第二十章 リンドス島攻防戦 -1-

 五月のリンドス島は、上着を着て走ると暑いくらいの気温である。

 海の近くは潮の匂いが強いが、全体的に風は乾燥している。

 この季節、雨は少ないらしい。


 リンドス島は、ノストゥルムの内海に浮かぶ小さな島である。

 すぐ北にはセイレイス帝国の領土たるミクラジア半島があり、南西には大きなカンディア島が東西に広がる。

 カンディア島やリンドス島から北の海は、ノストゥルムの内海とは別に多島海と呼ばれている。

 それだけ小さな島が多く、古来からグリース人が船で行き来していた。


 海洋に進出しようとするセイレイス帝国にとっては、このリンドス島は最大の障害である。

 此処を支配するリンドス騎士団はルウム教会の作った教会騎士団であり、異教徒の船をしばしば攻撃した。

 広大な帝国内の流通を海路で成立させたいセイレイスの皇帝スルタンが、このリンドス島の攻略を急ぐのも無理はなかった。


「ジュデッカの艦隊は、セイレイスの新型ガレー船を警戒しているのかな」


 小高い丘の上から洋上を臨むと、ずらりとジュデッカ共和国の誇るノストゥルム艦隊が勢揃いしていた。

 ノストゥルムの内海の覇権を担う偉容があるが、セイレイス帝国はこの艦隊に対抗するため、大砲の積載量の大きな新型艦を建造したらしい。

 それが、リンドス島の北三十海里(約五十五キロメートル)にあるミクラジア半島のマルマリに集結しているのだ。

 激しい戦いになるこよは必至である。


「しているだろう。今回は皇帝スルタンは本気のようだ。だが、海戦はジュデッカの艦隊に任せるしかない。わたしたちの出番は、敵が上陸してきてからだ」


 ノートゥーン伯がぼくの独白に応える。


 ヘルヴェティアの連合評議会で、兵をジュデッカに傭兵として貸し出す決議をしてから約三ヶ月。

 マティス護民官を将軍とするヘルヴェティア傭兵軍二千が編成され、ジュデッカへと出発した。

 兵はルツェーアン、アルトドルフ、ヴァルテンの各都市から選抜されており、学院の生徒の入り込む余地などない。

 だが、学長がマティス護民官と話し、強引に教師を一人と学院生を八人、独立部隊として同行させたのだ。


 教師の一人とは、無論クリングヴァル先生である。

 だが、先生は面倒事を嫌い、早々にノートゥーン伯の肩を叩くと指揮権を彼に委譲してしまった。

 個人の武勇は傑出しているが、指揮官としては失格である。

 いや、有能な部下を抜擢して任せるというのは、逆にいいことなのか?


 貧乏くじを引いた形になったが、ノートゥーン伯は前回のポルスカ王国の経験で慣れたか、落ち着いているようであった。

 マティス将軍が開く幕僚会議も、クリングヴァル先生がノートゥーン伯を派遣すると言っているので、行かざるを得ないようだ。

 それくらいは先生が出ようよ。


 派遣された残りの学院生は、マリーとジリオーラ先輩の他にはティナリウェン先輩、トリアー先輩、ベルナール先輩、そしてファリニシュである。

 高等科生のランキングの上位七人が勢揃いだ。


 そして、ジュデッカでガレー船に乗せられ、ノストゥルムの内海を東に進み此処リンドス島まで連れてこられた。

 目的は、セイレイス帝国の侵攻から、リンドス島を守ることである。

 リンドス騎士団の支配下には、リンドス島以外にも大小様々な島があるが、今回はまずは本拠地防衛を優先するようだ。


皇帝の軍団フェイラク・スルタンに逆らうとは、度胸のあることよ」


 ティナリウェン先輩は、黒石カアバ教徒だ。

 先輩の故国イフリキア王国も、何度も黒石カアバ教徒の波に押し流された過去を持つ。

 それだけに、セイレイス帝国の怖さはよく知っているのだろう。


「リンドス騎士団は、教会の設立した聖なる神の軍団だよ。異教徒の皇帝スルタンなど、恐れるものか」


 アルマニャック王国出身のベルナール先輩は、強硬なルウム教徒だ。

 ティナリウェン先輩とは、意見が対立しやすい。


「何の神さんを信じてようがええんちゃいますか。うちらは金をもろうて此処におりますねん。もろた金の分だけ働くだけや」


 ジリオーラ先輩は、当然商人が改宗することの多い聖修道会だ。


「そうさね。戦えるなら、何でも構わないよ、あたしは」


 巨躯を震わし同意するトリアー先輩は、学院に来てから聖修道会に改宗した。

 ダンメルク王国はルウム教国であったから、当然元はルウム教徒である。

 だが、規制をかけ自由な商取引を阻害するルウム教会より、商業者の権利を認める聖修道会に人が流れるのも、時代の趨勢である。

 北の海に君臨するデーン人の先輩は、当然その思想に同調していた。


 これに楢の木ロブル教徒のぼく、聖公会アングリカンのノートゥーン伯、聖修道会のクリングヴァル先生とルウム教徒のマリーがいるのだ。


 宗教的統一性は、まるでない。


「セイレイス帝国の軍が精強なのは、常備軍があるからだ。いまの西方諸国は傭兵が主流で、軍隊を常設する国はない。これでは対抗できないと、ヘルヴェティアでは各自由都市ごとに常設の軍を整備するように定めている。今回の出兵は一部しか来ていないが、率いているのはマティス将軍だ。容易にセイレイスの軍に負けることはない」


 ノートゥーン伯は自軍の不利を言い立てないようにしているが、結局勝敗を決まるのは艦隊戦だ。

 セイレイスの新型艦隊に、ジュデッカのノストゥルム艦隊が敗れれば、精強無比の帝国常備軍カプクル皇帝親衛隊イェニチェリがやってくる。

 敵に上陸を許せば、数の差で勝ち目はない。

 こちらの兵は精々数千。

 セイレイス帝国は、少なくとも万を超える兵を送ってくるだろう。


 だが、学院の生徒たちにはあまり不安そうな者はいなかった。

 それほど自分の力に自信があるのであろうか。


「ジュデッカはほんまは帝国と戦いとうはないんや。お得意さんなんやからな。せやけど、海に皇帝スルタンが出てくるんは許せへんねん。海はうちらの領分や。皇帝スルタンは陸地を支配してればええねん。のこのこ海にまで出てきなや」

「いいこと言うねえ。気に入ったよ、ジリオーラ」


 トリアー先輩とジリオーラ先輩は、気性的に近しいものがあるようだ。


「ジュデッカ艦隊の提督は、うちの兄ルチアーノ・ブラマンテや。無敵のノストゥルム艦隊が、皇帝スルタンの鈍重船に負けるはずがないねん。必ず、勝ちよるで!」

「それが一番だ。そうなりゃおれたちは出番なし。楽でいい」


 クリングヴァル先生は、そう言いながらも槍を振るう手を休めたりはしない。

 一日中鍛練は欠かさない人だ。


「だが、お前らは魔力圧縮コンプリミールンクの練習中だったよな。まずは、口より魔力を動かせ。この程度のこともできないやつは、中等科に落第させるぞ」


 先生は、学長から遠征中の生徒の指導も命じられているらしい。

 ぼくやノートゥーン伯はともかく、魔力圧縮コンプレッションの甘いジリオーラ先輩やマリー、そして全くできないティナリウェン先輩、トリアー先輩、ベルナール先輩はかなり絞られている。

 槍の柄で叩かれるトリアー先輩を横目で見ながら、ぼくはノートゥーン伯と顔を見合わせた。


 セイレイスの新型艦隊は、二、三日中に来るだろう。

 ぼくたちの命運も、そこで決まるのだ。

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