第十七章 飛竜の拳 -10-

「そなたはどう分析する、エリオット」


 学長に問われ、萎れていたノートゥーン伯が頭を上げた。

 こういう分析にかけては、伯爵の右に出る者はそういない。


「は──帝国に於いては、これは皇帝たるレツェブエル家とエーストライヒ公たるヴァイスブルク家の争いです。が、レツェブエル家には次代の皇帝の候補者がいない。必然的に、縁戚のリンブルク家が候補者を擁立することになるでしょう。つまり、鍵となるのは、学長のおっしゃる通りボーメン王国。此処で、何らかの陰謀を仕掛けてくると思われます。此処さえ切り崩せば、帝国の中には対抗できる敵はいない。ですが、ユリウス・リヒャルト・フォン・ヴァイスブルクは、ヴィッテンベルク王にはなれても、皇帝にはなれないかもしれません」

「せやね。教皇が認めなければ、皇帝の戴冠はでけへん」


 ジリオーラ先輩の同意に、ノートゥーン伯も頷いた。


「さよう。そのとき、ヴァイスブルク家とルウム教会の対立が激化すると思われます。しかし、これはあくまで帝国内部の話でしかありません。外に目を向けるならば、アルビオンとスパーニアの対立、アルビオンとアルマニャックの対立、セイレイスの帝国への再侵攻、タルタル人の西進の警戒など、課題は山積しておりますな」

「うむ。ヴァイスブルク家が、教会に頼らぬ皇帝を目指しているのは間違いない。その意味では、ルウム教会とも対立するわしらとは、共通する要素もある」

「そこがちょっとわからないんですよね。何故、ルウム教会と対立しているのに評議会やギルドに教会勢力の介入を許しているんですか?」


 前々から疑問に思っていたのだ。

 ルウム教をヘルヴェティアから追い出し、聖修道会セント・レリジャス・オーダーを国教としている割には徹底しきれていない。

 それどころか、妥協している面が節々に見受けられる。

 ポルスカ王国でも、ルウム教と手を組んでいた。

 本来は、逆であるべきではないのか。


「ふむ、まあ、そりゃ全面的なルウム教との対立は、都合が悪いからじゃよ。いまはまだ、帝国に対するルウム教の浸透度は高い。いまわしらに対して聖戦の布告を出されては、流石に太刀打ちできんわい。大陸西部を全て敵にまわすようなものじゃからの」


 身も蓋もないが、これが現実的な対処なのか。

 冒険者ギルドという利用価値があるから、目障りだが泳がせてやっている。

 その代わり、評議会に監視者は送り込むぞ。

 ルウム教の方針はそんなところだろうか。


「ジリオーラは、今後の帝国の傾向を、どう見ておる」


学長に意見を求められると、ジリオーラ先輩はぺろりと唇を舐めた。


「せやね。長らく帝国を支えてきた騎士階層──下級貴族が衰退してきとるんよ。ポルスカの戦いでも、傭兵が主体なんや。傭兵に支払うんは、金やろ? 畑を耕す農奴を支配する領主より、銭を生み出す自由都市の商人の時代なんや。せやから、生き残れるんは大きな領土を持つ諸侯だけやねん。淘汰される下級貴族は、帝国や教会に不満を持つやろね」


 新しい視点だった。

 そんなことを考えたことはない。

 流石は商人出身のジリオーラ先輩だな。

 伊達にぼくらより長く高等科生をやっていない。

 学長も、満足そうに頷いていた。


「うむ。ウルリッヒも同じ意見じゃった。特に、トレヴェリンゲン大司教領の周辺は、小さな騎士領が多い。ウルリッヒは、聖修道会の布教の重要地域を三つ挙げておってな。そのうちのひとつが此処じゃ。ちなみに、残るふたつのうち、ひとつはエリオットの指摘したボーメン王国じゃな。では、マルグリットよ、最後のひとつが何処かわかるかの」


 学長に尋ねられると、マリーは少し気まずそうにおずおずと言った。


「あのう──わたし聖女修道院フラウミュンスターに寄宿しているんで、割りと修道女の方たちと話すんです。だがら知っているんですが──それって低地の国々ペイ・ド・プレンのことですよね」


 低地の国々ペイ・ド・プレン──地元では、ラーヘ・ランデンと呼ばれるその地方は、フランデルン伯爵領やブリュバン公国など大小の領邦から成る地域だ。

 海や河川の多い地域で発達するのは当然商業であり、商人の力が強い。

 となれば、商人が信仰する聖修道会セント・レリジャス・オーダーの力も強くなるのは必然だ。

 皮肉なことにこの地域の主たる領邦であるフランデルン伯爵領もヴァイスブルク家のものであり、そしてマリーの故郷であるアルトワ伯爵領と隣接している。

 更に、この地域には皇帝家たるレツェブエル家の直轄領であるレツェブエル伯爵領も存在していた。

 前の帝都があったボーメンから、時代はこの低地の国々ラーヘ・ランデンに移ろうとしていたのだ。


「うむ。低地の国々ニーダーレンダーもまた複雑な事情が絡み合う地域での。元々は帝国の領邦じゃが──いまは、スパーニア・ヴァイスブルク家の影響力が強くなっておる。スパーニア・ヴァイスブルク家はルウム教会との結び付きが強くての。エーストライヒ・ヴァイスブルク家と同調するのか否か、これも先行きは不透明じゃ」

「そう言えば──以前、レオンさんをフリースラントに派遣されてましたね。フリースラントも同じ地域ですよね。ひょっとして、その件ですか?」

「よく覚えておるの。そうじゃ。フリースラントの聖修道会の信者たちが、暴動を起こそうとしておっての。武力蜂起はまだ早いと、宥めに行かせたのじゃ。レオンはフリースラントに顔が利くしの」


 ふむ、帝国とヴァイスブルク家、ルウム教会に絡む形で、今後紛争が起こりそうな地域は以上の三つだというわけね。

 ボーメン王国。

 トレヴェリンゲン大司教領。

 低地の国々ラーヘ・ランデン

 そして、これにはヘルヴェティアも密接に関わることになると。

 それ以外にも、セイレイスやアルビオンのような外で動くところはあるだろうけれど、そちらは恐らく関わらないんだろうな。


「わしらの今後の活動は、その三つの地域が主になるじゃろう。そのうち、そなたらにも行ってもらうかもしれぬ。いまから、そのための準備はしておくのじゃな」


 ふーん。

 ボーメン王国は今回ちょっと見てきたけれど、ビールの印象が強烈だったな。

 また行ってみたいものだ。

 トレヴェリンゲン大司教領は余り行きたいとも思わないが、低地の国々ラーヘ・ランデンなら、行ってみたいね。

 確か、フランデルン伯爵領のブルーゼには、商人ギルドの四大商館のひとつが置かれていたはずだ。

 商人ギルド本部のある帝国北部のルベークの発展に押され、最近のブルーゼはやや勢いがないらしいが、それでも人の賑わいは大層なものだろうし、珍しいものも見られるかもしれない。


「──うほん、観光ではないからの。それまでは、今回で得た経験をもとに各自研鑽に励むことじゃ。スヴェンにも、手加減をするなと申し付けておいたからの」


 おっと、顔色を読まれたか。

 ぼくって、考えていることがすぐ顔に出るたちなのかな。

 そして、思わず口に手を当てて読まれないよう隠した横で、マリーとジリオーラ先輩が突っ伏していた。


「いやー、クリングヴァル先生の訓練、あれで十分地獄なんですけれどー」

「ありえへん。あれで手加減していたとか、ありえへんから!」


 うん。

 本当の先生はもっと容赦がないんだ。

 残念だけれど、頑張ってくれ、二人とも!


「アラナン、おぬしもじゃ。センガンに拳で勝てるようにしごき直すと張り切っとったぞ」


 本当ですか!

 いや、有り難いけれど──ぼくも地獄確定だな、こりゃ。

 同じように机に突っ伏したぼくを見て、マリーとジリオーラ先輩がころころと笑った。

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