第6話『ぼんくらだらけな日常だけど……』

『君』と『お前』の間で揺らぎながら、ニッキ水みたいな後味の悪い苦味を少し舌に残して、立つ鳥跡を濁すような素振りばかりな毎日をいつまで過ごすんだよおいって、置いて行きたくなるのに、面影を結局置いていけなくて、それは幻影じゃないんだ。眼の前にいるのは。

 補充してきた面影はもう居ないものなのに、眼の前にいるものは只のレプリカ、オルタナティブなものにすぎない。なのに。

 ほんと顔だけはムカつくぐらいお前は……。


「ん?」


 ゆっくり頷くしかなかった。


 <ほんとわかりやすいぐらいにだ、和真にそっくり――>


 ただそれだけで、4年間ずっと愛でていた。中身も何もないこの男を。いやそういうのは失礼だろう。

 中身はある。金髪。トンチの効いた、青虫のような、どうにかしたい、どうしてやろうか、常磐裕司。


 店を出て恵比寿から渋谷へ線路沿いに沿っていくと、専門学校が2つ見える。学生たちが就職に向けて大わらわだったり、体験入学を終えた生徒がどちらにしようか悩んでいたり、そして今更な話をしていたりする子が居たり。やっぱり俺たちはこっちよりあっちのほうが合っていたんだ、とか今更なこと。向こう3件違うだけで、まるで見える将来が変わってしまうような、天国と地獄を味わったかのような白い吐息と黒い喘息が入り混じっていた。


「俺さ、手伝うよ。お前のこと」

「別にいいって」

「渋谷に行ってハンズでパッパッと材料買って、チョコ作って、それから――」

「それから?」

「バイト探す」

「……やっとかよ。先にやれよ」


 ハンズで買い物を終えたら帰りは電車で一直線。夕暮れを眺めながら、言わず終いなことをまた溜め込んだ。観ず知らずな日々は振り返ることなく消え去っていくのだろうけど、言えなかったことはふとまたどんなタイミングでこみ上げてくるのか、時々不安になる。書き留めておきたくなるのだけど、メモ帳を取り出すまでにして途中でやめた。


 信じることにしよう――そう思った。信じれば、踏み散らされたとしてもまた鳴らせる。欲しかった答えなんて最初から期待していない。それよりも、今一緒に歩んで舞い込む毎日運命のような災いたちが祝福のファンファーレに変えられるのなら、私の価値も少しは捨てたものじゃない。

 リュックの中にはいっぱい歌詞や今まで歌を聞いてくれたお客さんからのメッセージを書き込まれたノート、4年間分で丁度4冊溜まってる。鉢を植え替えるように私は歩く世界を変えていく。この人たちは、これからまた行き交い出会う人たちは私を花開かせようと水をやり、肥料をやり、と色々考えてくれる。今ならもれなく変な青虫も付いている、こんな私をだ。ただこの青虫、いつも蝶になりたがっていて少し困る。


「部屋にガットギター転がってるじゃん。あれ練習してうまくなったら、お前とコンビ組めたりとかさ」

「やめろふざけんな。そんな容易くやられてたまるかっ!」

「やったらどうするよ? 色々巻き起こる世の中だ。次に何が起こるかなんて、俺にだって予想がつかない」


 そういうのは確かにそうだ。

 計画は出来る。イメージで描いたどおりに着実にこなしながら、むしろそれを超えた形に出来ることもある、それは嬉しい結果だ。

 けれど理想や予想は違う。尽く裏切られる。人や物が絡み、悲しいことに繋がれば、嬉しいことに繋がることもある。

 最近は小さな悲しみが多くて、大きな喜びが多い。

 そう引き寄せるように心がけてる。

 ――明日のことだってきっとそう。


 * * *


 翌日、浜松町の分化放送をひとりで訪れる。まだマネージャーが付くような、御大層な身分じゃない。『何時何分にここに行って下さい』と連絡指示を受けてお仕事に向かうよな、派遣のバイトのようなものだ。これが終われば今日もスタジオで曲作りをし、深夜は遅番のバイト。カツカツのスケジュールだ。肩に担いだストラトキャスターがグッとくる感じだ。だけど、いざ放送局に目をやると少しだけ、運命を引き寄せた気がした。構成作家の土肥さんがロビーで出迎えてくれた。

 スタジオに近づくにつれADの子たちが私について色々とざわついていた。


「構成の土肥さんがねじ込んだみたい。レコード会社の新人」

「また枕とかじゃないの? こないだ炎上派手だったじゃん」

「最近そういうの多いよね?」


 ――ああ早速アウェイかよ。慣れてはいるけど、とりあえず誰にでも挨拶はしておく。


「おはようございます。よろしくお願いします」

「お、おはようございます……」


 そう、それでいい。挨拶一つで人を蹴倒せるのだから、ちょろいもんだ。


「こちらが七瀬譲葉ちゃん。プロデューサーの片岡さんに、ディレクターの小口さん。今回の番組はしっかり力入れていくから、是非頑張って」

「期待に応えられるよう、頑張ります。よろしくお願いします」


 ブースに入ると、ゲネプロ(通し稽古)用の原稿が用意されていた。


「本放送の録音に入る前にゲネプロを撮って感触を確かめてみるから。ジングルもまだ仮だし。だけどコーナーとかは実際にやるものを想定してやってるんでよろしくね」

「わかりました」

「ところで番組第一回目のリスナープレゼントなんだけど…」

「始まりがちょうどバレンタイン前なので、チョコレートとかどうかと…」

「チョコかあ…結構他の番組とかも手作りチョコやってるからなあ…」

「やっぱり、そうですよね? 人気声優さんから貰うのと、いきなりぽっと出の新人から渡されるチョコなんて……」

「――むしろそれ、応募があるかどうか、見てみようか?」

「え?」

「だって、義理で貰ってくれるものか見てみるの、興味深いじゃん。今後の人気を推し量るのに一番わかり易い!」

「え? えーーーっ?!」


 運命なんて、唐突だ。

 裏切りも、唐突に来る。苦いくらい突然に。空は、昨日と今日でまるで違うのだから。


 打ち合わせを終え折もあろうに常磐からLINEが。『バイト決まった』とか。『ギター始めてみた。一発でFコード弾きこなせたぞ、いひひひひ』とか。『今日は俺が発泡酒買っといた』とか。『帰ってから一緒にチョコ作ろうな』とか。今既読もしたかあねえんだよ、そんなもん。このボケ金髪! 思わずスマホをへし折りたくなったけど今はどうでもいい。今はどうでも! 懸念事項打ち込みたくてもコイツのことより――

 ああ、もう義理で人情を得られるなら、そりゃさ。どこまでも勝ち取りたいもんだ。髪を金髪にしたらいいんでしょうか? この機会にアニメに少しは詳しくなればいいんでしょうか? とりあえず迎合していけば得られるものがたくさんあってというなら…と、でも打ち返そうか……やめとこう。

 何もかもが『私』に対する諦めだ。まだ始まったばかりじゃないか。作るだけ作りやるだけやり遂げてみて、反応を見てラジオを愉しんでみて。言わず終いの物語の次のページに、幸運の女神が微笑むことだってあるかもしれない。

 私はまだ何もここに『想い』を載せていない。かつてこの放送局が四谷にあった頃は修道院兼用だった。外観だってその面影を残していたそうだ。願いを託して届けて、陽が差し込むか見てみようじゃないか。


 ただし、私はその時一個だけ常磐のLINEを見落としていた。


『キスした』


 今更な、だけど4年の間一度も這わせたこともなかった。銀色のロケット越しに、言わず終いでは終えられない事がひとつ出来た。


 ――ねえ和真。


 ぼんくらだらけな日常だけど、私、愉しくやってるよ。少しずつ運命を切り開きながら、苦い味噛み締めながら、それでも時折『人の甘さ』ってやつを皆で共有しながら歩んで良いんだって思えたんだ。そんな日々だってあったって良いんだ。踏みにじられるばかりが日常じゃないんだって。6弦をギャンギャンかき鳴らして引きちぎったって、明日はまた鳴り響く。

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