第17話『無に帰する者と純に殉じるもの』

 スタジオでの収録は後日となった。脚本は結局住友で続行することに。今江さんは降板。代わりの声優はすぐブッキング出来たそうだ。次から次へ真新しい子が出てくる。商品は目まぐるしく変わる。「これじゃなきゃいけない」ということは多数決において決められること。私たちの世界じゃ特にそう。元々特別なことなんて、主演の人に与えられることだ。作品自体が埋もれていればすげ替えることはいくらでも効く。どちらにとってもこれは良い結果だった。これはどちらにとっても良好な結果だった。


 今日また汚れてまた誰かがいつか私を拾って救ってくれる?

 闇空の中、目黒駅を見下ろしながら涙を拭う。思い振り切り武蔵小山に向けてハンドルを右に向けた。


 しばらく歩いてから一本の電話。ヒロコさんからだ。時間は11時を回っていたと思う。こんな時間に向こうから、珍しいこともあるもんだ。


 ただ話の内容は明るいものではなさげで。


 ヒロコさんは恵比寿の店を一旦閉めるそうだ。別に不況を感じなかったし、誰かの不興を買った感じもしなかった。


「ごめんね。突然ね」

「ヒロコさん、急にどうして?」

「横浜で、コンセプト見直して立ち上げ直してみないかって。「じゃあそうしようか」って結論で」

「そう、なんだ」

「今展示してる人は?」

「もう別のショップに依頼を出して。大方受け入れてもらえたから」

「ダメなのいくつかあるんですか?」

「例の『ジャイアンシチューレシピ』とか……」

「ああ……」


『ジャイアンシチューレシピ』は私たちの間の造語で、ある人が作った秘伝のシチューレシピだ。書き記すのもおぞましいが、小麦粉に鶏肉にじゃがいもに玉ねぎに人参に、片栗粉にチョコレートにママレードジャムにマスタードに、柚子胡椒にアジの開きに天日干しされたコオロギにセミの抜け殻、そんなこんなを大きな鍋を使いたっぷりの水で煮込んでいって……とまさにマンガの『ジャイアンシチュー』を彷彿とさせる恐ろしさだ。こんなシチューを流行らせて謎の感染症を蔓延はびこらせてなるものか、と皆で示し合わせて闇に葬ろうと長いこと奥にしまい込んでいたものだ。


「あと、常磐くんの本ね」

「それ、捨てといてください」

「いいの?」

「アイツ多分忘れてると思います。それのこと」

「マジで?」

「ええ……」

「(呆れ)ええ〜?」

「いやアイツはそういうやつですから」

「何だかなあもう」


 一呼吸おいて私は呟いた。


「……淋しくなりますね」

「色んな人の可能性をここから拾い上げたりしたんだけど「もっと大きく」って思うと自分たちがあまりに小さくて。ゴメン、アタシもね、このままじゃいけないなって思って」

「でも、それは間違ってないと思います」

「アタシも、そう信じて進んでく」

「はい」


 春の嵐は収まりそうにないや。そんな事心に呟きながら真夜中、降り出す雨を受け止めて家路に着く。誇りにまみれた私の道標はこの雨ですっかり淘汰された。


 私は「今日で最後」って思いをあそこに預けたまま勝手なやつに会いに行く。それであなたと距離をおいたつもりでいて、おざなりにしたつもりでいて。たまに差し込んでくるものに「決して愛してはくれない人」になったんだと思い知るけど、閉じたままにしておけば「さようなら」も言わずに済むでしょう。あなたが傷つくことがないと思っていた。嘘だよね? ごめんなさい、傷つけてばかりいて。でももう関係ないよね。傷つけることなんてもうないのだから、傷なんて感じやしないんでしょう?


 コンビニに立ち寄って買い物して、普段買わない銘柄の発泡酒を何本か買って。レジを済ませてレシートを受け取ったら797円で。『』って言われても「分かっちゃいる」、としか差し出せない。リュックにそれを放り込み店を後にして。アスファルトに引かれた白い線の向こうに惹かれて私はまた帰ろうかと黄昏てる。それはもう一抹の寂しさ、なんてものだよ、と感じながら。売れて欲しいんだという。そうか、そうなんだ。儚げなことといえば、そう感じながら。まあこれはたまらなくセンチメンタルになる。西の方を向き、まにまに思う。泣いて、泣いて、もう何度も持ちこたえてきたはずなのに。入り口の先から何回戻ろうと堪えて突き進もうと決めた筈なんだ。意味なんか後で決めたらいいと胸にしまい、そういう時は起こる事に全て向かい合うんだ。簡単な事だろう。飛び越えていくんだ。簡単な答えだ。解けないなんて嘘だ。簡単な事にも逃げ出すくらいなら、事あるクライシスに死すと定めた。頭痛が止まないままな朝だ。降り出す雨に迎えば限りない喜びが遥かに遠く震えたまま立ちつくしていて。


 うまく漕げない自転車。途中ぬかるみに足を取られ転び、派手に転んでしまった。


「……いったあ」少し背中を打って汚れてしまった。ますます濡れた体に春の雨は容赦ない。傘、なんで忘れたんだろうか、なんて思うより、傘なんてこんな時に誰も差しだしてくれない、そんな悔しさが強く包んで、ハンドルを必要以上に握り締めて進んだ。私は多分誤った方向へ行き進んでいるのだろう。


 考えてみれば、謝りかたも色々で誤った方向に行き進むこともそりゃああるから、それでまたぺこぺこと謝ったりして。だんだん自分に自信が無くなって、卑屈になる事もしばしばあって。ひとりでいるのが心許なくなる。


 ——ああ、あんたなんかなんで生きてるんだって言ってたじゃないか。


 そうだよね、世の中矛盾だらけだ。無に帰する者と純に殉じるもので。捧げる価値はどちらも等価値かもだけど。虚しさだけはどうか味合わないで欲しい。魂が心の中で育つという迷信で今日まで育った。嘘だろ? 熱い鼓動が刻まれる時に、流れるのは考えるより先だ。

 ああなんてことはないこと並べてって切り取った虹色をどう貼ろうか考える。

 時事色なんて何だかさ、ジジ臭いこと言わないで。

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