第一章 黒猫を連れた少女 -9-

 そう言えば、レミで一番初めにぼくの前に現れたのはあの黒猫シピだ。

 隣街に行ける馬車でも探すかとうろうろしていたら、あの黒猫が案内するかのように尻尾をひらひらさせてぼくの前を歩いていたのだ。


 思わず付いていったら、フラテルニアまで行くと言うジャンと出会えた。

 レミからフラテルニアまで直接向かう馬車なんて他にいないから、喜んで乗せてもらったのだ。

 やっぱり、あの黒猫にも何かある。

 それが何なのかはわからないが、大魔導師ウォーロックが絡んでいるのは確かだ。

 何か誘われている気もするが、これは明日は学院に向かうべきだろうか。


 そんなことを考えていたら、いつの間にか眠っていた。

 目覚めると、そろそろ夜が明ける頃合いのようだ。

 窓を開けると、遠くに見えるベルナー山脈から曙光が昇り始めている。


 楢の木ロブルの棒を持って宿の庭に降りると、朝食前に軽く振り回してみる。


 対人の制圧には、棒と言うのはなかなかいいものだ。

 剣では殺傷力があり過ぎる場合、棒だと手加減しやすい。

 その気になれば、破壊力だってちゃんとある。  ぼくはエアルの戦士たち相手に組討と棒を鍛え上げている。

 昨日の中年男くらいなら、呪文を使わなくても軽いものだ。


 部屋に戻って水で濡らしたタオルで汗を拭くと、朝食を食べに下に降りる。


 今日の朝食はバターを塗ったパンに乾燥牛肉のスライスビュンドナーフライシュとレタスを乗せてある。牛肉にはスパイスがまぶしてあり、濃い味をシャキシャキしたレタスが抑えて絶妙な味わいだ。


 これにオニオンスープとチーズの盛り合わせに牛乳が付いてくる。

 流石酪農らくのうの盛んなヘルヴェティアだ。

 アルビオンでは、腐りやすい生乳は流通に乗らない。

 ちなみに、朝食代は宿代に含まれているらしい。


 さて、今日は学院に行ってみるかな。


 学院があるのは、菩提樹の丘リンデンホーフだと言う。

 心当たりがあるとすれば、昨日の聖女修道院フラウミュンスターの北にあった菩提樹リンデンの公園だろう。

 ここからならすぐだ。


 道すがら冒険者ギルドの前も通るが、今日は素通りする。


 ギルドの前には、一人の男がスイングドアの横の壁に寄りかかっていた。


 銀髪に深緑の瞳。

 一見優男風の長髪だが、所作に隙はない。

 右手には煙草を持ち、煙を吐き出している。

 冒険者の割には鎧は着ておらず、珍しいことに火縄銃マスケットを持っていた。

 ヴィッテンベルク帝国ではすでに戦争に使用されているらしいが、アルビオンではまだ珍しい。

 冒険者でも取り入れている人がいるんだな。


「アラナン・ドゥリスコルだな。おれは白銀級ズィーバー冒険者、トライェクのレオン・ファン・ロイスダール。ギルド長に言われてお前さんを待っていた。学院に行ったら、帰りにギルドに顔を出してくれ」


 火縄銃マスケットに気を取られていたら、いきなり話し掛けられた。

 ギルド長なんて知らないのに、ぼくの行動を読まれているのか?

 それにしてもこの人トライェクの出身なのか。

 フリースラントの中心都市だったと思うが、いま帝国から独立するかどうかできな臭いところだよな。

 まあ、冒険者には戦争はそれほど関係ないかもしれないけれどさ。


何時いつになるかわかりませんよ?」


 念のため言っておく。

 ずっとそこで待たれても嫌だしな。


「心配ない。ギルドの二階で暇を潰しとく」


 レオンさんは煙草の火を消すと吸い殻を魔法の袋マジックバッグに仕舞い、スイングドアを開けてギルドの中に消えて行く。

 しかし、白銀級ズィーバー冒険者か。

 フラテルニアにも五人といない上級者のはずだ。

 いきなり会えるとは思わなかった。


 気を取り直して昨日の菩提樹リンデンの公園を目指す。

 到着し、道なりにぐるっとその周囲を回ってみたが、入り口が何処にもないことに気付く。

 何だ、こりゃ。

 立ち入りさせないための結界かな。


 楢の木ロブルの棒で魔力を探ってみると、微弱な認識阻害の魔法ソーサリーが掛かっている。

 ふと思い付いて、旅券を取り出すと公園に向けて掲げた。

 すると、旅券から光が生じ、目の前に公園の門が現れた。

 いや、これが学院への入り口だ。


 中に入ると、丘の上に青い屋根の四階建ての建物が建っていた。

 四方には四つの尖塔せんとうがあり、なかなか立派な建築物である。

 門から丘の上にはなだらかな坂道が通っており、道の両脇には菩提樹リンデンが植わっていた。


 坂道を登りながら周囲を見てみると、魔法ソーサリーや戦闘の訓練をしている学生が多い。

 大陸中から学生が来るそうだが、何人くらいいるのだろうか。

 

「見ない顔だが、新入生かい」


 長剣を腰帯に携えた身なりのいい少年が坂の上から通りかかった。

 偉そうな口ぶりだが、年は同じくらいか。


「わたしはヴィッテンベルク帝国の騎士ハンス・ギルベルト・フォン・ザルツギッターだ。わたしも今年入学したばかりでね。同級生になりそうだな。先生のところに案内しようか?」


 帝国騎士ライヒスリッターには嫌な思い出があるが、ハンス・ギルベルトは悪いやつではなさそうだった。

 有り難くその好意を戴くことにする。


「ぼくはアルビオンのアラナン・ドゥリスコルだ。宜しく」


 ハンスは始業時間までに魔法ソーサリーの訓練をするつもりだったらしいが、予定を変更して案内してくれるそうだ。

 意外と爽やかなやつで帝国の騎士ってだけで警戒して悪かったと思う。

 道中、ユルゲン・コンラート・フォン・ツェーリンゲンに襲われた話をしたら、青い顔で謝ってきた。


「北方のザッセン辺境伯領を領するザルツギッター家は、ツェーリンゲン家とは余り親しくないんだが、そんなことをするとは信じられない。だが、同じ帝国の者として君には迷惑を掛けたようだ。謝罪したい」

「いいさ。ユルゲンは武装解除してフラテルニア郊外で放逐したし、ぼくに被害はなかったしな」


 ユルゲン・コンラートは帝国でも武勇の士として知られているらしく、手玉に取ったことを知るとハンスはぼくに興味を示した。

 棒を持っているだけのぼくが騎士には見えなかったのもあるだろう。

 完全武装の騎士を倒せる者など、熟練の冒険者にもそういない。


 ぼくがすでに呪文を修得していることを知ると、ハンスはさらに驚いた。

 学院以外で魔法ソーサリーを学ぶ機会などそうあるものではない。

 まあぼくのは厳密には学院の魔法ソーサリーとは違う。

 セルトの流れを組むエアルの魔術エレメンタルだ。


 ハンスはぼくを職員室まで案内し、自分の練習に戻っていった。

 ぼくは職員室をノックし、挨拶をして中に入る。

 職員室には幾つも机が並んでいたが、席に座っているのは一人だけだった。

 まだ若い女の先生だ。


「貴方がアルビオンからの推薦者ですか? じゃあ今年の入学者はこれで揃ったわけですね」


 背が低く、眼鏡を掛けた女性はまだ学生でも通用しそうだった。


「わたしが初等科の担任クロエ・ドゥカキスです。セイレイス帝国から来ました」


 セイレイス帝国と言えば東方の大国だ。


 長く余命を保ったルウム帝国を滅亡させ、西方にまで進出してきている軍事国家である。


 エルを神とする点においてはルウム教会と変わらないが、黒石カアバを御神体として崇めることから黒石カアバ教と呼ばれる宗教が主流である。

 クロエは名前から言って、セイレイスに征服されたグレイス人であろう。

 帝国に帰らず、フラテルニアに残る選択をするのもわかる気はする。


「貴方が来たら連れてくるように学長に言われていました。学長室に案内するので、付いてきてくれますか」

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