第十八章 アプフェル・カンプフェン -3-
一年も終わりに近い十二月の二十日が、
その日は朝早くから、カレルとヘルマンが
どれだけ楽しみにしているんだ。
「そんなに早く行かなくたって、林檎は逃げやしないよ」
朝の訓練を終わらせて、体を拭いているところに飛び込まれたぼくは、渋い顔で二人を諭す。
「逃げるんだよ。勝利の女神は足が速いことで有名なんだぜ!」
何処の知識かわからないことを、カレルはぺらぺらと捲し立てる。
相変わらず口は達者なやつだ。
「勝つためには人の先手を取るべし、です! 何でも天辺を目指しましょうぜ、兄貴!」
ヘルマンは何処かずれている気はするが、勝利には貪欲だな。
まあ、その姿勢は悪くない。
「仕方ない、行くか。アンヴァルは──」
部屋に姿が見えないアンヴァルは、当然朝食の真っ最中であった。
ぼくはアンヴァルの皿からパンとソーセージだけ失敬すると、怒号と悲鳴を背にしながら二人を連れて学院に向かう。
アンヴァルはカンプフェンに関係ないし、好きなだけ食べていればいい。
学院の掲示板にはカンプフェンの出場班と構成が貼り出されており、その前には
こんなの、企画したのはどうせカレルだろう。
「いやあ、どうせ二人余る計算なんだよ。余ったところには、教師が補助に入る案も出されていたらしいが、
「無から
「いやあ、ちゃんと学長の許可も取っているんだぜ。それよりほら、おれたちは倍率一・二倍。優勝候補筆頭の一番人気だ。嬉しいけれど、儲からないねえ」
「ジリオーラ先輩が二番人気、マリーが三番、ノートゥーン伯が四番人気か。意外と低いな。初等科生だけの班は流石に倍率が高い」
今回は儲ける気はないが、それでも自分の班を金貨一枚分買っておく。
やるからには、自分を応援しないとな!
「兄貴、林檎ですぜ」
掲示板の横にもうひとつブースがあり、エスカモトゥール先生とドゥカキス先生が林檎の配布をしていた。
魔力を通すと、頭の上にふわんと浮かぶ。
これを奪われれば、その選手は戦死扱いだ。
「魔力が尽きたら落ちるってことだ。気を付けろよ、ヘルマン」
ヘルマンは、まだ
長時間
そこらへんは、中等科に進んだカレルのが上手である。
ただ、単純な剣技なら、ヘルマンのが上だ。
もっとも、今回は武器は持ち込めない。
だが、自作の魔道具は三つまで持ち込める。
「おい、アラナン・ドゥリスコル! 今日こそ貴様の化けの皮を剥がし、決着を付けてやるからな。覚悟したまえよ!」
やけにきらびやかな羽根帽子を斜めにかぶり、右手でそのつばを押さえるポーズを作りながら、変な男が現れた。
──いや、わかっているよ。
サルバトーレだよ。
全く、何であんなに優秀な親から、こんな息子が生まれるんだろう。
「おい、ヘルマン、
「いやですねえ、兄貴。おれは
言葉の雰囲気から莫迦にされていることに気付いたか、サルバトーレは憤慨して左手の人差し指をぼくに向けた。
「そもそも、野蛮な貴様らはラティルスの文明の偉大さが理解できておらぬのだ。今日の勝負で負けたら、貴様らはわたしにスファルツァの家名の偉大さを称えて膝まづくのだぞ!」
偉大さと言ってもなあ。
スファルツァ家って、親父さんは傭兵からの成り上がりじゃないか。
まだ、ヘルマンのヴァイスブルク家の方が由緒は正しそうだ。
「わかったわかった。何でもしてやるよ。その代わり、負けたらもう大人しくしてろよ」
「本当だな! 約束したぞ!」
サルバトーレは、右手で帽子を押さえたまま空を仰ぐと、勢いを付けて左手を払った。
何のポーズだ。
「──行くぞ、サルバトーレ……。あんまりそっくり返ると、転ぶぞ……」
陰鬱そうな声で、サルバトーレの後ろからアドリアーノ・ヴィドーが現れる。
サヴァギア伯の三男なんだから、貴族としてもう少し社交的でもいいと思うんだが、彼は滅多に人と話さない。
あの上目使いでこちらを見られると、背筋がぞぞっとするんだ。
一応は、中等科でも五本の指に入る使い手のはずなんだが、どうしてそういう雰囲気が感じられないんだろう。
いや、いけない。
これも偏見かもしれないからな。
少なくとも、サルバトーレのように変なちょっかいをかけてこないだけましだと思おう。
アドリアーノに引きずられるように、サルバトーレが去っていく。
やれやれ静かになったと思ったら、そこに、マリーたちがやってきた。
「あら、アラナン、早いのね」
「カレルとヘルマンが張り切っててさ。宿まで来るんだよ」
「まあ、楽しみで眠れなかったんじゃないの、ヘルマン」
手の甲を口に当て、楽しそうに笑った。
マリーにしてみると、ヘルマンは手のかかる弟みたいなものなんだろうか。
ヘルマンは唇を尖らせて膨れている。
「そんなガキじゃねえって……。今日はマリーにだって負けねえや」
「あーら、わたしにそんな口をきくのは十年早いのよ、ヘルマン」
マリーはヘルマンの頭を押さえ、右拳をぐりぐり押し付けている。
ヘルマンは叫び声を上げて嫌がったが、マリーが逃がさない。
最近クリングヴァル先生にしごかれて、マリーの体術の技倆が上がってきている気がするな。
「やあ、賑やかだね、アラナン。おはよう」
「いい朝だね、ハンス。今日は宜しく」
ハンスとは、がっちり右手を握り合う。
彼は常に正々堂々真正面からぶつかってくるだろうし、勝っても負けても爽やかさを感じられる稀有な人間だ。
こういうやつと親友であることは、一生の財産だと思うな。
「ハンス・ギルベルト。彼がアラナン・ドゥリスコルですか?」
声をかけてきたのは、よく鍛えられた長身の騎士であった。
「そうだ。紹介するよ、アラナン。先月学院に入学したヴォルフガング・フォン・アイゼンブルクだ。レツェブエルで騎士叙任を受けたばかりらしいんだが、皇帝陛下とレナス帝領伯がいたく気に入られたらしくてね。陛下からの直接の推薦入学は久しぶりだそうだよ」
ハンスに言われ、もう一度よく彼を眺めてみる。
確かに、初等科にしては隙のなさが目立つな。
ヘルマンとは、ちょっといまの時点での完成度が大分違う。
柔和で人当たりもよさそうだが──。
瞳の奥には野心を感じる。
なかなか、油断のできないタイプの人間じゃないか?
「宜しく、ヴォルフガング君。
「はい」
爽やかにヴォルフガングは笑った。
「アラナンさんに叩きのめされてこい、と。それでお前はもう一段階強くなれると仰っていました。是非──」
そして、その目が不敵に輝く。
「叩きのめしていただきたい」
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