきりしないことよな。それはいけないぞ、ドゥリスコル。男には、優柔不断になってはいけないときがふたつある。人に命令するときと、そして女性を相手にするときだ」

「至言でございますわ、陛下」


 冷や汗を垂らしながら返答をしていたが、一方で皇帝スルタンへの警戒も強めた。

 ロタール公がマリーを狙っている話が耳に入っているのなら、皇帝スルタンは当然マリーの力についても知っているはずだ。

 下手に興味を持たれたら、今度はセイレイスにも狙われることになりかねない。


「そういえば、そなたらはイスタフルのヒッサール家に縁があったようだな」


 皇帝スルタンが急に変えた話題に、ぼくは一瞬ついていけなかった。


「皇子はわたしたちの同級生でしたわ」

「皇帝とは至高の帝国にのみいるもの。イスタフルの王の息子は、王子というのだ、ダルブレ嬢」

「あら、陛下。申し訳ございません。わたしは陛下の家臣ではございませんので、帝国での呼称には詳しくございませんの」


 ぼくはこういう場には慣れていないんだが、マリーはやけに余裕があるな。


「無論、此処は余の宮廷ではない。些細なことは許そう」


 皇帝スルタンヤヴズは西方からは極めて恐れられている人物だ。

 実際、瞳に宿る知性の光は、彼が油断ができない人物であることを示している。

 だが、それでも理性のない暴虐な男ではなさそうだ。


「その君たちの親愛なる友人が帰ったお陰で、イスタフルは混乱状態にある。そうでなければ、この敗戦に乗じて攻め込んできたであろう。余は彼らから大分恨まれていたからな」

「イスタフルが混乱? ハーフェズは一体、イスタフルで何をしているんです?」

「聞きたいのか?」


 皇帝スルタンは愉快そうに笑った。

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