第14話 裂かれたディザイア

「ワタシ、キレイ?」


 この格好とこの発言。この女が都市伝説ならば間違いなく断言できる話がある。『口裂け女』だ。それこそこの前出会ったこっくりさんと並び、都市伝説といえばと挙げられることもある。もちろんルナも話を聞いたことがあった。


 ミリヤが代表して前に出ていき、口裂け女に近づいていく。危ないと止めようとしたが、彼女も相手が人間ではないと察しているらしい。目元だけが覗いている顔をじっと見て、ミリヤはこう答える。


「ふつう、ですね」


 綺麗と答えればマスクを取って裂けた口を見せてきて、否定の答えを出せば切りつけてくる。どちらにせよ逃げ道がないのなら、あいまいにするという手が救済として用意されていることもある。ふつうと言われると考え込むため、その隙に逃げられるのだとか。

 口裂け女は首をかしげて考えるしぐさをし、ミリヤがこちらに目配せをした。今のうちに逃げろ、ということらしい。ミリヤの手には錠が握られており、連続傷害事件の犯人と疑われる口裂け女を捕まえようと思っているらしい。だが、すこしすると突如口裂け女は動きだし、コートの内側からナタを取り出すと錠に手をかけていたミリヤを切りつけ、錠が地面に転がった。誰もの頭が追い付かないあいだに、口裂け女はマスクをはずしその名のとおり大きく裂けた口を露にした。


「コレデモ、フツウ?」


「あぁ、畜生めっ!私がやる、ミリヤさんは連れてけ!」


 突然の裂傷に呆然とするミリヤを引っ張りながらトトキが飛び出していく。トトキが口裂け女の前へ躍り出たかわりにミリヤがルナの胸元に飛び込んできて、彼女をどうにか受け止めた。まだ手しか切られていないため走ることはできる。ユノとミリヤ、ふたりのまだ無事な手をひいて駆け出し、トトキと口裂け女の戦いに居合わせないように止めてあったパトカーに逃げ込んで扉を閉めた。残念ながらミリヤは車のキーを持っていなかったようで、まだ安心はできない。そして無線をつないでも寝言は寝て言えと一蹴されてしまった。


 ルナは自分のスマートフォンでメリーさんたちに連絡しようとし、いつも取り次いでくれるトトキがいまは交戦中であることに気がついた。これではメリーさんは呼べない。ほかに戦える知り合いといえばウィラだがどこに連絡すればいいのかわからないし、球体関節のメリーさんにも同じ理由で助けを求めることはできなかった。


「どうしよう、とりあえず救急車!?」


「私はまだ止血の知識はありますが、トトキちゃんは?」


 トトキのことは、信じるしかない。彼女だって都市伝説の力を扱えるのだから。戦っているところを見たことはなかったため、安心とも危険視とも決めきれず。なによりルナは焦っていた。

 包帯を出したり圧迫したりとミリヤは切りつけられたときの応急処置を試しているらしい。ユノはすっかり怯えてしまっている。それらを見て、やっと自分がしっかりしなければと心に決められた。


「そうだ、口裂け女なら対処法がありますよね。ミリヤさん」


 ミリヤははっとした後、急いで車のドアを開けると後部のトランクを漁る。するとお目当てのものらしい整髪料の容器が転がり出て、ルナはそれを拾い上げた。


「これ、先輩のなんですが。試してみたらどうでしょう」


「えっと、なんですか、これ?」


「ポマード。ほら、口裂け女の弱点といえば、ね」


 偶然の発見ではあるが、都市伝説はお話から生まれたものだ。そのお話のなかで苦手とされているなら可能性はあるだろう。ルナはかるく回して蓋をゆるめ、あまり得意ではない匂いが漂ってきたのに思わず顔をしかめた。


 ◇


 ゲートは戦いには向いていない。メリーのような肉弾戦の能力があるわけでもなく、持っているのは異界の扉をひらく能力だけだ。それも実家の書斎に大きな門をひとつ固定しているせいでかなり制限を受けている。本当はこの場で送り返せればいいのに、とゲートは舌打ちをする。裂けた口を晒し、ナタを振り回す口裂け女。身体能力で劣っているゲートはなるべく余計な動きを減らすよう、ただ突っ立ってその攻撃を待ち、そして片手で対処した。


 受け止めたのではない。振り下ろしてきた腕にあわせてほかの空間との門を開き、その先へ行くように仕向ける。入り口を狭めればロック完了だ。これで腕は片方使えない。

 いまは小さいものひとつしか開けないためこんな使い方しかできないが、これで相手の武器がなくなれば一応人間より蹴りの威力はあると自負しているトトキにはそれなりに勝てるという予感があった。


「食らいなっ!」


 顔面への膝蹴りがまともに入ればたいてい鼻が潰れてくれる。だがこの時は相手が悪かった。その大口を開ければ、膝の皿くらいは覆ってしまえるのだ。気がついたのは相手がそうやって待ち構えた瞬間で、もう遅かった。顎の力は尋常ではなく、女というより鮫を相手にしているようだ。すでに食い込んでかなり痛い。食らいな、とは言ったが本当に食べられるとは思っていなかったゲートは集中が乱れ、片腕を止めていた扉が不安定となり腕が拘束から解放される。


 もちろん次には刃物が襲ってきて、肩に傷が入るところを扉で回避しなければならず、膝の肉はもはや諦めるほかにない。引きちぎれるのを覚悟の上で思いっきり引っ張り、血の赤に混じって骨の白が覗く自分の脚を見てもう無理だと判断した。


「あいつら、もう逃げたよな……?」


 いまのゲートでは分が悪い。異界の扉を自身に使って口裂け女の前から姿を消し、異界のエネルギーによる自らの膝の再生をまでいったん撤退し回復に専念することにした。


 ◇


「そういえば、ですけど」


 この張り詰めた空気はとても居心地が悪くて、ルナは耐えきれずに適当な疑問を声に出した。


「ミリヤさんって、どうして警察官になろうと思ったんですか?」


 ミリヤは見た目から真面目そうで、無表情故にお堅いと思われてしまうのだろう。その彼女が、お堅いイメージの仕事である警察官になろうと思ったのにはなにかきっかけがあるのかも。

 ルナは自分の気を紛らすため、そしてそれによってミリヤとユノがすこし安心してくれると信じて、その話を聞こうとした。

 いままでずっと黙って車内で警戒していたところでの話だったからミリヤも驚いたようだったけれど、すぐに話してくれようとした。敬語ではユノの緊張がほぐれないと思ったのか、崩した口調でだ。


「私が警察に入りたいと思ったのは……うん、私、無愛想でしょ」


「ええと、表情には感情が出ないタイプっていうか」


「知ってるから気遣ってくれなくていいよ」


 無愛想だと言われるのは慣れっこだというミリヤ。よくそういった話になるとぼかされるのだろう。


「それでね。私、人の笑顔は好きなの。自分は表情作るの苦手だけど、そのぶん人の笑顔を守れたらいいなって。だから警察官を選んだって感じかな」


 そう語ってくれるミリヤの目つきは相変わらずきりっとしていたが、口元はやさしげにほころんだ気がした。


「まさに正義の婦警さん、って感じですね!」


「そう?そうかな、ありがとう」


 怯えていたユノも、話をしているのを見てすこし落ち着いてくれただろうか。少なくともルナの焦りはおさまりつつある。落ち着いて説明をすれば、ほかの警察の人だって救援に来てくれるかもしれない。もう一度無線をつないでみよう、と思ったところ、窓ガラスがたたかれる音がした。

 ふと振り向くと、顔をべったりと張り付けたあの女がこちらをじっと見ている。その光のない瞳と目があってしまい、ルナは手に持っていたポマードの容器を取り落としてしまった。


「ッ、逃げて、ふたりとも!」


 ミリヤが叫び、半ば蹴破る勢いで女とは逆方向のドアを開ける。女はもちろん人間が出てくる方へ回ろうとする。そこへルナはがむしゃらにものを投げつけ、その隙にミリヤがルナのいた場所から落とした容器を拾い上げる。間に合ってくれたらしく、どろっとした匂いのきつい油が口裂け女めがけて投げつけられ、その顔面に激突した。悶えるそぶりを見せる口裂け女。逃げるなら、今だ。

 掛け声もないうちにユノを抱えたミリヤとルナが並んで駆け、パトカーの傍らにはポマードの匂いによってダメージを受けている口裂け女だけが残される。どこへ逃げればいいのかはもうわからなかったが、とにかく走って、なるべく人を巻き込む道は使わぬように走っていった。


「はぁ、はぁ……助かったんでしょうか……?」


「ならいいんだけど……ユノちゃん、へいき?」


「うん、へいき」


 ミリヤはルナよりは息があがってはいないが、これで逃げ切れたかには不安が残っているようだ。弱点を利用したとはいえ、口裂け女にはさまざまな逸話がある。まだ追いかけてきてもおかしくはなかった。唯一まだ走れるのは抱えられていたユノだが、彼女の足では追い付かれてしまうだろう。

 ふと、ミリヤが頭を押さえて苦しそうにうめく。大丈夫かと問うとミリヤは大丈夫だというが、彼女の身体になにか起きていても不思議ではない。


「……ちょっと私、トトキちゃんに電話してみます」


 ルナは心配しながらもいったん席をはずし、ひとまずトトキに連絡がつくかどうかを確かめる。電話はつながってくれて、ちゃんとトトキの声がした。


「もしもし、ねぇ、トトキ?」


「ん、トトキだが、お前たち大丈夫か?あのあとどうなった?」


「大丈夫。ポマードがパトカーにあったから」


 トトキにもそのくらいの知識はあるようで、すぐに口裂け女の弱点となるものだとわかってくれたらしい。そして本題である今どこにいるのかとメリーさんたちを呼んでもらえるかを聞こうとしたが、いきなりトトキが声を張り上げてきたため声は遮られた。


「おい、もしかして!噂を本当にしたんじゃねぇだろうな!?」


「え?」


「もう襲われた奴らはきれいときれいじゃない両方でやられてるとして、ふつうと言われて考えるのもやった!そしてお前らがポマードで助かるってのやっちまったんだろ!?」


「そう、だけど、どうしたの!?」


 トトキの声色は明らかに何かがあると言いたげだった。と同時に、ルナがさっきまでいた方から悲鳴が聞こえた。ユノの声だ。悪寒が走ったルナはトトキとの通話は切らずに大急ぎで戻っていく。途中で告げられたトトキの言葉は、ユノとミリヤのもとに帰りついたルナの目に衝撃となって飛び込んできたのだった。


「実現しちまった都市伝説はな、人の身体を乗っ取るんだよ……!」


 ミリヤは笑っていた。あれだけ無表情だった彼女がはじめて見せた笑顔だった。肌は目の前に転がる少女の血で赤く染まっており、手にはさっきまで口裂け女が持っていたナタと同じものが握られていた。悲鳴をあげていたはずのユノは胸を刺され、血とともに涙を流しながらうめいているしかないようだった。


 間違いなくユノをやったのはミリヤで。ミリヤの頬は、耳まで裂けていて。

 ルナは目前の光景を受け入れることができず、叫ぶしかなかった。

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