3
足がもつれて、内臓がうねる。気持ちが悪い。厚い雲が空を覆う曇天で、日中なのにひどく暗い。
――今、どれくらいのスピードで私は走ってる?
不思議と息が上がらない。いや、もう、肺すら止まったみたいだ。
「…………ッ」
しかし立ち止まった瞬間、急速に息が詰まった。マツリは滑りこむように世界の端っこを目指して、暗い暗い工場へと入りこんだ。無様にも、逃げるだけの敗者のように。
――ねぇ、あの日を覚えてる?
頭の奥で自分の声が聞こえた。
忘れられるはずもない。あの日の自分の凶暴性も。そして罪も。
忘れられないよ。許せないんだよ。
「人殺し」
身を串刺すかのような言葉が降って来きた。息苦しさに
マツリは何も言えず、長い沈黙の後、息を切らせながら汗だくの顔をあげた。
「やっぱり、人殺しだったのね。あなた」
楓がいた。笑っていた。ぎくりと体がこわばり、声が漏れそうになる。
「正当防衛? あっはッ」
やっぱり可愛らしく、高い声で
「本当は分かってるくせに」
楓は優しく
「本当は自分が故意に殺したこと、知ってるくせに」
「……違う……ッ」
反射的な否定。
「自分を許そうっていうの? マツリ」
「違う!」
叫んだ。
「……。まだまだだわ」
少し失望したような声が降ってくる。マツリは睨むように楓を見た。
「まだまだ。もっと。嫌いなさいよ」
「……ッ」
マツリの何かを言おうとした喉には、無音の空気しか通らない。
「憎みなさいよ」
楓が笑ったまま言う。可愛い顔で。
「殺してあげるから。許さないであげるから」
だけど、眼が全く笑っていない怖い顔で。
「マツリを裁いてくれなかった誰かの変わりに、私が裁いてあげるから」
「うっ……」
楓が乱暴にマツリの髪の毛をひっぱり、顔を覗き込むようにして微笑んだ。
「だけど、メグの目の前でね」
「……メ……」
また頭が鳴った。ズクズクと
――また、『メグ』なのか。
マツリがぎゅっと眼をつむったその時だった。
「放せよ」
強い口調で別の声が響いた。マツリは反射的に眼を開き、ゆっくりとその声のする方へ顔を上げた。
「マツリを放せ」
彼が――メグが、そこに立っていた。マツリは涙の溜まった眼で彼を眺める。
「随分早いじゃない? メグ」
にこっと楓が笑った。メグが早いのは当たり前だった。彼はまっすぐ此処に来た。
「あっはは。怖い顔ー」
「うるせぇ」
メグはざわっと体を駆け抜けるような殺気を放っていた。
「でも、相当喰いちぎられたいみたいね」
「やめろよ」
はっきりと言う。
「今そこで、アイツを出すな」
「…………ふーん」
楓は少しだけ眼を丸くした後、察したようににたりと笑った。
「マツリが喰われちゃうのが、怖いんだ?」
「あぁ」
素直に認めた。ここで駆け引きなど無意味だ。そのことをメグは分かってる。
マツリは黙ったままメグを見つめた。頭がグラグラする。当たり前だ。マツリにとって、此処も楓もメグも、全て消してしまいたいものなのだ。胸の痛みに体中がバラバラになってしまいそうだった。
「だけどさぁ、メグ」
楓は楽しそうに右手でメグを指さす。
「あんたは丸腰じゃない」
「……かもな」
「あんたが私を嫌ってくれるから、私にはあの子が出てきてくれる。でも、あんたの左手は私を欲しがらない。出てきてもくれないんじゃない?」
「いや……」
ボッ……!!
「出てきてはくれるぜ、楓」
メグの左手から白い化け物が、まるで炎をともすように現れた。
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