第十一章 闇黒の聖典 -5-
翌朝、皇帝襲撃事件は、ベールでも大きな噂となっていた。
襲撃者が
実際はわからないがそうなっても不思議はないし、ルウム教会も反対はすまい。
さて、それはともかくとして、今日は四試合なので会場への入りも遅い。
それで宿でゆっくり朝食を摂っていたら、他の客に結構じろじろ見られている。
昨日までは気付かれもしなかったのに、一夜にして有名人になったようだ。
カレルが、ぼくの人形も作るかなどと不穏なことを言う始末だ。
勘弁してほしい。
「もう、腹立つわね」
マリーは朝から怒っている。
何故かわからないが、ぼくが悪いことになっているようだ。
「大体、三回戦に残っている男は、コーヘン、ダンバーさん、ティオンヴィル副伯、クリングヴァル先生、ギレイ、
「ダンバーさんは女性に人気のようだったけれど」
「あれは年増の金持ちに騒がれているだけよ! もう、今朝だけで宿の外で十人くらい雌猫を追い払ったわ」
ふーん、人気があるのかあ。
っと、まずい、鼻の下でも伸ばそうものなら、
ふう、今回は回避したようだな。
やれやれ、危うく試合前に死ぬところだったぜ。
朝食が終わって、
道を歩いていると、行き交う人が立ち止まって
しかも、ぞろぞろとぼくを囲みながら付いてくるのだ。
愛想笑いをして手など振っていたが、市庁舎の前まできたときにはすでに歩くのが難しくなっていた。
「何をやっているんです、アラナン・ドゥリスコル」
騒ぎを聞き付けたか、フロリアン・メルダースまで市庁舎から外に出てくる。
「いや、助けてよ、メルダース市長! このままじゃ、試合に間に合わない!」
「──全く。いつも世話を焼かせる人ですね、貴方は」
結局、メルダース市長が付けてくれた警備隊の人が、交通整理をする事態になった。
偶然だが、昨日助けた五人だよ。
一応、恩に感じてくれたのか、頑張って道を作ってくれる。
いや、人間思わぬところで善行が生きるものだ。
東の控え室には、すでに
今日は流石にドレスは着ていない。
白いシャツに黄色いタイを付け、焦茶色のウェストコートの上から浅葱色の外套を羽織っている。
薄茶色の半ズボンだが 、長いブーツを履いているため、足の肌は見えない。
動きやすさを優先した男装なんだろうが、これはある意味女の子の人気を一気に持っていきそうな麗人姿である。
「何やらえろう物騒なことになってはるみたいやけれど、あての助けが入り用どしたら、いつでも言いよし」
「そういえば、コンスタンツェさんは教会の方でしたね」
「そやなあ。これでも教会の
「そのお偉い方に聞きますが、今回の皇帝襲撃事件について、教会はどんな立場なんです?」
そう尋ねると、コンスタンツェさんの目がすっと細まった。
くいと顎を出し、長い睫毛を伏せ気味にぼくを睨め付ける。
「アラナンはんに似合わへん話題はやめときよし。あてはよういわんわあ」
口調は柔らかいのに、びっくりするほど冷たい印象を与えてくる。
これはいけない。
怒らせただろうか。
「すみませんでした。出過ぎた質問だったみたいで」
「気い付けや。あてのように優しいもんばかりやおへん。一言間違うただけで首がきゅっと締まりはるえ」
コンスタンツェさんの雰囲気は、元に戻っていた。
それでも、垣間見せたあの冷酷そうな表情に寒気がする。
あっちが彼女の本性だろうか。
そんなことをやっていたら、出場の時間になってしまった。
薄茶の無地の麻のチュニックを無造作に紐で縛り、短い白の
両拳は革ベルトを巻き付けて保護してあり、今日も殴り主体で行く気のようであった。
「あん獣に遅れを取るアラナンはんやおへん思うてます。どない料理しはるか楽しみおすえ」
「──まあ、精々頑張ってみますよ」
コンスタンツェさんの声に肩をすくめると、頬を両手で叩いて控え室を出る。
廊下には、ちょうど係員が登場の時間を告げに来ていた。
係員の後ろを歩きながら、出場口に向かう。
薄暗い廊下を歩いていると、否が応でも緊張が高まってくる。
ギデオン・コーヘンは、間違いなく
しかも、
負ける気はしないが、やつも実力の底を見せていない。
先に底を露呈するのは、やつかぼくか。
階段を昇り、薄暗い廊下から陽光の射す試合場に出る。
太陽を背にしているとはいえ、ちょっと眩しい。
大地が揺れ、ぼくの腹に響く。
観衆の足踏みと歓呼の声が地震のようだ。
「
知らない言語で呟いたかと思ったが、コーヘンはわざわざ帝国語で言い直してきた。
ぼくは昨日と同じ白シャツに赤と緑のチェックタイだからな。
自然とタイに目が行くのか。
「──って、結界があるから、死に到る一撃は軽減されるじゃないか」
「くくく、逆に考えるんだな。死なない程度の怪我ならば、腕がもげようが足が取れようがそのままだぞ」
怖っ。
何考えてんの、こいつ。
本格的に危ないやつだよ。
おっと、そんなことをしている間に始まりそうだ。
まずは、先制攻撃を叩き込むかな。
どの程度頑丈なのか、試してやろう。
「
「
コーヘンは、接近戦主体で遠距離はない。
なら、距離の離れている開幕に容赦なく仕掛けてやるさ!
ありったけの魔力を集めて爆炎に変える。
火があれば一番いいが、
轟音と爆風と黒煙が、ギデオン・コーヘンの体を包み込んだ。
その中心部にいたコーヘンは、普通なら五体バラバラに千切れとんでもおかしくない。
「──成る程」
致死判定はなし。
試合は続行されている。
血だらけになって吹き飛んだコーヘンは、千切れ飛んだ左手を右手で掴むと、そのまま元の位置にくっつけた。
高速で再生が始まり、みるみるうちにコーヘンの傷が消えていく。
「痛いじゃないか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます