第十三章 皇帝を護る剣 -14-

 状況はわからない。


 だが、実際問題として、皇帝が一人でギデオン・コーヘンの兇刃にさらされようとしている。

 何らかの理由で警護の人間を離し、皇帝の許にコーヘンを手引きしたやつがいる。


 だが、いまそんなことを考えていても仕方がない。

 常に従っている最後の砦、黒騎士シュヴァルツリッターはいま皇帝の傍らにいないのだから。


 考えてみれば、最も危険な時間帯じゃないか。


 そして、あれこれ考えている暇はない。

 黒騎士シュヴァルツリッターの寸前まで迫った門の破壊者ツェルシュトーラー・デス・トーレスを解き、神銃タスラムを構える。


 駄目だ、被害を観客に及ばないようにするための強力な結界がある。

 あれはちょっと撃ち破れない。

 ならば、結界のない上空だ。


 急制動をかけながら反転し、空に向けて二発、神銃タスラムを撃つ。


 弾丸の軌道はこっちで制御できる。

 弧を描くように結界を迂回し、コーヘンの頭と短剣を狙う。


「ぐっ」


 衝撃がぼくを襲った。

 黒騎士シュヴァルツリッターの刃が、ぼくを貫いたのだ。


 表示される致死判定。

 畜生。

 痛みで意識が薄れそうになる。

 だが、これで気絶したら、何のために反転したのかわからない。

 しっかりしろ、莫迦。

 ぼくの目の前で、皇帝暗殺事件なんて起こさせてたまるものか。


 唇を噛み破って、意識を繋ぎ止める。

 神銃タスラムの弾丸は、まさに振り下ろされようとしていた短剣を手首の先ごと吹き飛ばした。

 間髪を入れず、次弾でコーヘンの頭を柘榴に変える。


 あの人狼ウェアウルフ、これで死んだかはわからない。

 だが、少なくとも脳を吹き飛ばされた損傷は、すぐには再生しないはずだ。


 ゆっくりと皇帝が振り返り、その表情が驚愕に変わったであろうことを想像しながら、ついにぼくの意識は途切れた。


 夢の中で、ぼくが叫んでいた。

 何で、皇帝を助けたのかと。

 ぼくは帝国の人間ではないし、皇帝警護の任も受けていない。

 ぼくの任務は、フェストで黒騎士シュヴァルツリッターを倒し、優勝することだったはずだ。

 自分の任務を疎かにし、他人の仕事に手を出した挙げ句、自分の任務を失敗するとかどんな愚か者かと言うのだ。


 まあ、そうかもしれない。

 苦労して黒騎士シュヴァルツリッターを追い詰め、精神まで揺さぶって得た千載一遇の好機を自ら手離したのだ。

 利口ではないんだろうな。


 だが、少々ヘルヴェティアの威信が揺らぐのと、皇帝がベールで暗殺されることを比べたら、事の大小は比較にならない。

 そもそも、コーヘンをあそこまで見逃していた警備の連中の責任であって、そこがちゃんとしていればぼくは勝っていたのだ。


 いや、わからないけれどね。

 黒騎士シュヴァルツリッターは、まだあそこから逆転の手を残していたかもしれない。

 でも、確率は高かったはずだ。


 ああ、そうか。

 こんな声が聞こえるってことは、ぼくは結構悔しかったんだな。

 皇帝を助けない方が、より後悔するってわかっているんだ。

 でも、単純に負けたことはやっぱり悔しい。


 ぼくは、かなり負けず嫌いだったんだな。


 まどろみの中でとりとめもなく考えていたのだが、不意にその思考が騒音で邪魔をされる。


 何だ、うるさいな。

 もう少し静かにできないものかね。

 ゆっくり眠れないじゃないか。


「──たのお見舞いなんて要りません! 皇帝陛下が襲撃されたんでしょう。まず、犯行を手引きした人物でも探しに行ってきたらどうなんですか」


 ああ、これ騒いでいるのマリーだ。

 何を怒鳴っているんだ?


 ぼんやりと思いながら目を開くと、ファリニシュの顔が視界に入ってきた。

 再生レジェネレイションを使っていたのか。


「静かにしなんせ。主様が気が付きなんした」


 ファリニシュの一喝で、マリーがおし黙る。

 一体、誰と言い争っていたんだ。


 体を起こそうとして、痛みに顔をしかめる。

 結構、何ヵ所か斬られたもんなあ。

 出血もしていたはずだ。

 よく見ると、体に包帯が巻かれている。

 大袈裟な、とも思ったが、ファリニシュの治療がなければ、実際暫くベッドから離れられない程度には重傷だったみたいだな。


「大丈夫? アラナン」


 部屋には、ファリニシュとマリーとジャンしかいなかった。

 三人組とアンヴァルはどうしたんだろう。

 そして、マリーが争っていた人物が部屋の中に入ってくる。


 漆黒の衣裳に身を包んだ謹厳な表情の老騎士。

 何だ、レナス卿じゃないか。

 皇帝を放置して、ぼくなんかのところに来ていていいのか?


「目覚めたか、アラナン・ドゥリスコル」

「お陰さまでね。こんなところにきていていいんですか? ギデオン・コーヘンは、どうなりました?」

「心配ない。コーヘンは死亡した。頭を撃ち抜かれては、さしもの彼奴も再生は無理だったようだな。そして、わしが陛下の側を離れたわけではない。何故なら、陛下はこちらに来ていらっしゃる」


 おいおい。

 冗談だと思ったら、本当だった。

 黒騎士シュヴァルツリッターの後ろから、上質の絹のシャツと天鵞絨ビロードの上着を着た痩せ衰えた老人が現れる。


 ヴィッテンベルク皇帝、バルドゥイン・フォン・レツェブエルその人だ。


「そなたがアラナン・ドゥリスコルか」


 皇帝の声には、すでに力はなかった。

 全体的に生気が薄れている。

 病気というより、寿命なのだ。

 残酷なほどに、はっきりとわかってしまう。


「──はい、陛下。こんな格好で申し訳ございません。何せ、いま気付いたばかりでして」

「よい。朕の命を救ってくれたのだ。当初何が起きたのかさっぱりわからなかったが、魔導画面ビルツィルムの映像でやっと理解できてな」


 ああ、当然、太陽神の翼エツィオーグ・デ・ルーの全力の動きなんて誰にも視認できないよな。

 神聖術セイクリッド行使中でなければ、コーヘンの所業に気付いても止めるのは間に合わなかっただろう。

 皇帝は運がよかったね。


「まずは、朕を救ってくれた英雄に感謝を。優勝の懸かった一戦で、自らの勝利を投げ出してまで朕を助けたこと、帝国は決して忘れぬ。その勇気ある行動に、帝国騎士ライヒスリッターに叙任してやりたいところであるが、そなたはアルビオンとヘルヴェティアのふたつの国の管轄であるらしいな。グウィネズ大公め、打つ手が早いというものだ」


 帝国騎士ライヒスリッターって。

 この上、帝国の運命まで背負わされたらたまらないよ!


「礼といってはなんだが、決勝の結果は朕の名で無効扱いにしておいた。ベールの運営も認めおったよ。今回は、朕の最後の願いを叶えようと、レナス帝領伯にも迷惑を掛けたな」

「我未だ未熟にして、優勝する力量がなく、申し訳ございませぬ」

「何、扱いとしては両者優勝にでもするだろうさ。此処の市長はしたたかだ」


 両者優勝ね。

 消化不良でもやもやした結果ではあるが、それならヘルヴェティアの面子も立つのかな。

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