第十九章 白光の脅威 -1-
ハーフェズ・テペ・ヒッサールの姿が、フラテルニアから消えていた。
ダンバーさんと
すでに学院からは卒業していたハーフェズだが、街からもいなくなると寂しさもひとしおである。
更に、アルフレート・リヒャルト・フォン・ローゼンツォレルンもまた、学院を中退して北へと去っていった。
彼の場合は、プルーセン騎士団総長である叔父の死が原因であり、その現場にいた者としてぼくもマリーも何処か後ろめたい思いを抱えていた。
そのせいか、旅立つ彼に何か思うことを全て伝えきれた気がしない、何かもやもやした別れになってしまっていた。
悔いが残る。
そもそも、一月のフラテルニアは雪も多く、氷点下の気温も度々ある。
雲が厚く垂れ込め、薄暗い日が続けば、気持ちまで陰鬱になってしまうものだ。
遠く東の方では、
そんな疑問の中、ペレヤスラヴリ公国の東に新たにモスコフスカヤ公国が誕生したという一報と、南にキリム王国が誕生したという一報が連続して入ってきた。
「要するに、モスコフスカヤ公が、
長く
それ自体も驚きだが、勝利を収めたことはもっと目を見張る出来事である。
そして、あのデヴレト・ギレイが
元々、
そんな情勢の変化もあったが、概ね大陸は平穏であった。
ポルスカ王国は完全にヤドヴィカ・シドウォの手中に落ち、王国の貴族たちはヤドヴィカに服従せざるを得なかった。
それは、ボーメン王に服していたシロンスク公も同様であり、マヴァガリーとの連携もあってポルスカの勢威は増す一方であった。
ヤドヴィカは国内のルウム教徒を弾圧こそしなかったものの、要職からは遠ざけていた。
そのため、ポルスカにおいてはルウム教以外の宗教が肩を切って歩くようになった。
状況から言って、東の脅威が軽減したポルスカ王国が隆盛していくのは当然の流れと言える。
そして、そこで
どう考えても、不吉な予感しかしない。
そして、そんな状態をいや増して不景気にしてくれるのが、しょぼくれた顔をしているヘルマンだ。
先日のランキング戦でヴォルフガングに負け、ついに初等科トップの座を明け渡したらしい。
そりゃあ、仕方ないだろう。
中等科レベルに達していないヘルマンが、高等科レベルの力量を持つヴォルフガングに勝てるはずがない。
あいつは、とっとと上に上げればいいのだ。
「辛気臭いのはよしてよね、ヘルマン。アラナン先輩が暗い顔をされているじゃない」
「放っとけ、アリステーアよう。大体何で、てめえが此処にいやがるんで」
落ち込んでいたヘルマンに、アリステーアが絡む。
すると、二人で喧嘩を始めるのだ。
ぼくとしては、他所でやってほしい。
「だって、ヘルマン、貴方アラナン先輩から、拳を教えてもらうつもりでしょう? だったら、わたしも教えてほしいんだもん」
「はああ? 女なんかが、駄目に決まっているだろう」
「ヘルマンに聞いてないもーん。アラナン先輩がお願いしているんですー」
「おれは、兄貴の弟分だぞ!」
非常にやかましい。
友人たちの姿が見えないのは、ハンスは中級迷宮攻略が大詰めを迎えており、それにかかりきりになっているためだ。
そして、マリーは学長のお供でベールに赴いていた。
連合評議会が開催されるということで、マリーは見学に連れていかれたのだ。
無論、ファリニシュも同道している。
ノートゥーン伯とジリオーラ先輩はルツェーアンに出掛けており、ぼくとアンヴァルだけが取り残されていた。
「アリステーアは、イニリ・ニシの出身なんだって?」
話題を変えようと、アリステーアに話しかけてみる。
とにかく、この二人に言い争いをさせていたらたまらない。
「はい。グランピアンの高地地方最大の都市ですね。でも、田舎ですよ、田舎。なーんにも、ありません。スヴェーア人が暴れまわるから、商人もやってこないですしね」
アルビオンは元々セルト系の部族が住んでいた島だが、何度か語ったように南部はアングル人やザッセン人に征服され、元の住民は駆逐されたか支配下に組み込まれた。
一方、北部にはスヴェーア人やデーン人が侵入し、未だに混沌とした状態だ。
グランピアン王国はそんな中、かろうじてセルト民族の王国を保っていたが、実態は危ういものである。
「でも、御山はわたしたちの故郷ですからね。余所者の好き勝手にさせられないんですよ。わたしも強くなって帰ってこいと言われてまして──」
「征服者を打倒することを期待されているわけか。──エアルの
ぼくも、アングル人を追い払うために育てられたようなものだ。
幼少時から、
だが、
強硬派がぼくを担いで暴発することを恐れたのであろう。
穏健派の代表が、エーリントン侯たるオスカー・ウェルズリーだ。
ぼくをアルビオンの都ルンデンヴィックに招き、女王と引き合わせて学院に送り出すことを承諾させた。
だが、強硬派がこのまま黙っているとも思えない。
グランピアン王国のように、侵略に立ち向かう道を選ぶ者もいる。
同じセルト民族同士、エアル人とグランピアン人で連携を図ろうとする者もいるのだ。
「アラナン先輩は、セルトの誇りですよ。いつかわたしも、その横で戦いたいものです」
「おいおい、兄貴の横で戦うのは、弟分であるおれの役目だぜ」
「貴方はアレマン人でしょう、ヘルマン」
「下らねえ。ヴァイスブルクの家名だって、おれには関係ねえんだ。アレマン人とか、エアル人とか、関係あるか!」
ヘルヴェティアの理念的には、ヘルマンの言葉の方が正しいのだろう。
よりによって、こいつに教えられるというのも皮肉なものだが、平等を謳う以上、エアル人だろうとアレマン人だろうと些末なことだ。
だが、果たしてぼくはヘルヴェティアの理念に賛同しているのか?
エアルの全てを捨て去ったのか?
いや──とてもそうとは思えない。
人が、そう簡単におのれの過去を放り出せるはずがないのだ。
「でも、何れは──グランピアン王国にも行ってみたいものだな。ハイランドの荒野を渡る風は冷たく厳しいと聞くけれど、その寒風に鍛えられた人は鋼のように頑健だそうだね」
「はい。グランピアン人は、どんな状況でも決してへこたれませんわ」
アリステーアの笑顔は柔らかかったが、その体内には硬い芯が通っている。
見所があるのは間違いなさそうだ。
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