夏休みの校舎は人が少なくて涼しい。

 椎名が金髪を揺らして寂しい渡り廊下を歩いていると、後ろから「椎名先生」と呼び止められた。振り向くと女性教員が立っていた。

「椎名先生、お客様がお見えですよ」

「……客?」

 訝しんだところで、アポなしで自分を訪ねてくる人間など数えるほどしかないのだが。


「まさかあなたが此処まで来るとは思ってなかったですよ」

 そのと向かい合った椎名が皮肉っぽく笑った。冷えた麦茶にカランと氷が鳴る。

「お父さん」

 冷えた保健室で向き合ってソファに腰かけるその男は、椎名の父親――彼を椎名 梓シイナ アズサにした男だった。

「久しぶりだな、梓」

 梓と呼ばれることにもはや違和感はなかったが、それでもこの男に梓と呼ばれると虫唾むしずが走った。でもきっと俺に「お父さん」と呼ばれる時にも、この男は同じ感覚を味わっていることだろう。椎名は眼を細めてそう思った。

「で、ご用件は?」

 ため息まじりに問う。

「最近、お前、私の書斎に入っただろう」

「……えぇ、まあ入りましたね」

 ブラックカルテの資料を見るために。

「何か気になることでも? 俺がブラックカルテの監視役を任されてるのご存知でしょう?」

「あぁ。例の倅か」

「それでちょっと気になることがあって、ブラックカルテの資料を調べさせて頂いただけですよ」

「……そうか。お前も大変な役にかされたものだな」

「そうですか?」

 椎名は心の中ではっと笑った。心配など、していないくせに。

「ブラックカルテ……あの化け物達のお守りをしてるんだ、大変だろう」

「……ま、確かに、色々巻き込まれはしますかね」

 氷が解けて、またカランと音を立てる。

「で、用はそれだけですか?」

「いや、今度、お前の力を借りたい研究があるんだ」

「……なんのプロジェクトですか?」

 父は、躊躇うように一瞬黙った。


 ***


「椎名」

 数刻の後。メグが保健室の扉を無遠慮に開くと、椎名は「んー」とやる気のない声を出して、メグに目もくれず何かを読んでいた。

「さっき、国光の車が……」

「あぁ、父さんが来たんだ」

「父親?」

「ゆっても、血は繋がってないけどねー」

 タブレットを眺める椎名は、やっぱりメグの方を一度も見なかった。

「……で、何だ。俺の事か?」

「や、お前は関係ないよ」

「じゃあ何の……」

「俺に化け物を作れって、言いに来ただけだ」

「…………は?」

 父の声が脳裏のうりで再生され、椎名はただただ顔をしかめた。


 ――、プロジェクトだよ。

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