文化祭前~003

「で、川岸さん、観念したのか、逆転を狙って嘘を言おうとしたのか解らないけど、聞かれた事は全部答えるって言ったら…」

 嘘を言っても中に真実が混じっているだろうから、それでもいいんじゃ?フェイクを見抜ける力は俺にはないけれど。

「君は信用を失ったと。黒木さんに対して言った事も既に緒方君の耳に届いていると。信用できない人間の言葉を鵜呑みにする程、僕は間抜けじゃないよと」

 追い込むな…あの事は国枝君も腹に据えかねていたから、ここで仕返しって意味合いもあるんだろうけど、信用できないのはその通りだしな。

「どうすれば信用するんだと聞かれたから、そのホムペに書き込みがあったメルアドを教えろと。そこから信頼を築く事を始めようかと」

 メルアドを教えたら、信頼を築けるのか?だって川岸さん、自分の興味を満たせればなんでもいいんだぞ?

 他人のメルアドを教える事なんか、屁とも思っていないぞ、多分。

「隆君の考えている事、解るよ。そこは当然国枝君も考えているから安心して」

 まあ、俺が思い付くんだから、国枝君がそう思うのは当然か。川岸さんとは付き合いが長そうだからな。

「で、そのメルアドをゲットして、これは緒方君や槙原さんに相談するから良いよね、と。北商に通報するかどうかは緒方君の判断に任せるけど、って」

「程よく脅すなぁ……叱られたくない心理を実に良く突いているな……」

「そうだね。川岸さん、必死になって止めたらしいよ?学校には言わないでくれって。あそこ結構厳しいからね。最低停学だろうし、新聞沙汰になれば間違いなく退学。だから必死に。代わりに何でも言うこと聞くからって」

 そうだろうな…余裕で調子こいていたのが一瞬で崩れたんだろうから。

 だが、これで川岸さんとは距離が取れるか?少なくとも、牽制には充分になっただろう。

「で、佐伯さんが楠木さんを知った理由。覚えてる?」

「楠木さんが薬をやっている事がメールで流れて来たから、だったか……」

「うん。で、それが川岸さんのホムペに来たメールのアドレスと一致しちゃったって言ったら、驚く?」

 悪巧みの笑顔を俺に向けて行った。いや、嬉しいのは解るけど、もうちょっと可愛く笑ってくれ。

「予想の一つだったからな。そんなには驚かなかったが」

 だよね、と言って今度は本心の笑顔。そっちの方が可愛いからそうして。

「それは確かに予想通り。で、このアドレスが須藤の物かどうか、これを調べるのが難しいんだけど、それはさとちゃん待ちかな?」

「里中さん待ち?なんで?」

「『爽やかポニー』の友好度を上げて、アドレスゲットして貰うんだよ」

 アド交換するか?あの朋美が?一応慎重な部類に入る、朋美が?

 ……するか。あいつは黒いけど詰めが甘い。何らかの事情でアドレス交換する可能性の方が高いな…

「そのアドレスと一致すれば、朋美確定になる訳か…」

「そう。その時こそ、攻撃に転じる事が出来る。さとちゃん巻き込んじゃった手前、あんまり無茶な事は出来ないけど、動きを封じる程度の事は出来るかもしれない」

 確かに里中さんを巻き込んじゃったからな…あんま無茶な事は出来ないな。それには同感だ、なので、何の迷いも無く頷いた。

「で、次は春日ちゃん。噂の事は、何故かあんまり広まっていない。山郷まで流れていたのに」

 広まっていないのには越した事は無いが、確かにおかしいな…

「つか、お前白浜に内湾女子の知り合いがいるか、調べていただろ?どうなったんだ?」

 俺の問いに、首を振って答える。

「……白浜には内湾の知り合いはいないか…」

「そうは言っても、調べた範囲内だけどね。やっぱり地域コミュから流れるのかも。そのコミュも張ってあるから、何か動きがあったらその時に」

 後手に回っている感覚だが、動きが無いならしょうがない。

「で、なんで広まっていないんだ?」

「うん、白浜の有名高校のトップさんがこのところ大洋、と言うか南海に出入りしているから、そっちの方に注意が向いているから」

 木村が動いている事によって、そっちの方が噂になっているって事か…

「ん?つう事は、噂を流したのは南海の糞?」

 木村に注意が向いているのなら、そうなんだろう。

「それはまだ解らないけど、木村君、結構目立っているみたいよ?猪原さんと敵対しているグループがピリピリするくらいは」

 まあ、そいつの親友だった馬鹿を殺した生駒とも友達なんだし、心中は穏やかではいられないよな。

「その事を噂にしたのは、隆君達がゲットした可愛い中学生軍団。噂って言うか、南大洋で偶然あった木村君と話しているうちに、興味を持った同級生たちから聞かれてそうなった。らしいけどね」

 ああ、どういう関係?から、生駒と友達?になって、南海に出入りしている所まで知られたって訳か。

 でも、そうなるとどうなるんだ?中学生達がちょっと危険な事にはならないか?

「猪原さんって人、凄い出来た人みたいだね。慕っている人が多いって。元々敵対している人達が迂闊な真似が出来ないくらい、シンパが沢山居るみたいよ?」

 中学生達を人質に、って事にはならないと。監視の目が沢山あるって事だからな…

 だけど、それは所詮気休めだろ。やる気になれば人目なんて気にしないだろうし、人質に取ったら勝ちって浅い考えも持っているだろうし。

「木村は大雅と仲良くなったって言っていたから、猪原って奴にも簡単に協力を仰げると思うんだけど、なんでやらない?」

「猪原さんを慕っているのは大雅君だけじゃないからね。危ない事はさせられないってシンパの人達もいる訳よ」

 そいつ等が止めているって事か…木村と、西高と接点を持つのを。

 気持ちは解るな。自分が慕っている人に余計な危険は近付かせたくないって言うのは。

「猪原さんは実は牧野さんだっけ?も、別に潰そうとは思っていない。なんで揉め事を起こすんだ?程度にしか」

「平和主義なのか?出来た奴と言うよりは甘い奴だな…」

 糞は何処まで行っても糞。なんで揉め事を起こすかって?そっちの方が楽しいからだ。

 だからそんなふざけた考えを改めるまでぶち砕いた方がいい。これは俺の勝手な考えだが。

「でも、一旦腰を上げたら、終わるまでその動きは止めない。直情過ぎるのよね。ウチのダーリンみたいに」

 俺はそこまでの行程で悩まないから速攻で動くんだけど…主にぶち砕く方向にするんだけど…

「猪原って奴は強いのか?」

「どうだろ?一生懸命みんなの為に頑張っているって姿に惹かれているみたいだけど。柔道の有段者ってのは聞いたかな?」

 柔道の段持ちなら強いだろ。お前のお父さんも黒帯持っていなかったっけ?

 つっても猪原は俺には関係ないか。あるとしたら、牧野の方だな。あと、噂を流した糞とか。須藤真澄も敵になるだろうし。

「今解っているのはこれくらい。当面は川岸さんが問題かな?彼女、簡単に諦める子じゃないんでしょ?国枝君もそう言っていたし」

 そういや、川岸さんと縁を持つのは、文化祭の公開スパーが切っ掛けだったか。

 国枝君が適度に脅したから簡単に接触して来なそうだけど、興味第一主義だからどうかな…?

「さて、お話中でも柔軟はしていたし、そろそろ時間だし、行こう?」

 手を伸ばされて、それを取って立ち上がる。話に夢中で柔軟やった感じはあんま無いが、スパーと言ってもリングの感覚を確かめる程度だからな、問題無いだろ。

 そして一旦家に行き、ジャージに着替えて、バンテージを巻いて…

「隆君、シューズってコレ?」

「ああ、うん。ありがとう…って、その椅子は何だ?」

 シューズとグローブの他に、何処から見付けて来たのか、パイプ椅子二脚を重そうに持っていた。

「ああ、これ?隆君達が座る椅子だよ」

「なんで座る!?」

「インターバル中って椅子に座って身体を休めるんでしょ?」

 逆にあっけらかんと返された!!

 え?1ラウンドで終わらせる気は無いの?リングの感触確かめるだけで終わらねーの!?

「セコンドは私ね。大沢君のセコンドは当然波崎」

「お前波崎さんも呼んだのか!?」

「だって、大沢君のセコンドが居ないじゃない?」

 わざわざその為に呼んだのか!?お前の強引さは今更だが、ちょっとは俺に話してくれよ!!事後承諾も程がある!!

 釈然としなさすぎるが、取り敢えずヘッドギアを二つ持ってリングに向かう。

 ギャラリーの数は少ないが、蟹江君達男子7人、横井さん達女子4人が、今か今かと待ち侘びているのが見える。

 リング中央には国枝君。ホイッスルを首に掛けながら、リング内をウロウロしていた。

 で、何かカッコつけてコーナーに背を預けて俺の登場を待っている体のヒロ。その隣には波崎さん。

「あ、遥香、椅子持って来てくれた?」

 俺達登場をいち早く発見した波崎さん。

「うん。あとヘットギアもね」

 俺からヘッドギアを取って、椅子と一緒にそれを渡す。

「……お前ってほんと解り易いよな…」

 呆れて溜息を漏らしながら言った。チャンピオンを連想させるが如く、ガウンなんかも着ているし。

「う、うるせえな。ほら、みんな待ってんだから、お前も早くグローブとヘットギア付けろよ」

 ヘイヘイと準備する俺。そんな俺をスルーして、遥香と国枝君がルールの確認をしていた。

「3分1ラウンドで、3ラウンドね」

「一回のラウンドで3回ダウンすればKOなんだよね?」

「うん。あとは怪我がヤバそうとか、これ以上続けられないとかになったら止めていいから。TKOね」

 そこまでマジにやらねーよ、と言いたかったが、自信は無かった。ムキになるのは俺もヒロも一緒だし。

 だからレフェリーは有り難い。ストップ掛け係は必要だからな。

 準備を終えてリングに上がる。ヒロはなんか不敵顔でガウンを脱いだ。アナウンスも無いのに。

「じゃまあ、取り敢えずリングの感触を確かめるか…お前、1ラウンドはアウトボクシングに徹しろよ」

「おう。じゃあお前はダッシュメインな」

 流石親友、解っていらっしゃる。あくまでもマットの感触重視だって事が。あのガウンはさっぱり意味が解らないけど。

 ピー、と、軽い笛の音。もうスタート?と、ヒロと一緒にレフェリーを向いた。

 気まずそうに頷く国枝君。間違ったか?って感じだが、レフェリーなんてやった事が無いだろうから、仕方がない事だ。

 兎に角リング中央に赴いてグローブを合わせる。俺はダッシュメインだからと、大きく離れた。

 ヒロが中央でステップを繰り出す。地面にシートを敷いた程度だからか、やり難そうだった。んじゃダッシュはどうかな?と、踏み出して懐を狙う。

 う?膝に違和感。シートが脚に絡むような感じ。

「「……やっぱやり難いな…」」

 そんな事を呟いた俺とヒロ。それで確信して、国枝君にストップを頼んだ。

「どうしたんだい緒方君?」

「うん…やり難くて、逆に怪我しそうだからさ…」

「おう…折角みんなで頑張って作ったんだが、シートを取っ払おうぜ」

「そうか…残念だけど、怪我をする前に気付けて良かったよ」

 国枝君が蟹江君の方に行き、俺達の感想を話した。蟹江君もそれなら仕方ねーなと言ってシートの撤去作業に入った。

 シートを撤去して、地面剥き出し状態になったリング。

「これならいつも通りだからな…」

「おう。喧嘩する時はこんな感じだしな」

 しかし、折角作ってくれたシートを撤去させたのは心苦しい。

「ギャラリーにサービスの意味も込めて、5ラウンドやるか?」

 申し訳なく思い、そう提案した。

「そうだな。実戦の勘を戻す為にも、なげえ方がいいかもな」

 ヒロも同意してくれたので、その旨を国枝君に話す。

「僕としては長く観られるのなら、そっちの方がいいけど…」

「5ラウンドもやりゃKOが観られるかもしんねえな!!そうしてくれよ緒方、大沢!!」

 蟹江君がその気になってみんなに同意を促すと、当然ながら、会場(?)一致で可決した。

「そう言う事になったから」

「うん。構わないんじゃない?」

 セコンドも同意したので、5ラウンドに変更。仕切り直しとばかりに、リング中央に向かう。当然ヒロも。

「5ラウンドと言っても肩慣らし程度にしとこうぜ」

「お前がその程度で我慢できるんならな」

 ヒロに嫌味を言われた。熱くなるのはお前もだろうに。

 よし、決めた。俺からは絶対に熱くならないからな。お前の我慢が途切れる方が先だ。

 そしてグローブを合わせる。笛の音と同時に、グローブを引っ込めて構えた。

 ジャブの嵐!!俺もヒロも!!どこが肩慣らしだこいつ!!大ウソつきやがって!!

「なにが肩慣らしだお前!!マジで打って来てんじゃねえかよ!!」

 おっと、ヒロも俺と同じくそう思っていたか。まあ、仕方ねーよな、肩慣らしにするには惜しいもんな。

「先に当たった方が主導権を取る!!」

「やっぱやる気じゃねえか!!」

 そう言いながらもヒットが無い。俺もヒロもお互いに。「おお~」とギャラリーから感嘆が漏れる程、互いにノーヒットだった。

 一転ヒロが頭を振って左右に移動。狙いを定めさせないって魂胆か?それとも、俺の圧力が鬱陶しくてアウトボクシングに徹しようって事か?

 いずれにしても俺は前に出る。前に出る事こそが俺のスタイル!!

 出ながらジャブ。当然躱されて、逆にジャブを放たれる。

 それも当然躱してジャブ。結局こんな調子でジャブの応戦に再突入した。

 しかし、真っ直ぐのパンチはなかなか当たらない。なので肩でフェイントを織り交ぜての右。

「もう我慢できなくなったのかよ!?」

 焦れて大砲を打とうと勘違いしたのか、ヒロがガードを固めた。

 だが、今のパンチは、いわば右のジャブ。ダメージ狙いじゃない、リズムを狂わす為にはなった物だ。

 そしてガードに転じたって事は、リズムが狂ったって事でもある!!

 左ストレート!!これもガードに弾かれるが、ヒロが目を剥いたのが解った。

 そして、それは俺もだ。さっきの右ジャブの流れで放った左ストレートだが、妙にしっくりきていた。

 今の俺はサウスポースタイルになっていながらスムーズに力が入ったパンチを打っているのだから。

 ちょっと待て!?俺サウスポースタイルなんて練習した時ねーぞ!?何でこんなにスムーズに出せるんだ!?

 戸惑いながらも前に出る。右脚を前に、すり足もスムーズだった。マジでサウスポーだコレ!!

「お前そんなに器用じゃねえだろ!?」

 ヒロも納得のサウスポーのようだ。つう事は、ちゃんとサウスポースタイルだって事だ。

 え?じゃあひょっとして左のコークスクリューも打てるのか?それも練習していたのかこっちの俺は?

 そう考えるも、こっちの緒方君がどれだけサウスポーの練習をしていたか気になる。当面は此の儘で行こう。

 右ジャブから左ストレートのワンツー。ガードを固めたヒロによって弾かれる。やっぱ右ストレートよりはパワーが落ちている様な気がする。

「マジで左じゃねえか…いつ練習した?」

「解んねー…しっくりきているから…」

 頷くヒロ。俺に言いたい事が解ったようだ。ギャラリーが多いから、続く言葉を言わせないように頷いたのだ。やっぱ親友、頼りになる。

「…そのままサウスポーで来い。確かめてみようぜ」

「なにを確かめるってんだよ?」

「完成度だよ」

 言うな否やの左ジャブ。確かめるのを付き合うって言っても、ちゃんと反撃はするって意思を示したか。

 サウスポーの形でジャブを躱す。デフィンスもしっくりきている。オフィンス程じゃないが。

 だけどこのレベルのデフィンスなら、ヒロに捕まってしまうな、比較的簡単に。とは言っても、ヒロもサウスポーとの試合経験は無い筈だから、向こうも攻めあぐんでいるように見えるが。

 サウスポーは右が前に出ている為、自分との左の距離がやたら短く感じる。それが気になって邪魔でしょうがないのだ。俺もサウスポーとやった時、やり難くて仕方がなかった。

 尤も、俺の場合は懐狙いの近距離戦なので、潜り込めさえすればどうにかなったが。

 ともあれ、ヒロが慣れる前に色々試してみよう。オーソドックスの時は左足から踏み込むのだが、今はサウスポー。全てが逆になっている。なので右足で踏み込む。

 ………ん?なんか違和感が…何か窮屈に感じる…何だろう?

 ともあれ、ヒロがバックステップで逃げたので、追走宜しく前に出る。

「足捌きはぎこちねえな…最初の一歩はヒヤッとしたが」

 ジャブで近寄った俺をパンパン叩いて引き離す。

 ヒロの言った通り、この足捌きじゃヒロは捕まえられない。最初の一歩はヒヤッとしたんだったか…俺的には窮屈に感じたんだが。

 まだ練習途中なのか?そりゃそうか。俺は器用じゃないから、サウスポーにスイッチしようとしたら、今まで以上の練習が必要になるだろうからな。

 ………スイッチ?

 最初の一歩は鋭いんだったか…ヒロがヒヤッとする程に。

 もしかして、本格的なサウスポーって訳じゃないのかもしれない。一瞬、一発のみに必要なスイッチなのか?

 ホイッスルが鳴り、コーナーに戻る。遥香が椅子を慌しく出して座る様促す。

「本格的に練習みたいだね。どっちも本気じゃないようだし」

「そもそもスパーは本格的な実戦練習なんだが…」

 まあ、確かにそうだ。最初はマジでやりそうになったけど。

「ちょっと確かめたい事があったからな。そもそも、これは試合じゃないから」

「確かめたい事?」

 小首を傾げての疑問。可愛い。

 向こうのコーナーでも波崎さんが小首を傾げている。俺と似たような事でも言ったんだろう。

「やっぱ練習は練習だって事だ。お前、以前俺とヒロのスパーを観ただろ?その時と今日、何処か違うか?」

 細かい差は解らないだろうが、素人目でも解るような違いがあるのなら、是非とも知りたい。

「う~ん…牽制があんまりないかな?前は左手の攻撃が多かったけど、今日は前半だけだよね?大沢君は変わっていない様に見えるけど」

 サウスポーまでは見切ったのかよ…流石の彼女さん、脱帽する程の洞察力だ。

「まあ、そんな感じだ。多分こっちの俺がサウスポースタイルで何かやっていたんだ。さっき気付いて、それを確かめる為にヒロが付き合っている状態だな」

「サウスポー?左利き?それよりも、右足の方かおかしくなかった?」

 いや、サウスポーは右足を前に出すから、おかしいも何もだが…

「よく解らない事は事実だけどさ、右足での踏み出しだけ妙に力が入っていたような?」

 踏み出しに力が入っていた?窮屈に感じたが、ヒロも最初の一歩は鋭いと言っていたし…キモは右足か?

 確かめる為には、この2ラウンドだ。

 やはり右足を前に出し、右拳を前に出して、すり足で進む。

「やっぱ様になってんなサウスポー。だけど、やっぱぎこちねえか」

「だけど、何となくは解ってきた。キモは右足だってな」

 言うと、ヒロの目が険しくなる。

「?どうした?」

「……的場を倒した時の事、覚えているか?」

 覚えているも何も、あそこでコークスクリューがあるって解かったんだろ。

「あの時、脚からの捻りでパワーが上乗せされたって言ったよな?」

 言ったけど、それを再現しようとしても出来なかった………!!

「右足からの捻り?」

 オーソドックススタイルは左足が前に来る。俺はそのスタイルなので、踏み足が左だったからそれを行ったが、左足からの伝達が全くしっくりこなかった。

 この窮屈そうな構えはやはりサウスポーの為じゃ無かった!!あのコークスクリューを放つ為のスイッチなんだ!!

「納得した所でちょっと打って来い。ガードしておくからよ」

 そう言って亀のように固まるヒロだが、あの破壊力を間近で見たよな?的場のガードをぶっ飛ばしたパンチなんだぞ?

 俺の不安を見切ったように、不敵に笑う。

「スパーのグローブのデカさ、知っているだろ?ヘッドギアも付けているし、多分大丈夫だ。遠慮しないで打って来い」

 確かにこのグローブじゃ、そんな惨事にはならないと思うが、気が引けるのも解るだろうに。

 だけどヒロが折角付き合ってくれているんだ。あの危険なパンチの為に。

 好意に甘えてもいいんだろうが、その前に。

「お前、今一度見て、改めて対策を練ろうとか思っていない?」

 一瞬だが固まった。その通りなのかよ!!

「だ、だって、お前をいざって時に止める為には知っておいた方がいいと思うから……」

 しどろもどろにいい訳を始めるが、それもその通り。ヒロにはいつまでも安全弁で居て貰わなきゃならない。

 んじゃまあ、右の届く間合いまで摺り足で接近して……

 そして右脚での踏み出し。あの窮屈さは消えたが、他にももっと消えた事があった。

 脚からの捻りが全く伝達されてこねー!!

 なので、放つ前に拳を降ろした。

「どうした隆?打ってこいよ?」

「いや、捻りが全然伝わらないからさ…どこか間違ったかと思って……」

「ふーん…練習不足なんだろうな、単純に。実際お前、高校に入ってからそんな練習した事ねえだろうし」

 全くその通りだ。こっちの緒方君がどんな練習をしていたのかも知らないんだから。

「兎に角、其の儘攻めて来い。俺も行くからよ」

 言いながらジャブ。ガードで凌ぐが、やっぱやり難い。

 利き腕が前に出ているんだから、そりゃそうだが。いつもの練習と真逆なんだから。

 このまま試していいものかと疑問が湧く。おかしな真似をして変な癖が付かないか心配だ。

「何ならスイッチの練習もしろ」

 やはり言いながらのジャブ。そうか、スイッチの練習か…

 大きく後ろに飛んでオーソドックススタイルに構え直す。うん、しっくりくる。やっぱりあれは右のコークスクリューだけの為のサウスポーなんだ。

 そもそも俺は不器用だから、そのままサウスポーで戦う事は想定していないだろうし。

「右の踏込は意識しとけよ」

 ワンツー。ガードで弾く。右の踏込か…

 俺はジャブを放った。ヒロはガードして凌ぐ。

 その間、ヒロは反撃の素振りを見ぜない。隙を窺っている雰囲気も無い。

 俺のスイッチの練習に、此の儘付き合うって事だ。だったら心意気に甘えよう。

 ジャブからのワンツー。やはりヒロはガードのみ。俺は其の儘前に出る。スイッチのタイミングを見付ける為に。

 肩を揺すりながら前に出る。ヒロはやはりガードのまま。

 ワンツー。ガードに弾かれるも、若干ヒロが下がった。

 此処か?と、右足で踏み込んだ。

 ヒロの腕に力が籠ったのが解った。ガードをより強固にしたのだ。

 踏み込んだまま、回転を意識して、腰から…

「脚から回ってねえだろ!!」

 溜めの隙を狙っての左ストレート。全く力が入っていない、ただの手打ちパンチをモロに顔面に喰らった。

 ギャラリーから「あああ~…」と、落胆の声。マジで喰らったと勘違いしたんだろう。

 ともあれ気を取り直し、また大きく後ろに跳び、ジャブを打ちながら接近する。

 もう半歩で右ストレートの間合いだが、ここでスイッチ。これで完璧に右ストレートの間合いとなった。

 回転を意識して…脚の回転を意識して…

 そう思って力み過ぎたか、右足が内側に向いた。

 ……?この感覚………

 またまた大きく後ろに跳ぶ。

「どうした隆?タイミング的には良かったんじゃねえの?今のは?」

「…なんか掴みかけた。もう一回同じのやるから付き合ってくれ」

 何も言わずにガードを固めるヒロ。付き合うって事なんだろう。こいつにはホント頭が上がらないな。この手の事情に限定されるけれど。

 じりじりと間合いに入る俺。ヒロはやっぱり動かない。

 間合いまで半歩の所でスイッチ。だが、さっきとは違い、右脚に力を込めている。

 ばかりじゃない、俺の右脚は内に向いているのだ。あのスイッチの時の踏込の時、地面に脚が付いたと同時に内側に捻ったのだ。

 脚の回転が実感できた。しかも無理のない、練習していたであろう回転の感覚。

 その回転が腰に伝達され、肩に、肘に、そして拳に伝わる―――!!

「ヤバいぞヒロ!!ガードをちゃんと固めてくれ!!」

 言われるまでも無いと、腰を降ろして踏ん張っている形だった。的場を倒した時、ライブで見ていたからだろう。まったく油断もしていなかった。

 これなら遠慮なく試せる。俺の、こっちの緒方君が開発したコークスクリューを!!

 解き放つ右!!回転を意識した、超破壊力のコークスクリュー!!

 それはヒロのガードにヒットする!!ガード越しでも解ったヒロの驚愕の瞳!!

 スパーのグローブなのに、ガードが壊されるかと思ったのだろう。より一層腕に力を込めて、それを拒否するヒロ!!

 右を戻す俺。ヒロはガードを崩さずに固まっている。

「だ、大丈夫かヒロ…?」

 あまりにも反応が無いので、心配になって聞いてみた。

 そこで漸くガードを解く。そして苦々しい顔で言った。

「隆、あのパンチは喧嘩で絶対に使うな。間違いなく殺しちまう」

 ヒロがそこまで言うのか…的場じゃ無きゃ死んでいたと思っていたのは、やっぱり間違いなさそうだな…

「使わねーよ…マジで物騒なパンチだコレ…」

「それに、多分このパンチは未完成だ。完成させたきゃ付き合う。だけど、グローブ着用は絶対だ」

 やっぱ未完成なのか…俺もそう思うんだが、ヒロには確証があるようだ。

「なんで未完成だって思う?」

「お前が使っているコークスクリューよりも溜めが必要だ。実力伯仲の奴ならその隙は見逃さねえ。溜めの瞬間、カウンターを喰らってしまう。だから、その溜めをチャラにする何かをお前は考えていた筈だ」

 そうか…実際コークスクリューも溜め瞬間の生駒に反撃されたからな…ヒロの指摘はその通りだし、こっちの俺もそう思った事だろう。

 ヒロに通じないんじゃ糞を殺しに行けない。ヒロをも倒すパンチを考案していたに違いないからな…

 俺達がゴチャゴチャやっているのを不審に思ったか、ギャラリーからざわめきが聞こえた。

「お、おしヒロ、ここからは普通のスパーだ」

「お、おう…ギャラリーを満足させるのも俺達の仕事だからな…」

 プロじゃないのにプロのような理論を弾き出す俺とヒロ。

 そんな訳で、残りのラウンドを普通のスパーを行った。

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