第38話 「お兄ちゃん」
「ねぇ、お出かけしよう!」
いきなりのお誘いだった。
平日の夕方、リュウタの家へ押し掛けてきた小さな女の子は、顔と顔を合わせるなりそう言い出したのだ。名前は白内レンカというはずだが、ウィラと呼ばれたがっているためそう呼んでいる少女であり、なぜかリュウタによくなついている。
そのため、一緒にどこか行きたかったのだろう。勉強も一段落したところであり、断る理由は思い当たらない。
そういえば最近、具体的には怪人騒ぎがあってからというもの。ルナがずっと学校を休んでいるのだが、きのう彼女に電話をしてみたところとても元気そうだった。彼女にはたくさんの味方がついているし、リュウタのぶんまで心配してくれているはずだ。
「いいですよ、どこへ行きましょうか」
「ゆうえんち!」
ウィラの即答に、リュウタの表情は固まった。この日ノ出海の周辺で遊園地となると、たしかにすこし電車に揺られれば行ける場所にはあるのだが、あまり乗り気にはなれない場所だ。それでも、ウィラの気持ちを突っぱねることもしたくない。固まった表情をなんとかごまかし、ウィラを待たせぬよう速攻で支度をする。
今からとなると、帰ってくるのは夜中になるか。リュウタの両親も夜は遅く、マリーさんのほうもウィラなら大丈夫と踏んでいるだろう。だいたい、都市伝説を相手取って善戦できる変質者は都市伝説のほかにはいない。
リュウタは自費でウィラを電車に乗せ、親に加えて颯トトキの携帯に連絡をしておいて、いっしょにゆられていった。ウィラの格好や赤く燃えるような髪はとても目立つけれど、親戚の子を預かっていると言い訳できなくもない。
やがて遊園地へ到着すると、ウィラは入園するなりすぐどこかへ走り去っていこうとしてしまう。リュウタが全力で追いかけてその手を握っていないと、すぐ迷子を知らせるアナウンスが園内に響き渡ることになるだろう。
やっとウィラに追い付いて立ち止まることができたのは、メリーゴーランドのすぐ前であった。
「……お兄ちゃん、どうしたの?」
立ち止まった場所が場所だったから、リュウタはしばらくそこに立ち尽くしていた。遊園地にあまり乗り気ではなかった理由は、思い出してしまうことがあるからだった。
7年前、女笠リュウタは日ノ出海市に引っ越してきて、そこでふたりの友人と引き合わされた。
ひとりはお寺の息子、もうひとりは世間知らずな女の子。このふたりこそが、当時の小学校からいまの高校に至るまでを幼馴染みとして過ごすことになるふたりだ。盾寺トラオに、州手ルナである。
しかし、リュウタとトラオとルナは、はじめから仲がよかったわけではない。トラオはこのときからフレンドリーで社交的だったが、ルナは以前の自分をまったく覚えていないし、リュウタも心を開こうとしていなかったからだ。
なぜ心を開こうとしないのか。それは、どうしてもほかに考えなければならないことがあったからだ。
ではリュウタの思考を吸い寄せていた事柄とはなにか。それは、日ノ出海へ引っ越してきた理由と直結していた。
女笠家は四人家族だった。子供の知識欲を応援してくれる優しい両親と、リュウタと、そしてもうひとり。妹の女笠タツキがいた。
タツキはリュウタより二年ほど後輩だ。真面目な兄をよくからかってくる、お茶目な妹だった。頭の出来は父譲りでよかったし、兄妹揃って期待されていたものの、タツキは兄と違って病気がちで、身体が弱かった。
リュウタならなんともないような病気で入退院を繰り返し、やがて蓄積した疲労やみんなと同じように遊べないストレスからか大病を患った。近所の病院では手に負えなくて、病院を移らなければならなかったのだ。
そして、その移動先が日ノ出海だった、というわけだ。
女笠家は家族ごと引っ越していき、毎日お見舞いに訪れ、タツキの快復を祈り続けていた。
そしてある年。これはリュウタが現在通っている高校へ向けて受験勉強に励んでいるころ。
タツキは珍しく調子がよくて、いろんな場所へ連れていってほしい、と兄に頼んだ。
リュウタは勉強に忙しい時期だったのだが、相手は病弱な妹だ。楽しい思いをさせてやりたい一心で、タツキをこの遊園地へ連れてきた。いっしょにメリーゴーランドや、観覧車に乗った。
リュウタがこの遊園地へ行くことを心のどこかで拒絶したがっていたのは、このためだった。妹と一緒にお出かけして、一緒に遊んだ思い出が帰ってきてしまうからだった。
この日、彼はウィラと思い出のメリーゴーランドに乗った。タツキといっしょだったときがはじめての経験だったから、これは二度目だった。ウィラがはしゃいでいるのを見て、リュウタは微笑む。
ウィラにタツキを重ねることはおかしいと、リュウタ自身もわかっていることだった。髪も、顔立ちも、体型も、似ても似つかないのだから。でも、きっとタツキがウィラほどに元気になれていたなら、リュウタも遊園地を敬遠しようとは思っていなかったに違いなかった。
「楽しかったね、お兄ちゃん!」
ウィラの明るい声に、リュウタもなるべく明るい表情を返した。無理をして、なんでもないように振る舞った。ぎこちないのを見抜いているのか、ウィラが首をかしげる。こういうときは、自分に演技力がないのをうらむ。
こんなことを思うのは身勝手なのだろうが、今だけは、ウィラに自分のことをお兄ちゃんと呼んでほしくなかった。
純粋に楽しんでいる小さな女の子に向かって、そんなに冷たいことを言える冷酷な人間だったなら、タツキのことも思い出さずに楽しめた。けれど、あいにくとリュウタはただの弱い人間でしかなかった。都市伝説のようには生きられない。
だから、この後になって、遊園地の名物である大きな観覧車の前にまで行ったとき。聞こえてきた声に、ありえないことを期待してしまった。
「お兄ちゃん」
夕方とはいえ、家族連れはある程度いて、中には女笠家と同じ兄妹ふたりの姿も見受けられる。どうしても、そればかりが目について、ウィラを不満にさせていた。
「きょうのお兄ちゃん、ちょっとおかしいよ」
「……はは、やっぱりわかっちゃいますよね。申し訳ない」
小さい子はたいてい容赦がない。リュウタが心の奥底で、タツキとの思い出にしがみついていて、まったく遊園地を楽しもうとできていないのを悟られてしまっているのだ。
「私がいるとネガティブがうつってしまいますね、ウィラさんは好きに遊んでくるといいですよ」
続くこの発言も、ウィラの不満を募らせてしまったようだ。ぷくっと頬をふくらませ、リュウタのひざをぽかりといっぱつ殴ると、走っていってしまった。
リュウタには、ウィラを追いかけていけない。まだ、前に進めていないのだから。
「あら。追いかけないんですね、お兄ちゃん」
幻聴がした。妹の声を思い出すなんて疲れてるんですかね、とひとり呟いた。
「幻聴じゃありませんよ。ほら、こっちです、こっち」
このとき、はじめに考えていた可能性は否定された。呼び掛けられた方向には、たしかに女の子が立っていた。女の子はリュウタの知っている彼女の容貌を持っていたが、その格好などは記憶にあるものではなかった。
「タツキ……なん、ですか?」
「ふふっ、間違ってませんよ、リュウタお兄ちゃん」
タツキらしき女の子は、割れている眼鏡を鈍く光らせてこっちを見ている。
服装は入院患者が着るような水色のものを大胆に改造し、フリルや大きな袖、紫や赤色の無数のリボンなどとかわいらしい装飾をいくつも施した衣装だった。下半身も長ズボンでなくフレアスカートだ。
少なくとも、リュウタはタツキのあのような服装は見たことがない。
ただ、彼女のかけている割れた眼鏡はタツキが使っていて、いつだったかリュウタが落としてしまったものだ。すぐに思い出せた。
ふりふりで紫のスカートから伸びる脚は白っぽく、血色がいいとはいえない。しかし体型は女らしく、出るべきところはほとんどの年上よりも成長している。
まだ小学生だろうという体躯に不釣り合いな成長は、頬に刻まれた傷とともにどこか大人びた印象を与えている。
最後に、女笠家の特徴である艶のある黒髪。長く伸びているそれは、毛先へゆくにつれて色が抜けていっている。彼女が生きているころにはなかった特徴だ。
「どうしてタツキがここにいるんですか」
「どうしてって、偶然です」
「いいえ、そんな偶然は起こり得ない!」
だって、もうタツキはこの世にはいないんだから。
そう言おうとしたとたん、喉が声を出すのを拒絶した。
「……お兄ちゃんは、私に会いたくなかったの?」
タツキらしき少女は悲しそうな表情をする。
それは兄として見過ごしていいことでなく、リュウタは自分の混乱を振り切って、彼女を抱き締めた。リュウタの腕に、彼女はまるでそうされるのをずっと待っていたかのようにおさまった。
すると、鼻腔に懐かしい匂いが飛び込んでくる。それは疑いの心をほどかせるには十分すぎた。
少女の周囲に浮かんでいる、紫に塗りつぶされた鏡に気付くだけの注意力を奪うにもまた、その匂いで事足りていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます