第3話 神と魔法と願い事


 驚きとか身の危険とか、そんなことよりも、なにこの面倒くさい状況……という気持ちの方が上に来てて、私のリアクションは、バラエティ番組だとすれば放送事故レベルの薄いものになった。


「はぁ。なんでイケメンじゃないのよ。いや、たしかにキュートな顔してるし、私がもしロリコンだったらその姿は正解だけどさ」

 つい文句を言ってしまう。


「ごめんなさい」

 少女が悲しそうな顔をして謝った。


 何だか悪いことをしている気になったが、むしろ悪いことをしているのは相手の方だ。どう考えても不法侵入だし。


「それよりあんた、どっから入ったの」


 玄関の鍵を閉めた記憶はある。窓も開けていないはずだし、そもそもここは二階だ。少女が空を飛べれば話は別だけれど。


「そこ」

 少女が指さした先には、穴の開いた窓と、粉々に砕け散ったガラス。


 ……おおう。私は上半身をのけ反らせる。予想外だった。


「怪我とかしなかった? ってかその前に、ここ、二階だよね。あんた何者?」

思わず不法侵入者を気遣う。


「わたし? わたしは神様」

 ああ、神様か。なら空も飛べるはずだわ。君と出会った奇跡がこの胸に溢れないし、ずっとそばで笑っていてほしくもないけど。


 神様……ね。んー、どうしよう。窓ガラス突き破ったとき、頭でも強く打ったのかなこの子。


「うん。まあいいや。それで、何しに来たの?」

 受け入れがたいことからは目を背けて、質問を変える。


「あなたの願い事を一つ叶えてあげる」

 あー。この子ヤバいやつだ。本格的に。えーと、警察? それとも救急車?


「あなたの願い事を一つ叶えてあげる」

 とりあえず見た感じ怪我とかはなさそうだし。病院行くとしても頭の病院かなー。


「あなたの願い事を一つ叶えてあげる」

 窓ガラスの修理もしなきゃ。まずは大家さんに連絡して……。修理費はどっかから出るのかな。


「あなたの願い事を一つ叶えてあげる」


「だー! もう、うるっさい! あんたはRPGの序盤で『魔王を倒してくれるかな?』って質問をプレーヤーが『はい』を選ぶまで延々と繰り返す村の長老か⁉ それとも壊れかけのレディオか⁉」


「あなたの願い事を一つ叶えてあげる」

 無表情を貫いて、少女はなおも繰り返す。まともに相手しても無駄だ。


 私は頭を抱えて、苛立ちを二酸化炭素に乗せてゆっくりと吐き出す。


「ああはいはい。わかったわかった」


 昨日のことがあったからだろう。それは、あまり考えずに口をついて出た答えだった。


「私より幸せな人間を、全員消してください。これでよろしい?」


 迷いもためらいもなかったし、言ってから後悔もしなかった。むしろ最適解なのではないか。


 私よりも幸せな人間を全員消す。


 狙っていた男が、別の女を自宅に連れ込んでいるシーンを目撃した。

 そんな今の私の状況に、これ以上ないくらいに適切な願いだと思う。


「その願い、たしかに承りました」

 可愛らしい声で答えて、少女は笑った。

 もちろん、私の願いは冗談だったし、少女の言っていることも冗談だと思った。




 私は、少女と向かい合って少し遅めの昼食をとっていた。


 こんな状況でも空腹は感じるらしく、冷凍してあった食品を適当に暖めただけの簡単なランチを用意する。ちょうど二人分あったので、自称神の少女の分も一緒に解凍した。


 私が電子レンジを使った豪勢な料理を作っている間、少女は微動だにすることなく元の場所に座っていた。


「家の住所は? あと名前」

 昨日食べた二人前の肉じゃがとカロリーのことはいったん忘れて、唐揚げと白米を口へ運びながら、私は少女に問いかける。


「家はあっち」

 上空を指さす少女。そうだよね。神だもんね。そりゃ空に住んでるよね。


「名前はまだない」

「猫かっ!」


「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」

「坊ちゃんかっ!」


 律儀にツッコミを入れてしまうあたり、私もたいがいだ。

 一体何者なのだろう。話が通じないということ以外、何一つわからない。


 頭が痛くなってきた。

 冷蔵庫から缶ビールを数本持ってくる。まだ昼の三時だが、こんな状況だ。飲まなきゃやってられない。


 一気に飲み干し「あんたも飲む?」と少女に聞く。

 神と名乗る少女にビールを勧めてみる。


「わたしはピッチピチの十六歳だからお酒は飲めないんだ。ごめんね」

 こんな時だけ真面目かよ。


「そっか。ま、私も四捨五入すれば十八歳だけど」

 言いながら二本目の缶ビールのプルタブを空けて、豪快に飲んだ。


「あー、あっつい」

 熱気がこもった部屋で、私は呟いた。


「暑いですね。なんでこんなにクーラーの利きが悪いんですか? 欠陥住宅ですよ?」


「あんたが割った窓ガラスのせいだからっ! クーラーの冷気を上回る速度で外から熱気が入って来るの! あんたが割った窓から!」

 窓に人差し指を向けて言った。


「なるほど。熱は温度の高い方から低い方に伝わる。クラウジウスの定理、いわゆる熱力学第二法則ですね」


「そう。そんで人の家の窓を割るのは器物損壊罪! ついでに人の家に勝手に入るのは住居侵入罪! ドゥーユーアンダースタン?」

 続けて指を少女の方に向ける。


「はぁ。ちょっと難しくてよくわかりません」


「七三二年、ピレネーを越えて侵攻したイスラーム軍をフランク王国のカール=マルテルが撃退した戦いは?」


「トゥール・ポワティエ間の戦い」


「脇からシイタケ生やしてやろうか!」

 自分でも意味のわからない暴言を吐きながら、テーブルを思い切り叩く。本当はこいつをぶん殴りたかった。


「では、次は私が出題する番ですね。牛乳を暖めたときに表面に薄い膜が――」

「そういう遊びじゃねーよ! この窓をどうにかしろって言ってんの!」

 大きな穴が空いた窓を、再びビシッと指さす。


「そうなんですか。最初からそう言ってくれればいいのに」


 少女は割れた窓の方に手をかざす。次の瞬間、辺りが眩い光に包まれた。

 私は反射的に目を閉じる。


 目を開いた私は、餌を欲しがる金魚のように、口をパクパクさせることしかできなかった。

 窓ガラスが元通りになっていたのだ。


「ど……どうやって」

 やっと喉から声を絞り出すが、それだけ発音するのがやっとだった。


「ただ時間をちょっと巻き戻しただけです。神様ならみんなこれくらいできますよ」


 それは魔法のようだった。魔法なんて見たことはないけれど、それ以外にどんな言葉で表せるだろう。


 何らかのトリックを使っても到底不可能な現実を目の当たりにして、私は寒気に包まれた。


 時間を……巻き戻す。


「……」

 今度こそ何も言えなかった。



「あ、さっきの答えですか? 牛乳を暖めたとき表面に膜ができることを、ラムスデン現象といいます」

 そんな少女の的外れな発言は、私の耳をすり抜ける。


 ――私より幸せな人間を、全員消してください。

 ――その願い、たしかに承りました。


 あ、これ人類が滅びちゃうやつだ。

 私の何気ない一言で、生態系のバランスは崩れ、文明は衰退する。


「あの、さっきのお願いなんだけど……」

「ああ、あなたより幸せな人間を全員消すってやつですか?」


「そうそう。それさ、やっぱナシ。冷蔵庫から無限に缶ビールが湧いてくるようにしてください。これに変更で!」


「一度承ったお願いはキャンセルできないピョン」

 ピョンじゃねーよ!


「悪徳業者か! この日本にはね、クーリングオフ制度ってものがあるのよ!」

 さっきのやり取りが契約かと言われると微妙だし、適用されないような気もするけど。言うだけ言ってみよう。


「え? くりーん……おふせーど? そういう難しいことは知らないんです。ごめんなさい」


「米国市場の株価急落を予ちょ――」

「ヒンデンブルグオーメン」


「はい正解! ずいぶん都合よく偏った知識をお持ちなんですねっ!」

 嘘だろ! クーリングオフ知らないの嘘だろ!


「はぁ。どうしよう」


「そんな、絶対にスペック勝ってると思ってた友達に山下智久似で優しそうでお金持ってそうな彼氏ができたのを知ったときみたいな顔してどうしたんですか?」

 何でそんな具体的なんだよ!


「まさか、職場のトイレで個室に入ってるときに偶然、あの先輩まあまあ美人なのに彼氏がいないってことは性格に問題があるんだろうね、っていう自分の悪口でも聞いてしまったんですか?」

 リアリティがあってそれがまた腹立つ。


「全部あんたのせいだから!」


「いやぁ、そんな。可愛いだなんて」

「言ってねーよ!」


 でも、よく考えてみれば失うものなんて何もないのかもしれない。


 私は人類の救済を諦めた。昨日、恋を諦めたように。


 このろくでもない世界は、期待すればするだけ絶望を味わうことになるのだ。

 私なんて、どうせ独身のまま死ぬんだし。夢も目標も特にない。


 それなら、世界がどうなろうと関係ないのではないか。

 うん、そうだよね。


 最後に美味しいラーメンでも食べに行こうかな。

 いや、どうせ私以外みんな消えるんだから、その後にじっくりといただこう。

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