第六章 ツェーリンゲンの狂牛 -8-

 一瞬、場内が静まり返った。

 どちらの陣営にとっても、その発言は予想外だったのだ。

 当然、ぼくも予想していなかった。

 え、急に何言ってくれちゃっているの、クリングヴァル先生!


 衝撃から先に立ち直ったのは、ユルゲン・コンラートだった。

 彼は反対側の傍聴席の最前列に駆け寄ると、柵を掴んで咆哮した。


「おれを軽く蹴散らせるだと! ふざけるな 下に降りておれと勝負しろ、アラナン・ドゥリスコル!」


 興奮して騒ぐユルゲンを見て、こっちは逆に冷静になる。

 クリングヴァル先生は、いたずら好きで割りとどうしようもない人だが、武術に関しての目は確かだ。

 先生が勝てると断言した以上、確かに勝てるのだろう。

 それが、ぼくが生死を賭けたぎりぎりの戦いになったとしてもだ。


 そもそも、ぼくとユルゲンでは、体格が圧倒的に違う。

 あっちは筋肉質の巨漢であり、こっちはごく普通の体格だ。

 元々の肉体の性能の高い人間が身体強化ブーストを掛けた方が、より強化できるのは自明の理である。

 そう考えれば、お互いに身体強化ブーストをしあって剣で戦うと、ぼくに勝ち目はないように思える。


 普通に考えれば、そうなのだろう。

 だが、クリングヴァル先生は、悪い笑みを顔に貼り付けるのみである。

 あれは、いい修行相手になるとか考えてそうな顔だ。

 ちょっとだけ、ジリオーラ先輩の助言が頭を掠める。

 あれ、ぼく大丈夫だよね?


「何を言っているのですか、スヴェン。大体、貴方に発言する権限は……」


 シュピリ市長が反論しようと口を開いたが、それが途中で消えてしまった。

 何故なら、アセナ・イリグが立ち上がったのだ。

 誰が相手でも退かない硬骨の人であるシュピリ市長が、飛竜リントブルムの圧に飲まれて口をつぐんだ。

 それだけの圧倒的な迫力が、この男にはある。


「スヴェン」


 全てを射抜くような視線が、クリングヴァル先生に突き刺さった。

 ぼくがあの視線に晒されたら、間違いなく一歩下がる。

 だが、クリングヴァル先生は豪胆にも平気な顔をしていた。


「いいのか?」

「ティアナン・オニールが、彼をこちらに寄越したんですよ。いまこういう状況にあると知っての上でね。つまり、そういうことでしょう」


 先生の言葉を聞いて、飛竜リントブルムが頷く。

 この偉大な黄金級ゴルト冒険者も、大魔導師ウォーロックの教え子だ。

 オニール学長が、自由の旗印のために育てた盟友なのだ。


「そうか」


 相変わらず、アセナ・イリグの言葉は短かった。

 それだけに、その言葉には重みを感じる。


「ならば、冒険者ギルドがアラナン・ドゥリスコルに依頼を出そう。魔術ヘクセライを使わずユルゲン・コンラート・フォン・ツェーリンゲンと神前決闘ドゥエル・フォアゴットを行い、これに勝利せよ」


 ええっ、冒険者ギルドの依頼だって?

 そんな無茶苦茶な。

 いや……形を作ったのか?

 裁きという形ではなく、ギルドの依頼で戦え、と。

 決着の後のことは、ギルドが責任を負ってくれるということか。


「ならば、仕方ないですね」


 傍聴席の柵を軽く飛び越えると、ぼくは議場に降り立った。


「依頼というより、命令ですよね、ほとんど。まあ、やりましょう。先生とその師匠に言われては、教え子としてはやらざるを得ません」


 こぼしながらも体をほぐすぼくを見て、飛竜リントブルムが僅かに目を細めた。あれ、ひょっとしていま笑ったのかな。


「じょ、上等じゃねえか! 叩き潰してやるよ!」


 地響きを立ててユルゲンが落ちてくる。

 うん、あれは降りてくるっていうより、落ちてくるだな。

 地面に衝突した衝撃で、こっちまで揺れた気がするよ。


 激しい憎悪を込めてユルゲンが睨み付けてくる。

 平常心でその凝視を受け流してやると、より一層猛り狂う。


「そ、それでは此処では何なので、両者ベール競技場ベーレン・スタディオンに移動を」


 一触即発の空気に、慌てたようにメルダース市長が仲介に入った。

 まあ、確かに議場で始められたら堪らないわな。


 場所を替えることになり、ベール競技場ベーレン・スタディオンへと移動する。

 評議会から東に向かい、時の鐘ツィットグロッゲを通り過ぎてアーレ川を渡る。


 ベールは蛇行するアーレ川に囲まれた半島状の市街を持っているが、この巨大なベール競技場ベーレン・スタディオンはその市街に収まらず、郊外に建てられている。

 此処の目玉は闘士と魔灰色熊エヴィルグリズリーの試合であり、そのための熊も飼育されているのだが、当然今日は見物に来たわけではない。


「で、どういう目論見なんですか」


 移動の途中で、クリングヴァル先生に確認する。

 この先生が、意図もなくあんなことを言うとは考えにくい。

 ましてや、師匠の飛竜リントブルムがいるのだ。いたずら半分で動く場面ではない。


「元々話し合いなんかじゃ解決しないんだ。やつら、ヘルヴェティアの法的に問題ないとわかっていちゃもん付けている。だったら、やつらの思惑に乗った上で、文句の付けようのない形で負けを認めさせるしかねえのさ」

「それって、ぼくが勝つ前提ですよね。魔術エレメンタル抜きで」

「文句なら、ティアナン・オニールに言うんだな。お前が負けるなんて、微塵も思っていないんだからよ」


 やっぱり、学長が糸を引いているんだよ。

 ぼくを使って解決させろって、手紙にでも書いていたんだろう。

 ついでに鍛えてやれとでも言ったに違いない。


「まあ、並みの中等科生なら、ツェーリンゲンの狂牛ツェーリンゲンス・リンダーヴァーンには勝てまいよ。だが、お前は仮にもこのスヴェン・クリングヴァルの弟子だ。飛竜リントブルムの系譜を継ぐ者として、敗北は許されねえからな。しっかり看板背負ってやれよ」


 もう、仕方ないな。

 ぼくは割りと単純なんだ。

 ユルゲンが身体強化ブーストを使えようがどうでもいい。

 ぼくが、本当の基礎魔法ベーシックってものを、あいつに見せてやろうじゃないか!


 ベール競技場ベーレン・スタディオンに到着する。

 評議会を出るときに、預けていた武器や道具は返してもらっていた。

 でも、武器は刃の欠けた剣しかないんだよね。

 ま、いいか。武器が殺傷力に優れている必要もないよな。


 魔灰色熊エヴィルグリズリーの咆哮が轟く中、競技場の入り口を潜って中に入る。

 いくら、ベールがベーアに因んで名付けられたからって、魔物の熊との戦いを名物にしなくてもいいのにね。


 装備を身に付けていると、黙っていたアンヴァルが何か言いたげにこっちを見ている。

 何だよ、大丈夫だよ。

 心配しなくても、あんなのにやられやしないって。


「お昼ごはんまだ?」


 思わず無言でアンヴァルの頭を叩く。

 うずくまって頭を押さえながら恨めしそうにこっちを見ているが、自業自得だ、全く!


「ううー、アンヴァルは素直に自分の心情を語っただけなのにこの仕打ち……アラナンは眷属に容赦なく厳しい野郎ですよ!」

「素直過ぎるわ!」


 全く、緊張もどっか行ったわ!


「ま、これが終わったら好きなのを食わせてやるよ」


 アンヴァルのポニーテールを引っ張って悲鳴を上げさせると、ぼくは立ち上がって会場へと向かう。

 あんなやり方だが、アンヴァルはあいつなりに気を遣ったんだろう。

 よし、昼飯を旨く食うためにも、此処で決着を付けてやるかな!

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