第9話 Crossする二人!

 初めて会った日、彼女はその少女を変なやつだとしか思っていなかった。


 彼女には名前がない。ただ都市伝説を現実にするために生まれた幽霊よりも不安定でからっぽな存在だ。彼女はただ、その異常な雰囲気を放ちながら自分が見える誰かとすれ違い「見えてるくせに」と言うだけのために生まれたのだ。常人には見えず、見えても明確に人間ではないとわかる存在。人は恐れながら、彼女をいないものだと、関わりたくないものだと扱うはずだ。


 けれど、自分に元気のいい挨拶をした少女はそうではなかった。だから、彼女は都市伝説を実行し少女の身体を奪うことを恐れたのかもしれない。そして、無視されているから「見えてるくせに」と言うのであって、話しかけられたら実行できないと自分に理由をつけて、見逃そうと思ったのかもしれない。


 その日は朝の少女を除いては彼女を見ることのできる者は現れず、横断歩道でただ待ち続けながら1日が過ぎていった。夕方にもあの少女は通りがかるが、こんばんはと声をかけられて、面と向かうと答えることができなかった。逃げ出した彼女を不思議に思ったのか、少女は首をかしげていた。


 少女は通学路としてこの道を使っているらしく。翌日も現れ、諦める様子も怖がる様子もなく挨拶を欠かさなかった。残念ながらこの異様な気配をまとっている彼女は非常に見つかりやすく、たとえ夜遅くなっていても話しかけられた。1日、2日、3日と経って土曜日が訪れ、休日であることも手伝って人通りはめっきり少なくなった。


 今日はさすがに高校も休みであの少女も来ないのだろうと思い、いつもの横断歩道で誰にも視線を向けられないでただぼんやりと待っている。あの少女が来ることはあまり好きではなかったはずなのに、いざあの挨拶を聞かない日があるとなるとさみしく感じられた。


 しかし、少女は彼女のもとへ現れてしまった。ふだんは見ない私服はとっても可愛らしく見えて、たったここ数日の体験しか実際にはない都市伝説にとっても彼女は特別なように見えた。きょうも元気な「おはようございます」を聞き、なんだか都市伝説としてではなくここにいても許されているような気がしていた。


「……お、おはよう」


 そうしてなかなか来なくてさみしかったから。彼女は意を決して挨拶を返し、渡りかけた横断歩道を引き返し、少女についていく。驚いているようだが嬉しさもあったみたいで、少女は彼女の手をとって笑い、そのままたくさん煮詰まっていた聞きたいことをぶつけてきた。


「お姉さん、名前はなんて言うんですか?」


「と、特にない。名乗るような者ではないから」


「じゃあお姉さんのままでいきますね。お姉さんはどんなお仕事してるんですか?」


 ところがこの少女。彼女が答えにくい質問からぶつけてくるではないか。そのたびに言葉を濁し、なかなか不審がられている。せっかく勇気を出して話ができるまでになったのに、この少女に離れていかれたらどうすればいいのだろう。焦った彼女は聞けなくなる前にと自分が抱いていた疑問を打ち明けた。


「ね、ねぇ。あなたは、私が怖くないの?」


「どうして?」


「だって私、人間じゃないわ。あなたとは違う存在で、本当はあなたを殺すつもりでいたの。なのに、なんで」


「うーん、そのミステリアスなところに惹かれた、のかな」


 ミステリアス。人間ですらなく、自分を殺そうとしたとまで言い出した彼女をそのひとことで済ませてしまうとは。この少女こそが普通ではないのかもしれない。きょう会いに来たのも、どうしてもお姉さんと話がしたかったからと笑う。彼女はふと、この笑顔をずっと見ていたいような感覚に囚われていた。


「何をのんびりおはなししてるの?」


 このままだったら、幸せなだけだったかもしれないのに。現れてしまった。

 この女は異常だ。

 街中で恥ずかしげもなくドレスを着ているとか、脚が三本備わっているだとか、そういうことは関係なく。纏う気配は彼女の比ではなく濃い人外のものであり、関わればまずいということはひしひしと伝わってくる。

 咄嗟の行動か、少女は名も無き都市伝説を庇うようにして立っていた。彼女が見えるだけあってこの強い気配にも気がついているのだろう。空気が張り詰める。


「さっさと乗っ取ってしまえばいいじゃない。何をためらっているの?」


「わ、私は……」


「人を畏怖させるために私たちは生まれたのに、そんなこともできないの?」


 答えられない彼女へ、ゆっくりと迫る恐怖。消される。嫌だ。まだこの子と話したいことがある。この不思議な少女のことを知りたい。

 しかし、祈ったところで止まるわけもなく。振り上げられた脚は生身どうしがぶつかるような音とともにある角度で動きを止めた。


「……あなたは何?」


「私メリーさん。このパターンで助けに来るの、何回目かしらね」


「へぇ。あなたがメリーさんなの。期待通りかも」


 ◇


 ルナは正体不明のお姉さん、恐らく都市伝説であろう彼女を庇い、謎の少女に蹴り飛ばされかけた。そこへ駆けつけてくれたのがメリーさんだった。迫る蹴りを止め、ルナとお姉さんを助けてくれたのである。メリーさんには感謝してもしきれない。

 お姉さんを連れてルナは場を離れていく。あの三本脚の少女の注意はメリーさんに向いているのだから、戦っているあいだは逃げることができる。振り返ってその三本脚の彼女の表情を見ると、なんと笑っていた。その笑みは戦いに享楽を求めるものだ。戦う相手となれるメリーさんを見つけ、嬉しいと感じているのだ。


「私、エミリよ。呪われてるの。今日は私に付き合ってくれるんでしょう?ね、メリーさん」


 エミリの蹴りはメリーさんの手のひらで受け止められ、メリーさんの拳はエミリの脚で逸らされる。続けて膝蹴りに出るメリーさんの腿を踏みつけて止め、かわりに側頭部へのキックが送られる。だがメリーさんもやられているだけではおらず、笑うエミリの頬に拳が突き刺さって互いに吹き飛んだ。たった一撃ずつでも実力を知ったのか、メリーさんは額に汗を浮かべ、エミリはもっと嬉しそうにする。


 退くことも考えているメリーさんよりも、楽しもうとするエミリのほうがより攻勢に出るのは当然だ。エミリが右足で踏み込み、メリーさんが警戒した左での蹴り、ではなく背部のもう一本で身体を支えたドロップキックへと移る。対応しきれずにまともに衝撃を受けてしまったメリーさんは血を吐きかけるが、意地をもってエミリの脚を掴んで振り回した。脱しようともがくエミリだが甲斐なく幾度か壁へ叩きつけられ、やっと脱出できたのはメリーさんの首に自由だった背部の脚での攻撃が決まってからであった。


「ちょっ、に、逃げるんじゃないの!?」


「あ、うん!」


 ルナはお姉さんに声をかけてもらったことで自分があの少女同士の鮮やかな戦いに見入っていたことをやっと自覚し、もう一度逃げ出そうと思い直した。

 だがお姉さんが声をかけた、ということはエミリとメリーさんにも聞こえていたということで。ふたりがちゃんと逃げたということで一瞬気をゆるめてしまったメリーさんと、自分がもともと消そうとしていた者がいることを思い出したエミリの注意がルナたちへ向いたのだ。


 隙を突かれたメリーさんが抱えあげられ、ルナのほうへ投げつけられる。多少自信があっても人間としての域を出ないルナの足では逃げ切れない。そして、同時にエミリが飛びかかってくる。このままだとメリーさんごと貫かれてしまう。


 このままなら、そうだっただろうが。彼女が黙って見ていられるはずはなかった。


「お、お姉さん!?」


 名も無き都市伝説は、今度はルナのことを庇っていた。彼女が受け止めるには強すぎた三本目の脚は仮初めの肉を抉って、血を滴らせていた。


「どうして庇ったりなんて……!」


「……あなたの、その、変人なところに惹かれたのよ」


 身体を得ていない都市伝説だからといって傷つくことがないはずはなく、彼女の傷は塞がらない。意識を失おうとしている彼女の手をにぎり、ルナは荒い息で声をかけようとした。けれど、今度はルナの声が出なかった。


「興醒めね」


 エミリが短く告げる。メリーさんとの戦いに決着はついていない。だが、楽しむ気持ちが攻撃を庇いはじめた彼女のせいで冷めてしまったようだった。背を向けるエミリを追う気力はメリーさんにも残っていない。ただ、彼女の捨て台詞を聞くのみだった。


「メリーさん。この続きはまた今度にしましょう。『三本足のエミリちゃん人形』はあなたを待ってるわ」


 尋常ではない寒気を伴う休日の交差点を通る歩行者はいない。まれに通る車が、敗北を知らしめる雑音として耳に響いていた。

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