第二十章 リンドス島攻防戦 -12-

 火縄銃マスケットの銃口が冷たく光る。


 無機質な輝きも、自分に向けられたものでなければ頼もしく思えるのかもしれない。

 だが、ずらりと並んだ銃口が、全てこちらを向いているというのは、やはり人を落ち着かない気持ちにさせるものだ。


 撃たれる前に撃て。

 祭司サケルドスたちの教えはシンプルだ。

 情けや逡巡は、戦士の寿命を縮める。

 決断は迅速に。

 必ず、行動を伴えと。


 火縄銃マスケットが火を噴く前に、タスラムの銃弾で敵の最前列を薙ぎ払う。

 鮮血を噴いて兵が倒れる間に、フラガラッハを構えて飛び込んだ。


 血の颶風ぐふうとともに、火縄銃マスケットを持つ兵たちを蹴散らした。

 中に飛び込まれ、慌てて片刃の小刀ヤタガンを抜こうとした兵もいるが、多くは抜く前に血飛沫を上げて倒れる。

 返り血よりも素早く、ぼくは皇帝親衛隊イェニチェリの本陣を駆け抜けた。

 立ち塞がろうとした兵は、ことごとく鮮血の海へと沈んでいく。

 皇帝スルタンのいる幕舎まで、もう少しだ。


「オヌヤクラシュ近付けティルマインさせるな!」


 幕舎から豪奢な刺繍を施した絹の服を着た男が出てきた。

 聞いていた皇帝スルタンよりも老齢なところを見ると、あれは大宰相ザドラザムルスラン・イスマイール・ハサンであろう。

 神の眼スール・デ・ディアで測ってみたが、特に魔力は持ち合わせていない。

 あれはただの老人だ。


 だが、皇帝スルタンの下で、三軍に指揮をする実質的な指揮官は彼である。

 あれを討てば、事実上セイレイス帝国軍の機能は止まるはずだ。


 タスラムを構え、大宰相ザドラザムに向けて発射する。

 高速で飛ぶ弾丸は、しかし老人の前に割って入った兵によって防がれた。

 距離がある分、銃では射線を悟られてしまうか。


「任せよ!」


 ノートゥーン伯が、剣を構えて加速アケセレレイションを使う。

 兵の間を光のようにすり抜け、大宰相ザドラザムまで駆け抜ける。

 ノートゥーン伯の神聖術セイクリッドは、基礎魔法ベーシックの鍛練とともに明らかに進化していた。

 剣閃の煌めきとともに大宰相ザドラザムの首が落ちると、それがはっきりとわかった。


 指揮官を殺された兵がいきり立ってノートゥーン伯に斬りかかるが、一瞬の加速アクセレレイションで十人ほどの兵の首が宙を舞う。

 いまのノートゥーン伯は、ぼくでも勝つのが容易でない力を身に付けていそうだ。


「アラナン、皇帝スルタンを捕虜にしろ。それで、戦争は終わりだ」


 道を斬り開きながらノートゥーン伯の許まで行くと、敵兵を威嚇しながら彼が言った。

 成る程、殺すよりも確実かもしれない。


 幕舎の中には、数人の文官と小姓、そして一際大きな宝玉をはめた帽子をかぶった初老の男がいた。

 ただ一人座るその男こそ、皇帝スルタンであろう。


カバ無礼な! ディズ・チュク膝まづかせよ!」


 皇帝スルタンの脇にいた小姓が叫ぶ。

 だが、反応する兵は、すでに幕舎の中にはいなかった。

 さて、どうするか。

 ぼくはセイレイスの言葉はわからない。

 とりあえず、皇帝スルタン以外始末するべきだろうか?


「リンドスの者か」


 フラガラッハを握り直したとき、皇帝スルタンが、ヴィッテンベルク語で話しかけてきた。

 ほう、流石に偉い人は教養がある。


「ヘルヴェティアの者です、陛下。残念ながら、貴方はいまからぼくの捕虜となっていただきます」

「余を捕虜にするだと? 至高の帝国デヴテッティ・アリエの最高権力者、神の代理人たる余に命令するつもりか?」


 ぼくの言葉に憤ったか、小姓が剣を抜いて斬りかかってくる。

 刃をかわしざま、一撃で首を刎ね飛ばすと、フラガラッハの切っ先を皇帝スルタンに突きつけた。


「申し訳ないですが、ぼくは貴国のターヒル・ジャリール・ルーカーン将軍よりも強いですし、ジャファル・イブン・ナーシル長老より魔法も使えるんですよ。抵抗するだけ、余計な血が流れるとご忠告しましょう」


 剣を握ったこともなさそうな文官たちは、ひとにらみすれば震え上がって立ちすくんでいる。

 それに比べれば、流石に皇帝スルタンは豪胆であった。


「この状況では抵抗するだけ無駄なようだな。よかろう、余の身体を貴様に預けよう」


 皇帝スルタンは立ち上がると、後ろに手を組んでぼくを見下ろした。


「戦闘を終結させよ。貴様の目的は、それであろう。大宰相ザドラザムに余の命令だと伝えよ」

大宰相ザドラザムなら、先刻戦死されていましたね」

「何だと──仕方ない、宰相ヴェズィールムフタール・デミレル、そなたがいまから大宰相ザドラザムだ。行って、兵に戦闘停止を命じてこい」


 皇帝スルタンの命令で、文官の一人が幕舎の外に出ていく。

 皇帝スルタンヤヴズは傲然と立ったまま、まだぼくを見下ろしていた。

 この男、もう五十近い年齢に見えるが、この幕舎の中にいる者の中では一番武術の心得があるな。

 だから、ぼくの力を感じ取ったのだろうか。


空の悪魔ゴウキューズ・シェイタナが余の顧問を殺したと報告があった。貴様のことだな、アラナン・ドゥリスコル」

「ぼくのことをご存じだとは思いませんでした」

至高の帝国デヴテッティ・アリエに入らぬ情報はない。世界を支配しているのは、レツェブエルにいる老人ではなく、余なのだ」

「その割にはまずい戦をされましたね、陛下」

大宰相ザドラザムの采配も老いたということだろう。手堅く備えすぎたのだ」


 話している間に、ノートゥーン伯とマリー、ジリオーラ先輩がさっきの文官と一緒に中に入ってきた。


「御意を得て光栄でございます、陛下」


 ノートゥーン伯は膝を突き、皇帝スルタンに礼を取った。

 マリーとジリオーラ先輩も、ノートゥーン伯の後ろで拝礼している。


「貴様も来ておったか、アルビオンの手先が」

「陛下はわたしをご存じのようで」

「貴様はエリオット・モウブレーであろう。アングル人らしい雰囲気が身体中から出ておるわ。で、何の用だ」

「兵を船団に戻してほしいのです。そして、陛下には身代金が届くまで、城に滞在していただこうかと」

「撤兵だけでなく、身代金も要求するか? 欲をかきすぎると身を滅ぼすぞ、ノートゥーン伯爵」

「交渉は」


 ノートゥーン伯は恭しく頭を下げた。


「城でリンドス騎士団総長と行っていただきます。わたしたちはただの傭兵ゆえ」

「ふん、ジュデッカに雇われたか。ベールの評議会に、ジュデッカの三倍の額を支払わなかったのが、余の失敗であったわ」


 不機嫌そうに皇帝スルタンは言った。

 それを聞いて、ジリオーラ先輩は顔を上げ、にこりと笑った。


「せり落とすんはジュデッカの得意分野でおますよって、堪忍してえな、陛下」


 皇帝スルタンは白くなりつつある顎髯を撫でると、愉快そうに破顔した。

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