第24話 勝手な少女
エミリは消滅した。都市伝説を具現化させていた彼女がこの世にとどまっていられなくなり、この世界から消えてなくなってしまったのだ。
同時に幸坂リエの肉体も消滅し、イヅミもリエの母もエミリに攻撃された衝撃で記憶があいまいになっており、エミリの凶行を覚えていないらしい。それを好都合だと思ったのか、マリーさんはごまかすためにかこう言い出した。
「まったく、とんだ人違いだったわ。リエさんとは他人の空似だったようね」
用の済んだマリーさんは言い終わると背を向け、ルナに向かって帰るわよ、と告げた。ルナはあわてて彼女を追いかけ、イヅミたちには礼だけをして、後味がわるいままなんとかマリーさんに追い付いた。
「ねぇ、あれでよかったのかな」
「もういない人間を求めたのだから、救われることはないわ。元の人間に戻るだなんて、いくら願っても無理よ」
そう断言するマリーさん。もしかすると、マリーさんもそう願った、あるいは願われたのだろうか。こうして人々を守っているのも、身体の持ち主を自分で塗り潰してしまったが故の償いだと、いつかほのめかしていた気がする。
「ねぇ、マリーさん」
「なにかしら?」
「その身体の元々の持ち主って、どんな人だかわかるの?」
ルナの言葉を聞いて、マリーさんはすこし考えたあとに答えてくれた。
「わからないわ。メリーにはメリーに記憶しかないもの」
エミリもそうだったが、記憶は引き継がれていないらしい。
ふと、元々の人物を騙って生活し、学校にも通い、ばあやと一緒に暮らせているゲートのことをすごいと思った。記憶がないのに演じなければいけない自分があるとは、どんな気分なのだろう。
それはきっと、自分しかいない世界に放り出されて、孤独に苛まれ、さみしくて、こわくて、どうしようもないほどに不安だったのだろう。
ルナはどうしてか、その気持ちがすこしわかるような気がした。
◇
帰宅後、ルナは真っ先にお風呂場へ向かった。元より荷物らしい荷物もなく、汗ごと不安を洗い流してさっぱりしたかったのだ。
シャワーを浴びながら、ルナはいまだに都市伝説に身体を奪われてしまった人のことを考えていた。
正義感の強い婦警さんが平然と少女を切りつけるほどだ。まず、元の人格が影響するとは思えない。そして、マリーさんが嘘をつく理由もない以上記憶も持ち越すことはないのだろう。
となると、エミリと幸坂リエのあいだには肉体が同じであるという点しかないも同義だった。親族が呼び掛けても意味がなかったわけだ。情もなにも受け継いでいない。
しだいに自分に対して諦めを強いるように思考がめぐりはじめる。そのあいだも、ルナの白い肌の上を透明な水滴たちがただすべり降りてゆく。鏡に映ったルナの身体は、高校に入ってからしばらく経ったぶんしっかり成長したように見える。日ノ出海にやってきたばかりのころから比べれば、ひとまわりもふたまわりも成熟したはずだった。
そういえば。ルナは日ノ出海に来る前の自分のことを、大切だったお人形のメリーさんのことさえ忘れてしまっているのだ。そういう意味では、マリーさんたちはルナと近いのかもしれない。
知らない場所にひとりで放り込まれるのは不安に襲われるに決まっているし、いままでずっと友達といっしょにいたのだから孤独への耐性がなくなおさら怖かった。そんな記憶が、いちばん古いおぼろげな小学生四年生ごろの記憶だ。
もしかして。自分もまた誰かの身体に上書きされていて、ルナではない「州手ルナ」がいたのかもしれない。
そんなことを考えていると気分があまりよくなくて、ルナは思考を反らすためにシャワーを止め、ボディソープを手に取った。
さっさと身体を洗ってしまってメリーさんにルナ自身の話を聞いてみようと考え付き、ルナはソープを泡立てた。
お風呂場の外ではお母さんと誰かの話し声が聞こえていて、誰かが客人として来ていたようだった。ならきっとルナに用がある。待たせるわけにはいかないので早めに済まそうと決めて、泡をひろげ、自分の身体を隅まで触る。
体重は増えているだろうか。むしろ、都市伝説に巻き込まれてからは飛んで回っているから痩せているかもしれない。だったら、脚もすこしくらい引き締まってくれているだろうか。
しかし変化がルナにもよくわかったのは脚ではなくて、ふと触れた自分の胸が思っていたより大きくなっていてルナは感動を覚えた。
心の中でガッツポーズをしながら、泡たちを洗い流していく。お風呂場の外から視線がするような気がしたが、裸のままなにかに巻き込まれても困るので気にしないようにしていた。
お風呂からあがると、すぐにメリーさんとばったり出くわした。ずっと待っていてくれたようだ。あの視線はメリーさんによるものだったのだ。ルナの身体を拭いてくれるというのにはさすがに遠慮したが、どうやらほかにも用事があって来たらしい。
「お母さんが呼んでるわ!」
「うん、髪乾かしたら行くよ……あれ?」
メリーさんがそのことを知っていて、しかも部屋の外でも堂々と行動している。それはつまり、お母さんとメリーさんが接触したのではないか。そんな不安は、呼び出していたお母さんのほうからこちらへ赴いてきたことでなくなった。
「あら、お風呂中だったのね」
「そうみたい。あ、ドライヤー私がやる?」
「終わったらルナのこと連れてきてね、メリーちゃん」
メリーさんの二度目の提案にはせっかくなので甘え、頭に温風を浴びながらお母さんのことを見た。特にメリーさんに驚いている様子もない。ルナがせっかく隠そうとしているところを、このふたりはなんでもなく接している。
ふつう驚くところだと思うのだが、慣れたようすだ。あるいは、すでに驚く段階を終えたのかも。いずれにせよ、メリーさんは隠さなくても我が家の一員という扱いのようだった。
「ルナの髪、きれいよね」
そっと撫でて呟いたメリーさん。彼女の金髪のほうが綺麗なのは間違いないだろうに、どうしてかメリーさんはルナのことをよく肯定してくれる。
褒められて気分が悪いわけもなく、隠し通そうと思っていたのが失敗していたことも悪い方向には向かっていないため、ルナはしばしのあいだは都市伝説のことも忘れて目をとじていたのだった。
◇
暗くなりはじめた夕暮れの空の下から逃げるように、少女は暗い森へと赴いていた。
いつもなら、この暗い森で不気味な笑みを浮かべる者ふたりに加えて、無愛想な、しかし慣れ親しんだ顔が出迎えてくれるはずだったが、きょうからは彼女はこの森には現れない。
エミリは消滅した。他の都市伝説と激突し、敗北したのだ。こっくりさんは現場まで行き、それで確信を得ていた。答えを出す都市伝説であるこっくりさんの能力なら、質問と縁のある場所で使えばたいていのことには答えが出る。
そうしてこっくりさんに示されたのは、エミリは消えたかの問いに対しての「はい」だった。
アルファもドリームもエミリのことをどう思っていたのやら、いつもと態度を変えることはまったくなく、ただ笑っている。
こっくりさんもそうできればよかったのに。そうは思ってもこっくりさん自身の身体は言うことを聞かず、涙を流していた。
「勝手な女だったのう、おぬしは」
こっくりさんには、自分が抱いている感情をどうすればいいかわからなかった。だから、ただ文句を言った。
あの女ならなにも言わずとも着いてきてくれると思ったのに。いなくなられたら、こっくりさんの計画は考え直さなければいけないではないか。
そんなふうに文句を並べても、最後に行き着くのは、エミリが自分を置いていったことへの行き場のない孤独感だった。
それでは都市伝説らしくない。いつまでも引きずっているのは人間のすることだ。エミリがいなくても、こっくりさんは自分のやりたいことをするのだ。
「わらわも勝手にやらせてもらうとするかの」
アルファにも、ドリームにも、こっくりさんの心の内は見せられない。
こっくりさんが暗い森を抜け、夕暮れの街へ踏み出したとき、彼女の瞳には涙は浮かんでいなかった。かわりにはっきりと、沈みゆく日を映しているのだった。
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