対抗戦~005
しかし、こうなったらヒロは譲らない。だけど減量失敗で試合に出られなくなる可能性もある。
「まあ…ジムの対抗戦だから、多少のウェイトオーバーは気にしないと思うけど…」
本気のプロの試合じゃねーんだから、そんなにうるさく言わないと思うが。
「……向こうはそうかもしんねえだろうが…ウチはプロが向こうよりもいるんだよ…示しがつかねえだろが」
舐められたから受けた試合だったかそう言えば。
練習試合できっちり仕上げて来るとは思えないし、こっちにも要求はしてこないだろうが、この世界じゃこっちのジムの方が先輩だ。たかが練習試合だろうが、あらゆる面で見せ付けてやんねーとな。その気持ちは痛いほど解るぞ。
「解った。だけど俺も一応減量しとくからな。お前が失敗した場合を考えて」
そうなったら俺が代わりにジュニアウェルターでやればいいだけだ。
ジムの、プロとしての気構えを見せ付けるんなら、ちゃんとして見せ付けてやらねばならない。と言っても俺達は練習生だが、これは先輩ジムとしてのプライドだ。
「……そんな心配は無用だが、好きにしろ……」
もう会話も億劫だと言わんばかりに完璧に机に顔を伏せるヒロ。
お前のその様が心配だから、俺も保険で供えるって事だろうが。
ヒロはその後も減量はちゃんと行っていたようで、日に日にやつれて行った。
ヘロヘロでサンドバックを叩く姿を見た日にゃ、もう、可哀想で可哀想で見ていられない。
そんな感情を抱くのは俺だけじゃ無かったようで。
「おい隆、お前がジュニアウェルターやってやれよ……」
堀田さんが誰にも聞こえないような小声でそう話掛けて来た。
「俺もそうするって言ったんすが……言うこと聞かねーんですよ、あいつ……」
「博仁は意地っ張りだからな…自分から言い出した事だから曲げられないって事なんだろうが、あいつ減量した事無いだろ?」
「それを言っちゃ、俺もそうっすけど」
食いたいものを食うのが俺達だ。減量?そんなモンプロ、もしくはプロを目指している人達がするもんだ。
俺はぶち砕く為だけにやっているから。ヒロは趣味で続けている、だったか。
兎も角、そんな理由で大雑把なウェイト管理しかしていない。
「お前の場合は普段も節制しているだろ?少なくとも博仁よりは」
「まあ…ヒロよりは、ですかね?」
あいつは本能の赴くまま食うから。だけど俺もヒロとどっこいどっこいのような気がするが。
遥香と付き合ってから、遥香のお残しをどれだけ食っていると思ってんだ。
「因みにお前、今いくら?」
いくらとは体重の事だろう。なので練習前に量った体重を思い出す。
「えっと……64ちょいっす」
意外だったようで目を見開いた堀田さん。
「お前も減量していたのかよ?」
「ええ、まあ…あいつのリミットがオーバーした場合を考えて…」
と言っても俺もまだオーバーしているが。俺の本来はもしかしてジュニアウェルターじゃないだろうか?ってくらい、身体も軽くなったけど。
「そりゃ感心だ。本気で感心した。だけどお前も博仁も成長期だ。もうちょっと変わるかもしれないから、まだ階級に固執する事も無いと思うけど、マジ感心した」
「固執なんかしていないっすよ。あくまでもヒロが間に合わなかった場合を考えてですね…」
何度も感心したと褒められても困る。必要を感じて行っているまでだし。
「堀田さん達はどうっすか?練習試合だからウェイトはそんなにうるさく言わないでしょ?」
「俺達も勿論オーバーはしているよ。向こうもそんなに拘っていない。だけど、それに近付くようには落としているし」
そもそも本当の試合じゃない。スパーリングだと。
「だから博仁にもそんなに気にする事は無いって言ったんだけどな、俺達も会長も」
それでもジムのプライドだと頑張っているんだよな…だけどなんでジュニアウェルターに拘っているのか?そこだけが解らない。
明日は日曜日。だけどジムには当然顔を出す。あと一週間後なんだから休んではいられない。
それは俺もそう思うし、当然練習には来る。だが…
「ジムに泊まり込む必要はないだろ……」
今だジャージの儘、ジムのソファーに寝っころがっているヒロに呆れながら言った。
「……まだリミットオーバーなんだよ…それに体重を落としたからスタミナも落ちた。維持するための泊まり込みだ」
「そうは言ってもサウナ室まで使うのはやり過ぎだろ…」
会長も呆れてそう言う。ウェイトオーバーはそんなに気にしていないからそう言うのだ。
「いいんだよ。オッチャンも一度協力するって言ったんだから、覆すんじゃねえよ。隆、お前は帰れ。邪魔だ」
会長も呆れて俺に帰るよう促した。
「しかし、練習試合でこんなプロ意識を出さなくっても…そもそもこいつ練習生でしょ?」
「俺もそう思うが、博仁の要望じゃなぁ…ほっといたら身体壊すまで無茶しそうだしな…」
確かに、身体を壊したら元も子もない。だから会長も協力する事にしたのだろうが…
早く出て行けとせっつかれたので、渋々ながらジムから出た。
そして駐車場のバイクに向かうと、外灯に照らされたバイクに持っている人影が見えた。
その人影は俺を見付けるなり、バイクから降りて駆け寄ってくる。
「緒方、今時間あるか?無くても付き合って貰うけどよ」
そいつは木村。若干血走った目をしながら駆け寄って来た。
「木村?何でここに?」
「あ?だから付き合って貰う為だって。だからお前の練習が終わるまで待ってたんだろうが?」
まあ確かに、ここ数日は忙しいからと、黒木さんにも言っておいたから木村に伝わってもおかしくは無いし、生駒のも対抗戦の事は聞いているんだろうから、ジムで待っていても不思議じゃないが。
「まあいいけど。付き合うって、どこに?」
「南大洋だ」
え~…?来週行くのに、今日も行くのか?しかも結構遅い時間だぞ?
「嫌そうなツラすんな。漸く猪原が会ってくれる事になったんだからよ。お前、大雅と知り合ったんだろ?その話、猪原に伝えたらしくてな。お前さえよけれは会いたいと」
「猪原が?つっても、俺は何もしていないけど…」
雑談程度の事しかしていないんだが、なんで俺に興味を持つんだ?意味不明で首を傾げるしか無い。
「お前、素直に牧野をやらせろって頼んだだろ?猪原に会ってその旨を話すって」
「言ったけど、それで?」
頷く木村。微妙に嬉しそうに。
「そんな事馬鹿正直に頼みに来ようとする奴は初めてだってよ」
そんな事で興味を引くのかよ?
「南海は体育系が多いからな。正々堂々って単語が好きな奴が多いんだよ。猪原もそうだって事だ」
そうなの?つうか俺自身、正々堂々とか思っちゃいないんだけど…
「猪原が興味を引いている内に、だけど平日は学校があるし、明日の日曜日もお前、忙しいんだろ?だから今日だ。今からだ」
「結構遅い時間だが……」
「用事が終わってからでいいって大雅から連絡が来たからよ」
これはどう転んでも同行する事になるんだな…こいつも結構強引だしな…
「解った。いいよ」
「そう来なくちゃな!!流石狂犬緒方だ!!」
安心して肩をバンバン叩いてくるが…
「それ褒めてねーからな…」
寧ろ馬鹿にしているだろ。馬鹿にもしていないか。最早俺の二つ名だし。
「じゃあ善は急げ…っつっても腹減ったか?軽くなんか食ってくか?」
木村の申し出に首を横に振る。
「減量中だからな。そんなに気にする事も無いが、ヒロが頑張っているからな。俺だけってのもな」
「そうか。ボクシングって痩せなきゃいけなかったんだっけか」
痩せるとはちょっと違うんだが、面倒だから説明はいいや。
「俺はいいよ。お前が何か食べたかったら付き合うけど?」
「今何時だと思ってんだ。食ったよ勿論。練習で食いっぱぐれたかと思って気を遣ったんじゃねえか」
だよな。その気持ちだけ有り難く戴くよ。
「じゃあ行くか。つっても待ち合わせ場所は知らないから、お前が先行してくれ」
「おう。お前、テク上がったか?」
上がる訳がない。極力バイクに乗らないようにしているんだから。
なので首を横に振ると、木村が苦笑いして頷いた。
「ゆっくり行くからちゃんと着いて来いよ」
「おう」
ヘルメットを被って顎紐を付ける俺。事故を起こした場合でも、被害を最小限に留めなきゃだ。
ゆっくり走る。そう約束した筈だ。
だが、前を走っている木村に付いて行くので必死になっていた。
なんだあのアホは!?何でこんなにスピード出してんだよ!!テク上がっていないって言っただろ!!ゆっくり走ってくれよ!!
その文句を休憩の時に言おうとした。
だが、あいつは休憩なんか取らずに大洋に直行しやがった!!以前運転は疲れるって言っただろうが!!休憩取ってくれよ!!
ぼやきながら、だけど必死について行く俺。
一時間くらい走った時に、漸く停まった。
俺も停車してやはり木村に苦情を言う。
「ゼエ、ゼエ、お、おい木村。ゆっくり走るっつっただろうが……」
「緒方、お前だいぶ慣れたようだな。帰りはもうちょっとスピード出すぞ」
「俺の限界がアレだ!!つかここはどこだ?」
南海、つうか内湾女子に来た時に寄った公園に似ているが、違う。あっちはもうちょっと広かった。
「道の駅だな。営業は終わって自販機くらいしか開いていないが。ジュースくらいはいいのか?奢ってやるぞ」
ジュースも本当は駄目なんだが、喉がカラカラだ。なのでアイスのブラックコーヒーを奢って貰う事にした。
プルトップを開けて一気に煽り、訊ねた。
「ここに大雅と猪原が来るのか?」
自分もコーヒーを煽りながら返した。
「おう。約束はこの場所だ」
「何時に待ち合わせ?」
「もうちょっと。つうか俺達の方が若干遅れたか」
呼び出しておいて遅れたとかあり得ないんじゃないか?
「それ不味んじゃねーか?」
最悪ムカついて帰られでもしたら、折角来た意味が全くない。俺なら帰る可能性の方がデカいからの発言だった。
「お前の都合上、遅れるかもしれねえって言っといたから大丈夫だ」
「俺のせい!?遅れたの俺のせいなの!?」
物凄い驚いて仰け反ってしまった。協力したばかりか罪を擦り付けられるなんて!!
「ボクシングの練習だから問題ねえよ。言っただろ?体育系が多いって」
な、成程…部活やっている連中が多いから、俺の事情も理解できると言う事か。
自分達も部活の都合で時間が喰い込む事があるだろし、その辺は寛大なのかもな。
その後、暫く話していると、アスファルトを踏む無数の足音が近づいてきた。
「来たか」
座っていた木村が立ち上がったのでそれに倣う俺。つか…
「大雅と猪原だけじゃねーのか?」
「そうみたいだな。やっぱ猪原を一人で行かせるのは不安だったようだな」
大雅も一緒なんだから問題無いだろうに、何をそんな警戒しているんだか。
そうこうしている内に、外灯に照らされて顔が見えた。先頭は大雅か。その大雅が笑いながら手を挙げる。
「無理言ったのによく来てくれたね、木村、そして緒方君」
木村は呼び捨てなのに、俺には『君』付け?呼び捨てでいいて言ったのに、なんで!?
「おう大雅、こっちこそすまねえな。だけどその数はねえだろ」
確かに、いくらボスが会うのが気に入らないとは言え、20人は多過ぎだろ。
「俺もそう言ったんだけどな。そっちの人はあの的場を倒したとか。あいつ相手に一対一だってのでも驚きもんなのに、買ったとなりゃ警戒もするさ」
答えたのは先頭の大雅じゃなく、その後ろの体格がいい、角刈りっぽい髪形のごつい男だった。
こいつが猪原だ…間違いない!!
的場みたいな威圧感がある訳じゃない、何つうか、柔らかい感じだが、デカい。体格じゃなく、何かが解らないが、デカい。的場と別ベクトルでデカい!!
的場と対峙した時は構えそうになったが、こいつにはそんな気が起こらない。だけど…
「……アンタ、的場を知ってんのか?」
訊ねたら周りの連中から怒気が発した。多分俺がアンタ呼ばわりしたからだろう。
此処からも慕われているのは容易に推測できる。だが、それだけだ。
「知っているも何も、二年の時ちょっとやり合ったんだよ。負けたけどな」
屈託なく笑う。まるで気にしていなかったように。
此処で大雅が口を挟んだ。
「去年、怪我で剣道から離れた時に荒れてさ。たまたまこの辺りまで走りに来ていた連合の奴等を憂さ晴らしでぶっ叩いちゃったんだ。その報復で的場が来てさ」
あいつ、こんな所まで走りに来ていたのか。いや、他県にも名を轟かせているんだから当たり前か。この辺にも連合にチームがある筈だし。
「当然ボロ負けでさ。木刀持っていたのに負けたのは初めてだったなぁ…いや、それはどうでもいいんだけど、俺も参ったってなかなか言わないからさ、必要以上に痛めつけられて…」
お前、木刀を持ったら負けないって言ったよな。それ程自信があるって事なんだろうけど。
「その時助けてくれたのはこの猪原さんだ。猪原さんは兄貴と知り合いだったから顔は知っていたけど、まさかボロボロの俺に代わって的場と戦うとは思わなかったよ」
そういや、大雅は猪原に助けて貰ったから慕うようになったとか。
その切っ掛けが的場とは思わなかったが……
「戦うって言っても、本当は俺が代わりのボコられるからこいつは見逃してくれって頼んだら、タイマンでケジメを付けろって言うからさ」
猪原の弁である。成程、的場は一方的にボコるような真似はしないからな。ケジメの意味合いでのタイマンか。
「俺もそこそこ自信があったんだけど、全く歯が立たなかったよ。そんなあいつに勝ったんだ。的場の強さを知っている奴なら驚いただろう」
見た目は暑苦しいんだが、爽やかに笑ってそう言う。
だけど、自信があったってのは本当の事だろう。俺は猪原に指を差す。
「アンタのその耳、柔道をやっているよな?段持ちか?」
「二段だけど持っているよ」
二段の柔道家を全く寄せ付けなかったのかよ的場…俺、よく勝てたよな…次があるのなら、全く勝てる自信が無いんだけど。
そんな事を考えていると、木村がさり気なく俺に前に立った。
守っている?俺を?つうかなんで?
「アンタが猪原か。待ち焦がれたぜ。ところでちょっと頼みがあるんだけどよ」
「なんだ?俺にできる事なら」
そうか。と言って猪原の後ろにいる奴等に指を差す。
「そいつ等に殺気鎮めろって言ってくんねえか?俺は兎も角、緒方は堪え性がねえからよ」
守っているのは俺じゃなく、俺からあいつ等を守ってんのか。ちょっとガッカリ…いや、助かるけども。
猪原は苦笑して後ろにいる奴等に言う。
「聞いた通りだ。お前等ちょっと落ち着けよ」
「落ち着いてらんねえだろ猪原」
そいつ等を掻き分けて前に出てきたのは、猪原よりも体格がいい、やっぱり角刈りっぽい奴。そいつの耳も『柔道耳』だった。
「90kg以下の菅野だ。柔道部の主将だ。木村と言うか西高との友好関係に一番反対していた奴だよ」
大雅がこそっと耳打ちをする。つうか…
「猪原が主将じゃねーのか?」
寧ろそっちの方が驚きだった。あいつキャプテンキャラなのに!!
「猪原さんは確かに経験者だけど、部活に在籍していないよ。因みに強さだけなら猪原さんより菅野の方が強い。猪原さんは階級も下の81kg以下だし」
猪原より強いのに下についているのか…人望があるって事なんだろうけど、お前がそれ言っちゃ駄目だろ。自分が慕っている奴よりも強いとか言った駄目だろ。
その菅野が俺、と言うか木村に指を差す。
「隣町のチンピラ校と友好なんて、潮汐が知ったらタダじゃ済まさねえだろ」
俺は木村の肩を軽く叩いて振り向かせた。
「チンピラ校だってよ木村。その通りでぐうの音も出ねーよな」
「うるせえよ。そのチンピラ校に恐れられている奴がいう事か」
はははと笑い合う。その様子に大雅が面食らった。
「自分の学校を馬鹿にされて笑うのか…」
「あ?まあ、こいつだから冗談で済ませられるんだけどな。因みにこいつが一番厄介だって思われているのは本当の事だ」
だから冗談で済ませられるんだろうけど、俺が言うと一種の自虐になっちゃうから。
まあ、だけど解った。
「要するに潮汐にビビってんのか」
誰に言う訳じゃなく、独り言のように、だけどハッキリと言った。
菅野が一瞬ポカンとしたが、ぶるぶると震える。
「誰がビビってるっつうんだ!!」
胸倉を掴まれそうになったが、前に出ていた木村がその腕を取る。
「やめとけ。喧嘩になっちまう。こいつはお前等が思っている以上にあぶねぇぞ」
確かに胸倉を掴まれた瞬間からぶち砕く対象になっちゃうから、容赦はしないけど。
だが、木村に止められたからって俺が遠慮してやる義理は無い。喧嘩売って来た(未遂だが)はそっちだし。
「牧野はお前等三年、もっと言えば猪原、アンタが卒業したら南海を取りに来るぞ。現時点でも数は向こうの方が多いんだろ?そうなったら負けるし、負けたら後輩達は奴隷状態だ」
「そんなモン、やってみなきゃ…」
菅野が反論しようとするが、それを制して続けた。
「内海って奴と一番気の合う親友だったんだろ?内海を知っている奴は、死んで当然の奴だって言っていたぞ。つまり牧野もそうだって事だ。そんな奴がトップに立ったら、そうなるだろ」
「だからと言って…」
またまた反論しようとしたが、それよりも早く俺の方が追撃した。
「まあいいよ。つまりお前が言いたい事はこう言う事だろ?『卒業したら後はどうでもいい。後輩が酷い目に遭おうが知ったこっちゃない』」
成程、猪原よりも強いのに慕われていない筈だ。こんな考えじゃな。
そして俺は大雅の方を向く。
「大雅、お前は木村と友達になった。つまり俺もお前は信用するし、お前が困っている時は力を貸すけど、それ以外はどうでもいいや。木村、こんなヘタレと同盟組んでも何もやれないぞ?やる前から逃げているような奴だ」
菅野はもう、顔を真っ赤にブルブルと震えている。他の連中もそうだ。大雅は真っ青になっているが。平然としているのは猪原だけだ。
「お前の言う事も最もだがよ、そもそもお前と春日の件の流れでそういう事にしたんだろうが。お前も国枝も後々困る事になんねえか?」
木村の言う通り、朋美の件でこう言う流れになった。春日さんの件でこう言う流れになった。
「だから、大雅だけいればいいだろ。必要なら潮汐もぶっ叩くだけだし」
薬の件で絶対必要になるけども、ここは伏せておこうか。
「そして牧野をやるのにもこいつ等に義理を感じる必要はない。俺達、とりわけ生駒にやられて、荒れて地元の連中に八つ当たりしようが知ったこっちゃない。なんだ、考えようによっては身軽になって動きやすくなったな」
「お前のその単純な思考は本当に羨ましいな…」
呆れを取り越して感心する木村。いいのかよ褒めて。お前が今まで頑張って来たのを一瞬でパーにしようとしているんだぞ?
真っ青になっていた大雅がちょっと待てと口を挟んだ。
「必要なら潮汐とやるって…あそこは本当にまともな奴がいない、掃き溜めのような学校なんだよ?甘く見ているんなら負けるのは君だよ?」
「いいんだよ、負けても」
ギョッとしたのは大雅だけじゃない、他の連中もだ。猪原ですら驚いた顔をした。
「数で押されて負けた、なんて、よくあった事だし、慣れている。その後一人一人捜して報復すりゃいいだけだ。現に俺はそうやって来た」
追記する木村。
「こいつ、中学時代から地元でそんな真似ばっかやって来たからよ…最低病院送りで報復するもんだから、根負けして誰もこいつに近寄らなくなったんだよ。そんで、付いた二つ名が狂犬だ」
だからそんなのは脅しにもならない。流石俺にやられ捲った西高の頭は解っているなぁ…
菅野は鼻で笑う。馬鹿にしたように。
「口では何とも言えるんだよ。潮汐がどれ程厄介か、牧野がどれ程厄介か知らねえから…」
「なんならアンタが試してみればいいだろ。俺が口だけかどうかをさ……」
そして俺は木村を押し退けて前に出る。
「ざっと20人。ヘタレ相手じゃその数でも物足りないが、身体で教えてやるよ。狂犬緒方の所以をな」
いつもなら木村の顔を立てて大人しく引き下がる筈なのに、今回はそれをしたくない。
イライラが酷いからだ。隣町から呼び出しておいて、ノー歓迎の雰囲気バリバリだし。それもムカつくが、何なんだこいつ等の覚悟の無さは?こんな学校と連携なんて、木村が可哀想すぎるだろうが?
ちょっと待てと流石に木村が止めに入る。
「おい!!俺が今まで苦労して来たのをパーにすんにかお前!?」
「いいだろ別に。此処にいない奴はどうか知らないけど、大雅だけだろ、危機感持っているのは。そんな学校と同盟なんて、お前の負担がデカくなるだけだろ。だったら無かった事にした方がいい」
「あんまふざけんじゃねぞガキ!」
ついにキレた菅野。俺は菅野にパンチを…当てられない!!
俺より先に木村が動いて菅野の腕を捕らえたからだ。
「おい…マジでやめとけ…こいつは本気であぶねえんだよ…止める俺の身にもなってくれよ…」
うんざりと言った体で凄む木村。こいつもイライラしていた筈だからなぁ…南海のヘタレさ加減に。ボスを危険に晒したくないって理由で会わせて貰えなかったんだ。そりゃイライラもするだろう。
「だったらお前からやってやるよ!!」
木村の胸倉を掴む菅野。柔道家は実は強い。俺も戦った事があるけど、一番苦戦したのが柔道経験者だと思う。寝技に持ち込まれたらまず勝ち目はない。関節技も超厄介だし、投げられたら痛すぎだしで。
そんな相手にどうするかと言うと、仕掛けられる前に倒す。今木村がやったように。
投げのモーションに入る前に、木村が膝で金的を打ったのだ。胸倉を掴まれた瞬間に。
目を剥いて股間を押さえて腰を屈めた菅野、木村は全く悪いと思っていなかったようだが、それでも一応は謝罪する。
「すまねえな。いきなりだったもんでよ。先ずは落ち着いて話の続きをしようぜ。緒方を連れて来いって言ったのはお前等のボスだろ」
未だ蹲っている菅野から目を離して猪原を見る木村。そこには穏便さの欠片も無い。こいつの思考もシンプルだな、と苦笑する。
つまり、ここで猪原を叩いて力で下に置く事も考慮したのだ。
南海の連中は猪原を守る。此処で交渉打ち切りになったら、後の再協議は無い。俺が厄介だってのは気付いた筈だから、なるべく猪原を前に出したくないだろう。
そうなったら連携は絶望的だ。だったら力で従わせようと。
「菅野さん、今のはアンタが悪いよ」
一応ながら蹲っている菅野を気遣う大雅。こいつもピリピリしているのが解る。
菅野の元に寄って来たって事は、木村の傍に来たって事だ。
猪原を狙うのなら自分が相手になるとの意思表示。木村の覚悟を読んだって事だし、自分も覚悟を決めたって意思表示でもある。
「そうだな。今のは菅野が悪い。そこは謝罪しよう」
そう言って頭を下げる猪原。木村が一瞬萎えたように力を抜いたのが解った。
毒気の無い、素直な謝罪。本当に菅野に非があると認めて、素直に謝った。
成程…こうやって敵を味方にしてきたのか…懐がデカいと言うか甘いと言うか…
甘いってのは、これが通じるのは聞き耳を持っている奴だけだって事だ。現に牧野は言う事を聞かねーんだろ?つまりはそういう事だ。
だがまあ、謝罪したのは事実なので、俺も一応は脱力する。
「話が出来そうで良かった」
屈託なく笑う猪原。しかしだ。
「話を出来なくさせたのはお前等の方だって事は忘れないで貰いたいけど」
未だ蹲っている菅野を見ながら言った。多分酷く冷めた目で。
「……噂には、話には聞いていたけど、緒方君、本気で怖いな…そんな目が出来るのか…」
「そうだよ。俺はそう言う奴なんだ。木村や生駒が多分持ち上げて話してくれたと思うけど、俺はそう言う奴なんだよ」
大雅に接触して友達になった木村や、元から地元で有名だった生駒からいい印象を受けるように話されたと思うが、俺はそう言う奴なんだ。
現にこの場に居る20人には全く気を許しちゃいない。猪原が甘い奴だって評価も覆しちゃいない。
「ははは。聞いた通りだ。逆に安心したよ」
猪原が愉快そうに笑う。聞いた通り?誰に?
「木村、お前猪原に何か言ったのか?」
「いや…会わせて貰えねえって言っただろ?」
そうだよな…じゃあ誰に何を聞いたんだ?大雅に目線で訊ねても首を横に振るばかりだし…
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