第70話  誰が為に鐘は鳴る

 大晦日の夜、鳴り渡る除夜の鐘の音を、町田透一は寝床の中で聞いていた。

 隙間風が吹き込む家の中、薄くなった布団を何枚掛けても体は温まらない。

 この家の暖といえば、鋼を熱するための火床だけだった。

 透一は火床の火は決して絶やさなかった。


 これは神聖な火だった。


 天から雷として落ちてきて、二千年の間人の手で世話され、絶えることなく燃え続けてきた火の末裔なのだから。


 聖なる火さえあれば、もっともっと更に見事な刀が打てる。

 しかし先ずは完成した刀を、年明けの品評会に出品することだ。

 きっと誰もが驚き、賛辞を贈るだろう。誰もが感動し、称えるだろう。

 そして私は当代一の名匠になるのだ。

 ああ、そうなればきっと素晴らしいことになるぞ。

 私の刀は高値で売れ、刀匠として評判はうなぎ上り、妻と子供も帰って来るだろう。


 透一は筵のような布団にくるまり、底冷えに耐えながら、夢心地だった。

 そこで「カタ」っと微かな物音が聞こえた。

 始めは気のせいかと思っていた。しかし耳を澄まし、神経を集中していると、やはりなんらかの気配を感じた。


 奥の工房からだった。


 現実に引き戻されたことに不満を覚えながら、何事だろうと透一は綿入れを羽織って布団から這い出した。

 工房へ繋がる引き戸をそっと開けて、覗いてみた。

 じっと暗闇に目を凝らしていると、火床からの仄かな朱の光に、黒い人影が浮かんだ。


「誰だっ!」


 透一は咄嗟に声を上げ、工房に踏み込んだ。

 鍛冶場は鍛冶師にとって聖域だ。

 そこに侵入者となれば、激情に駆られてもおかしくない。


「いったいなにをしている!」


 しばらく沈黙の後、暗闇から男の声が返ってきた。


「なんだ、誰も居ねぇって聞いてたのに・・・」

「なにをいっている? とっととここから出ていけ!」


 透一は草履を履いてずかすかと声のする方へ近付いていった。

 そしてハッと息を呑む。

 赤黒く染まった影の男は、透一の鍛えた刀を手にしていたからだ。


「おおお、おまえ、その刀に手を触れるな! 早く置いて出ていけ!」

「けっ、こんな貧相な家で、どうにか盗れるのはこれくらいしかねーだろ。とんだなまくらだが、屑鉄屋にでも売れば金になるか」

「ふざけるな、返せ!」


 とうとう怒りを爆発させ、透一は男に掴みかかろうとした。

 その時、暗闇に一閃、ヒュンと光が走り、首の辺りを鋭く冷たい感覚が貫いた。


「おっ・・・」


 次の瞬間には、恐怖を覚える息苦しさと、首から喉に掛けて熱い血潮が迸るのが感じられた。


「案外切れるじゃねーか。これは貰ってくぜ」


 男は暗い中でニヤリと笑い、外へ出ていった。


「んがっ、ごっぉ・・・」


 喉から熱い血が溢れだし、喋るどころか呼吸すら出来ない透一。

 恐怖と混乱の中で、天啓のような閃きが射した。

 女占い師に神聖な火を教えてもらったとき、最後にいわれたことが脳裏に蘇った。


「もし、お兄さんのこれからの人生で、どうしようもなくなったとき、なにもかもを投げ出したくなったとき、その火に自分の血を注ぎなさい。そうしたら、命と引き換えに、その奇跡の火が、願いを叶えてくれるだろうよ」


 透一の目の前に、まだ炭が燻っている神聖なる火の熾きがあった。

 暗闇の中で、妖しく熱と光を放ってる。

 透一は消え入りそうな意識の中で、苦しみ喘ぎながらその火床に首を晒し、溢れ出る血を注いだ。

 ジュッ、と焼け焦げる音と煙が上がる。

 最後の命を振り絞り、透一は全霊を持って刀を盗んだ男を呪った。


 許さない許さない許さない、刀を返せ返せ返せ返せ。

 それは私の未来、希望、夢、全てだった。

 お前を呪う、私を認めなかった世間を呪う、憎い憎い憎い、復讐だ復讐だ!

 燃えてしまえ燃えてしまえ、全て燃えてしまえ!


 外では、煩悩を払う除夜の鐘が、いよいよ鳴り終わろうとしていた。

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