第十話 ナフォールののどかな日常

 ロザバン居留地の戦いから一月ひとつき後――。


 デイランたちの姿は、ナフォール州にあった。

 王都から遣いが来て、正式に与えられるという書状がもたらされた。


 さらに王都へ戻ろうとしたデイランに、使者はロミオからの言葉として、

「帰還は無用。ナフォールにて待機するべし」ということを伝えた。


 そればかりか、デイランたちの仲間を、使者は王命として厳重な護衛まで連れて来ていた。

 総勢二百人あまり。

 ナフォールの大地は彼らを受け容れるのに十分なほどに広かった。


                 ※※※※※


 日射しが降り注ぎ、一片ひとひらの雲もない青空の下。


 デイランは鍬を大地へ振り下ろし、掘り返した。

 上半身は裸で、よく鍛えられた鋼を思わせるような筋肉を汗で濡らしながら、黙々と腕を動かしていた。


 同じような作業はそこかしこで行われていた。

 畑づくりである。


 何もない大地に、人間が住めるよう一からやるのというのだから大変だ。

 二百人もいれば何とかなるだろうという予測は呆気なく裏切られ、毎日太陽が昇ってから、沈むまで働きどうし。


 デイランたちがまう場所は、ナフォール州においてまだ人の手があまり入っていない場所だ。

 行政長官、クリム・ウルトゥルフからはもっと開けた場所に街を作れば良いと言われたが、断った。

 たとえこの場所がエルフやドワーフとの交流が公然の秘密として行われているとはいえ、街の傍にエルフやドワーフのハーフという存在が近くにいれば、要らぬ騒ぎの火種になるかもしれないと考えたのだ。

 同じ地方にいれば、その内、話し、交流を持つ機会も生まれるだろう。

 しかしデイランとしてはその交流は自然発生的に生まれるべきで、距離的な密接さで関係を結ばざるを得ない、という風にはしたくなかった。


 デイランが選んだ場所には、標高およそ二百メートルほどの小高い山がそびえ立つ。

 クリやカキ、ムカゴなどの木々が生い茂る豊かな場所だ。

 ここを選んだのは食べ物の豊かさだけではなく、この小高い山が、周囲を見張るのに適していたからだ。


 畑はこの山の周辺に作り、他に馬小屋なども作っている。

 近くの森から切り出した木材を使っているのだが、ちゃんとした家は数軒と、事務所用に一軒を確保している。

 しっかりとした家には子持ちを優先してあてて、他はデイランを含めて辛うじて雨露あめつゆをしのげる掘っ立て小屋だ。

 全員分まで行き渡らせる何とかしなければならないが、まだとても手が回らなかった。


 デイランは上半身を持ち上げ、そっと息をつき、汗をぬぐった。

「ふぅっ……」

 身体を反らし、腰を叩く。


 これまで自分は体力にだけは自信があると思っていたが、農業はとにかく腰にくる。  馴れないこともあって、鍬を持ってしばらくは筋肉痛に苦しんだほどだった。

 今は多少は馴れもあるが、正直、だるさはある。


 それでも一日畑仕事を終えたあとに感じる充実感は貴重なものだ。

 王都の裏社会で生きていた頃は、日に巨額の金を稼ぐことも珍しくはなかったが、今ほどの充実感はなかった。


 常にまだ足りない、まだ足りない、あと幾ら必要だ、とそんなことばかり考えていた。


 その点、デイランは自分は金勘定よりも力仕事に特化しているようだ。

 前世でも経済やくざにならなくて正解だとしみじみ思う。


(農家も楽じゃないな。とはいえ、この世界じゃトラクターなんてあるわけもないしな。

とにかくコツコツやっていかなきゃな)


 畑にいるのは男達だけではなく、幼稚園生くらいの子どもたちが大人達がくわを振り下ろす動作を真似したり、畑が広がっていくのを「すごい!すごい!」とはしゃいだりしていて、賑やかだ。

 子どもの無邪気な姿を見ていると、この子たちの為にも頑張らなければ――と思えてくるのだから不思議なものである。


 そこへ声がかかる。

「みんなー! 昼ご飯よーっ!」

 呼びかけたのは、女性陣だった。


 彼女たちは大鍋にスープを準備し、焼きたてのパンを持って来てくれるのだ。


 ここにいる全員が、何かしらの人には言えない生い立ちを持っている。

 エルフやドワーフのハーフたちは言うに及ばず、人間族でさえもだ。


 敵対組織をしていた者もいれば、貧困にあえぐ者、他の街で犯罪を犯して流れてきた者、孤児と――境遇は様々。

 しかし今、その表情の中に等しくあるのは笑顔だ。


 この笑顔を守る為に、ここに立っているのだと決意を新たにした。


「やったー! 飯だああぁぁーっ!」

 ドワーフのハーフたちの一団が駆けつけてくる。

 先頭を切るのはアウルだ。


 彼らは森林伐採部隊だ。

 木材は家の方に使うのはもちろん、近くの街へ売りにいったりもしていた。


 アウルのはしゃぎぷりに、周りの人間たちが笑う。

「おいおい、何がそんなにおかしんだよ。変な奴らだなあっ」

 そういうアウルも、釣られるように笑う。


 デイランも頬を緩めながら、キョロキョロと辺りを見回し、女性陣に言う。

「マックスは?」


「あら隊長。

マックスなら地図とにらめっこしてますよ?」


「そうか。じゃあ飯を持っていくよ」


「あらでも隊長にそんなことは……」


「良いさ。ちょうど話したいこともあったんだ」


 と、女性陣はひそひそと話し合い、キャーッと黄色い声を上げた。


「どうした?」


「いーえ、いーえ。何でも無いですよ。

そう。じゃあお願いしますね」


 女性陣の反応にやや戸惑いつつ、二人分のスープとパンを持って、事務所用の家へ向かう。

 ノックをする。


 少し間を開けて、マックスが声を出す。

「はい?」


「俺だ。デイランだ。昼飯を持って来た。入っても良いか?」


「ああ、ちょ、ちょっと待って……」

 しばらくしてオーケーが出た。


「入るぞ」

 扉を開ける。

 マックスの執務机には幾つもの書類が置かれている。


「少し休憩だ」


「ええ、そうね」

 マックスは眉間を揉んだ。


 執務机の脇に寄せられた地図を見る。

 そこには一発でマックスの文字で分かる、緻密ちみつな文字で色々な書き込みが行われていた。


 どこに畑を作り、どこに集落を設けるのか。

 ナフォールの行政長官であるクリム・ウルトゥルフから資料を借り、地形などの情報を総合的に考えて作成した。

 同時に、金勘定もマックスの役割だ。


 元々はデイランと一緒にやっていたことだが、少しでも男手が必要な時だからとマックスに言われ、力仕事に回っている。


 だが今のマックスを見ると、やはり憔悴しょうすいの色が深いように見える。


「マックス。やっぱり……」


 マックスは先を読んで首を横に振った。

「駄目よ」


「だが……」


「今の大変な時にこそ、デイランの存在がみんなに勇気と希望を与えるのよ。

輝かしい人間はみんなの見える所にいないとね」


「分かった。

でも無理だけはやめろ。限界だと思ったら絶対に言え。

隠したり、誤魔化したりするな。

それが理由で倒れたりなんかしたら、力仕事に回すからな。良いか。

約束してくれ」


 デイランはじっとマックスの目を見る。

 マックスは頬を染め、俯く。

「……分かったわよ」


「それなら良い。

ほら、醒めないうちに食おう」


「そうね」


 と、しばらく食事をしていると、マックスがチラチラと視線をやってくる。

 それに気づいて顔を上げる。


「どうした?」


「ねえ、聞いて良い?」


「ああ。どうした」


「ムズファス族の族長の所に攻めこむ前の日に、アミーラがうちに来たでしょう。

雨が降ってて」


「ああ。そうだな。それがどうかしたか?」


「あの時に、何を話したの?」


「いきなりどうしたんだ」


 マックスの歯切れは悪い。

「どうしたって……まあ……別に……ちょっと……気になって……。

だって、出てきたあの子、すっごく清々すがすがしい顔をしてたし……」


「秘密だ」


「えっ、何それっ。

私に秘密にするの!?」


「個人的なものもあるし」


「……個人的なもの……?」

 マックスは胡乱うろんな目つきをした。


 と、その時、扉がノックされた。アウルの声だ。

「デイラン! アミーラが来たぞっ!」


 これも噂をすれば、と言うのだろうか。


「分かった今いく。

マックス。食事はゆっくりしていて……」


 デイランと同時に、マックスも立ち上がっていた。

「私も行く」


「……あ、ああ。分かった」


 そうしてマックスの名に強い視線を背中で受けながら、みんなの所に向かう。


 そこにはアミーラと女エルフ、リュルブレとタヅネがいた。


 ロザバン平定後の後も、サーフォーク族との繋がりはあった。

 デイランたちのやろうとしていることにも協力してくれて、食料品や交易に使えそうなものを運んで来てくれていた。

 デイランは「俺たちにはまだ返せるものがない……」と言ったが、

アミーラには「お主のお陰で、森に平穏が戻ったのぢゃ。その心ばかりの礼ぢゃ」と言ってくれた。

 余裕の無いデイランはその言葉をありがたく受け止めたのだった。


「おぉ、デイラン! 頑張っておるようぢゃのうっ!」


 デイランは膝を折る。


「アミーラ、突然だな。事前に教えてくれれば、多少のもてなしをしたんだがな」


「フフッ。別にそんなことは無用ぢゃ。こちらから、たーんと農作物を届けて来たからのう。存分に食べてくれ」


「ありがとう。いずれ、この礼は――」


「やめよやめよ。妾たちの間柄ぢゃぞ?」


 デイランは、リュルブレたちにも目を向ける。

「みんなも、元気そうだな」


 リュルブレはうなずく。

「ああ。あれから、部族間同士も連絡を密にしあうこともあってな。

もう誰にも好き勝手はさせない」


「もし何かあれば言ってくれ。俺たちも喜んで助力する」


「感謝する」


 デイランたちは笑みを交わした。


 アミーラは言う。

「デイラン。また畑が広がったようぢゃのう。

来るたびに大きくなっていくようで面白いのう」


「そうか? じゃあ案内しよう」


「うむ、頼むぞ」


 そこにマックスが割り込んでくる。


「マックス? どうしたんだよ」


「私も同行するわ。

アミーラ。良いわよね?」


 アミーラは何かを悟ったように、おかしそうに微笑んだ。

「なるほどのう……。

良いぞ、デイラン。マックスと良こう」


「……そうか。じゃあ、そうするか」


 二人の女が静かに火花を散らすことに、デイランはまだ気づいていない――。

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