第37話 ちっちゃなサリナちゃん

アイドルを志したのに、危機より助けられることなくその人生を終えてしまった悲劇の少女。そんな歌堂サリナの影響が、ライムに残っているかもしれないという考えはゲートの頭をぐるぐると回り続けていた。


いままでは、都市伝説は巻き込まれてしまった人間を塗りつぶしてその身体を得ているだけで、そこに襲われる人間の意思は介在していなかった。


颯トトキの例がゲートにとってはわかりやすい。トトキは快活で心優しいという話を聞いたことがあるのだが、ゲートはそんなイメージと重ならない。

また、トトキとして積み上げてきた記憶もゲートの中には残っていない。


それなのに、と考えるときりがなく、ひたすら黙って考えているほかなかった。


「あ、あの、ゲートさん」


事件を聞いたゲートが考え込んでいるのを見かねてか、レイは声をかけた。


「私、あんなこと言われちゃいましたけど……こんな事情があったら、誰だってそう言っちゃっておかしくないと思うんです」


ゲートの視線はレイに向く。自分の命が狙われていることを知りながらよく言えるものだと、ゲートは小声で吐き捨てた。


「でも。怨みしかない人には、怨みしか歌えないんです」


心のこもった歌は人を動かすとした上で、ライムのものが負の方向でしかないと言い出すレイ。彼女なりのアイドル観というか、大切にしているものが少しばかり顔をのぞかせている。

ゲートでは、そういった歌手の世界のことをすべて理解しているのは不可能ながら。レイの考えを聞いて、ライムに対しての見方が変わったような気がする。


歌は、誰かを怖がらせるためだけにあるのではない。同じ歌だって、どんな気持ちも載せることができるのだ。


「早くしないと、あの子が誰かを手にかけるかもしれないけどね」


メンバーの一人が吐き捨て、スマホの画面を見せてきた。ニュース番組を映しているようだ。ちょうど行方がわからなくなっているレイたちの話をしているらしく、そこへさらに速報が入っていた。


ライブ妨害犯、凶器を持って逃亡中。大きな文字でそう表示され、ライムのことを捉えた映像が流されていた。

大型の刃物で人々を襲う恐怖の少女なんて言われており、悪い方向にとても目立っている。映像中のライムは斧を携えて何かを口ずさんでいるようすだった。彼女の頬が淡く輝いているようにも見え、おそらく斧は童謡の力に由来する武器か。


「これ。お前の足をもらいに行くって、歌ってるの」


ゲートでも知っている都市伝説に、そんな替え歌があったはずだ。

怨みしかない、というのは、その歌からもうかがえた。


ライムが通り魔めいたことをしているという一方、片付けなければならない面倒ごとはそのほかにもあった。アイドルたちがここにいること、である。

本来いるはずのライブ会場が大混乱の事態となり、さらに行方不明になっているのだから、ゲートはのんきにしている場合ではない。

しかしただ帰しただけではライムは確実に戻ってくる。考えが必要だ。


「ライムちゃんが私たちのところに来るなら……」


「迎え撃つにしたって相手がやりにくいのは変わらない。だけどな、今回は、その、協力してほしいことがあるんだ」


おびき寄せるにしても、ライムは身軽で、しかも今回はゲートしか戦える者がいない。ゲートの考えている作戦を実行するためにはレイたちの協力が必要不可欠であった。


「……わかりました。私たちにできることなら!」


レイの返事は、すなわちあのライムと戦うということだ。怯えるメンバーももちろんいた。けれど、この先ずっと狙われることと天秤にかければ結論は見えていた。



やっと連絡を返して、レイたちはマネージャーに大急ぎで車を出してもらい、崩れかけているライブ会場付近で迎えてもらっていた。

いままで連絡をしなかったのは避難に必死だったからで、簡単に居場所を明かすとすぐ襲われると思っていたからだと説明し、またこれから事務所に戻る旨をしっかりマネージャーの口から聞いた。


事務所へ着くまでも考えていたとおりであり、また事務所内でゲートと合流するのにも成功した。ゲートはこっそり異界を通って先回りしていたのだ。


見つかりました、お騒がせしました、というニュースを流してもらい、ライムを事務所へ誘導する。警備員たちも動員されるが、最初からそちらはあてにしていない。


正面の入り口から来られればよけいな犠牲者が増えるだけだ。ゲートは羞恥を割りきって、適当に掴んだ青と黄色の衣装に大急ぎで着替えると窓際に駆けた。外では、小さな影が警備員らしい青年に呼び止められていて、つまらなさそうにしていた。


その影が、ゲートのほうを向く。一気に嬉しそうな笑みを浮かべ、事務所ビルのゲートがいる階めがけて飛び込んでくる。斧を振り抜いて窓をたやすく割り、ゲートとライムはふたたび向かい合う。

此度は、ライムの口ずさむフレーズが前と違う。足をなくした少女の怒りを歌っている。やはり斧は足を切り落としてしまうためのものだったようだ。


ゲートたちの想定していたリズムは間違っていなかった。作戦は実行できる。


「来やがったな、アイドル気取り!」


ライムが奪いたいのはレイたちの足だろう。アイドル衣装を着用しているため、ゲートのことも目標に入っているはずだ。誘導ができるのは、先程の窓めがけて突っ込んできたことからもわかっている。


斧が頭上をかすめ、壁を叩き壊していく。掛けてある絵も、花瓶も、窓枠でも例外はなく叩き割られ、冷たい風が吹き抜ける。

ゲートは斧の攻撃を回避することに集中し、ライムの口ずさむその曲の切れ目を待っていた。


これだ、と思った瞬間。途切れた一拍の間を狙ってレイたちのいるほうへ逃げ込んで、作戦は始められた。


内容は単純だ。相手が歌うなら、こっちも歌ってやる。

ただそれだけでライムと張り合えるとは思っていなかった。そこにはそれなりの考えがある。


ライムの歌は、暗い感情を込めたもの。

対してレイたちが歌声に託すのは違う。希望に満ちた替え歌をつくり、それに心をこめて歌えばマイナスの歌も打ち消せるのではと考えたのだ。


やがて暗い歌は競り負けて、怨みの声は小さくなっていく。つられて斧も消失していき、ついには足を奪っていくこともないままライムは口を閉ざした。


「なにそれ、つまんない」


レイに向けたような生気がない目をして、彼女はそうつぶやいた。


「邪魔しないでよ。私が欲しいのは、私の心に欠けてるのは、そんな綺麗事まみれのキボウなんかじゃない」


ライムはゲートたちを殺す気すら失せてしまったようだ。顔を背け、まだ小さく、そしてさみしそうな背中をみせた。

去っていく彼女を引き止めることは、レイにもゲートにもできることではなかった。ただ遠ざかっていく背中を見つめ、呆然とするのみ。


「……そうだよな。あんな言葉押し付けて、私がバカだった」


ゲートは強く拳を握った。血がにじんでも、ぎゅっと。

少しでも、サリナが希望を求めているだなんて勘違いをして、それを元に的はずれな行動を起こした。しかもレイたちに手伝いまでさせて、だ。


「……ごめん」


重苦しい空気に取り囲まれ、紡げる言葉もそれだけだった。ゲートはたったひとことを呟くと、異界を開き逃げるようにして姿を消す。


レイたちが残された窓の割れた事務所には、ただ冷たい風が流れ込んでくるだけだった。

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