第二十一話 近づく戦い

 敵軍と交戦することもなく、東部一帯は呆気なく降伏した。


 キャスリー近郊で、コンラッドは五万の本隊と合流する。

 部隊は街の外に幕舎を張り、指揮官であるマンフレード・ド・ダンジュー、その副官のフィリッポス・ド・サンフェノを出迎えた。


 フィリッポスはにこやかに告げる。

「将軍。ご苦労だった。

血を流さず降伏させられたのは快挙と言って良い」


「……はっ。ありがたき御言葉にございます」


「浮かない顔だ。

兵を損じず、領地を手に入れたというのに」


 コンラッドの一歩後ろに控えていたハイメが言う。

「コンラッド殿は、あっさりと街が降伏したことが釈然としていないようなのです。

何かの罠なのではな、と」


 フィリッポスは訳知り顔でうなずく。

「将軍は先の敗戦をまだ引きずっておられるのですな。

教団が出張っているのです。

この大陸のどこにも誰もアルスにたてつける者などいないのですよ」


「……それは分かっています」


「それよりも、目先の問題にどう対処するか、です」

 フィリッポスはファインツ州の地図を広げた。

 そしてある一点を指さす。

 そこは西部である。

 サロロンの南、馬で数日の距離に位置している。


「ここに敵が何かの大規模な工事をしているという情報が、間者より入っております。

おそらくここで我々を迎え撃とうと言う腹づもりなのでしょうが……」


 コンラッドは地図をのぞく。

「我々がここを無視し、直接、サロロンを突くとは考えていないのでしょうか」


「しょせんは烏合うごうの衆の考えるのこと。

浅知恵もここまでが限界ということでしょう」


 しかしコンラッドの胸のもやもやは晴れない。

「ですが、連中のことです。何かを仕掛けてくるはずです」


 マンフレートは口を開く。

 その声はしゃがれている。

「ロミオの首を落とせば戦いは終わる。

その付近に抑えの兵を残し、サロロンを直接攻撃すれば何も問題はない」


 マンフレートのその言葉で全てが決したという感があった。

 そしてコンラッドに言葉はない。


 この場の誰もが楽観的に物事を考えている。

 コンラッドだけがうれえている。


 とはいえ、コンラッドに何か情報があるという訳ではない。

 嫌な予感、そうとしか言えない漠然としたものがただあるだけだ。

 そうと言っても、周りは負け犬が過度に相手を怖れているという風にしか取らないだろうが。


(いや、こう考えていること自体、すでに敵の術中にはまっているということなのか?)


 フリードリッヒはあの女によって判断を誤った。

 自分もまた、見えてもいない大きな影におびえ、ありもしないものに打ちのめされているのか。


 野営地に戻ると、ザルックがいた。

 彼が敵の間者である可能性は今も、頭の片隅にある。


 しかし敵の襲撃は全くないし、ザルックが誰かと接触しているという姿も見たことはない(キャスリーの顔役とは話してはいるようだが)。


「おかえりなさい」


 ここが戦場であることを忘れてしまいそうな言葉に、コンラッドは苦笑する。


「どうかしましたか?」


「いや、何でも無い。

……ただいま」


「これからどうするんですか」


「進軍を続け、街を制圧する。

良ければ力を貸して貰いたいが、どうかな。

無論、相応の謝礼は出そう」


「もちろんです!

早くあのロミオとかいう男を倒して下さいっ!

その為には協力をしみません!」


「そうか」


 ザルックはコンラッドの周囲の細々とした世話をしている。

 本陣の設営や荷物運び、夜は火を絶やさぬようにすることなど、である。

 最初はそんな必要は無いと断ったが、「どうしても協力したい」と言われ、身の回りの世話をさせている。

 と言っても、完全に心を許した訳ではなく、馬や武器は扱わせない。

 食事にも手を触れさせない。

 

 それでもザルックはコンラッドの従者のような感じになっていた。

 最初ザルックに対して払っていた注意も、今は薄らいでいる。

 むしろ、表裏のない、屈託のないザルックと話すことを楽しいと感じている自分がいた。


 ハイメとは正直、価値観があまりに違いすぎて話したいとは思えない。

 騎士は主君の為に命を投げ出す。


 同じ騎士でも星騎士のハイメとは何かが決定的に違う。

 異端だからと死んだ者を掘り起こして焼き、灰をたるへ詰める――星騎士の面々がそれを粛々と行っている姿に、狂気を感じた。


 コンラッドもまたアルスを信仰している。

 しかし子どもの頃から星殿に熱心に通うという習慣はなかった。

 田舎の星殿は地域の集会場のようなもので、教義にうるさいことは言わなかった。


 だから初めて都会の星殿の厳粛さには面食らったほどだ。

 それに誰もがひざまずいて当然だという価値観にも。


 だから、コンラッドにとってハイメはいつまでも異質な存在なのだ。


 疑心暗鬼に陥ってしまっている。

 コンラッドはそんな自分を振り切るように、ザルックにうなずいた。


                       ※※※※※


 そして翌日。

 東方から西部へコンラッドたちの軍は足を向けた。


 ファインツに入ってから目についたのが、麦畑の豊かさだ。

 さすがは王国随一とも言われる穀倉地帯をもっているだけのことはある。


 この時期、麦の生育は真っ盛りだった。

 青々とした麦が風に揺れ、波打つ様は見取れるほど綺麗だった。


 これほどの景色は、王都周辺ではとても見られない。


 収穫は夏も終わりかけた頃だ。

 その時には、青々とした麦は黄金色に輝き、大地を埋める。

 その姿はとても壮大なものだろう。


 何としてもそれまでにはロミオを捕らえ、王国を再び一つにしなければならない。


 まるで領地の巡邏じゅんらを行っているかのように、軍をさまたげる動きはなかった。

 街も東部と同じように次々と降伏を受け容れた。

 一切の反対はない。

 

 すべてがうまくいっている。

 このままいけば、やがてロミオたちは居場所を失う。

 コンラッドはそう自分に言い聞かせ続けた。


 と、行軍していると前衛から馬が駆けてきた。

「申し上げます!」


「どうした」

 軍全体に緊張が走るのを、コンラッドは肌で感じていた。


「前方の街より、黒煙が上がっております!」


 コンラッドは、ハイメを見る。

 ハイメはうなずく。


(来たか)


「ザルック。お前は私から離れるな」


「は、はい」


「みな、用心せよ!

敵が近くにいるかもしれんぞっ!」

 コンラッドは叫ぶ。


 すぐに角笛が吹かれ、軍全体が戦闘隊形に移行する。

 街道を長蛇の陣形で進んでいたのを、速やかに歩兵部隊はいくつものまとまり――密集陣形を作り、側面を騎馬隊が守る。


 そうしながらゆっくりと街道を進んで行った。


 緩やかな丘を越えた。

 眼下にある街からは確かに黒煙が昇っている。


 しかしその黒煙は決して多くはない。

 街全体が燃えているという訳ではないようだ。


「あれは罠かもしれない。

周辺警戒を怠るなっ!」

 コンラッドはそう言い放ち、斥候部隊を四方へ飛ばしながら街道を進んだ。


 街の門前にたどりつく。

 そこには街の人間たちがいた。


 彼らは星騎士団の旗にひざまずく。


「騎士団様! 

どうか、どうか……お助け下さいませぇっ!」

 市民たちが悲痛な声を上げた。


 コンラッドは馬を進めた。

「何があった」


「馬にのった賊徒どもがいきなり現れて、

門を閉める間もなく侵入されました。

連中、わしらの星殿せいでんを燃やしていったんですっ!!」


 ハイメが前に出た。

 気色けしきばんだ彼の目はギラついていた。

「そいつらは何者だ!」


「ロミオの軍です」


 コンラッドは聞く。

「軍はどこに?」


「あちらの方に消えていきました」

 そうして西の丘を指さす。


 コンラッドとハイメは顔を見合わせた。

 そちらは、ロミオの軍が大規模な工事をしているという報告があった場所だ。


 ハイメは叫ぶように言う。

「コンラッド殿。

至急、軍を向けます!」


「ハイメ。落ち着け。

分からないか。

敵は我々をおびきだしたいんだ。

星殿を燃やせば、我々はそれを無視できないと……。

術中にはまる必要は無い」


「あなたは何かを勘違いしておられるようだ。

総大将はあなたではなく、ダンジュー卿なのです。

そして騎士団はこのような罪業ざいごうを決して許さない。

それに、ここまで何も手出しが出来なかった連中に一体何が出来るというのですか?」


「それは……」


「これまで通ってきた街には軍の姿もない。

敵が構えているというのなら、本隊がそこにあるということではありませんか。

正面からぶつかり打ち破るだけです。

その後、悠々ゆうゆうとサロロンを落とせば良い」


「だが――」


「コンラッド殿。

話は終わりです。

軍を進める。

これは教団の人間としての命令です」

 ハイメは怒りを宿した眼差しのまま告げた。


「あなたが軍を進めるのを拒絶するのならば、それはそれで良い。

あなたの指揮権を奪うだけです。

私はそうすることを許されています」


 コンラッドは力なく言う。

「軍を進める」


 コンラッドの言葉にハイメはうなずいた。

「参りましょう」

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