あと95日。 《中》



 そちらの方へ視線を向けると上に住んでいる、確か…立花さん、が降りてきていた。



「こんばんは」


『こんばんは』



 立花さんとは入居したての頃、少し話したぐらいで、今ではすれ違うたびに挨拶をする、というくらいの仲だ。


 だからだろうか。

 彼がいきなり私に話しかけてきて驚いてしまったのは。



「あの、桜木さん」


『えっ?なんですか…?』


「その…言いにくい事なんですけど、ボク、最近、耳の調子が悪くて…」



 少し長めの前髪から見える目の下にはクマが出来ている。

 恐らく耳の調子のせいなのだろう。寝れていないのかな…。



『はぁ…』


「数字が…、聞こえるんです…。いや…数字みたいな…、声、というか、音というか…」


『それは変ですね…』



 長くなると思った私はそう言いながら開けかけていた鍵を締める。


 ちらっと立花さんを見ると片手にはゴミ袋。どうやらゴミ捨てに行く際にたまたま私に出会って話したようだ。



『でも医者の卵でもない私にどうしてその話を?』


「実はこの前、桜木さんと青波さんが話しているのを聞いたんです…」


『私とトウヤ先輩が…?』


「はい。遊びに来ましたよね。その時に聞こえてきちゃって…。あっ、ごめんなさい、盗み聞きとかじゃなくて、本当、たまたま聞こえちゃったんですっ」


『大丈夫ですよ。ここのアパート、大体話し声とか筒抜けちゃいますもんね』



 私はそう言ってスクリ、と笑う。

 それにホッとしたのか立花さんは続ける。



「それで、桜木さんの視界に数字が出てるって聞こえて…」


『そうなんですよ。視界に今だと95日、って薄っすらですけど見えるんです』


「ボクの場合は耳元で囁かれてる感じがするんです。でも囁かれてる、じゃなくて耳の中からって気もするし…でも囁かれてる気もするし、で…。耳鼻科に行っても大丈夫って言われちゃって…」



 相当、不安なんだろう。少し語尾が震えている。

 少し小太りでニートを連想させるような風貌だが、彼は優しい。

 私が入居したての頃、気を使ってかよく挨拶して少し立ち話をしてくれていたものだ。

 そんな彼が今、相談をしてきてくれている。何としてでも力になりたいものだ。



『…立花さん。さっき、数字が聞こえるって言ってましたけど、なんて聞こえているんですか?』


「“3”です」


『3、ですか…』


「ハッキリと、3!って聞こえているわけじゃなくて…上手く伝えられないけど、あぁ、3なんだなって。…おかしいですよね」


『いいえ。そんな事を言ったら私の視界もおかしくなっちゃいますから』


「そうですよね…。あっ、長く引き止めちゃっててごめんなさい。あの、今日はこのくらいで。今度会った時に話そうって決めてたんで…」


『はい。分かりました。何か進展があったら是非、部屋にでもきてください』


「分かりました」



 立花さんと短く別れを告げて私は鍵を開けた。

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