第66話  カネヒコの正体

「うわ、寒い」


 そう呟いた口から、白い息が昇った。

 草平は震えながら玄関先の郵便受けから朝刊を抜き取り、家の中に駆け足で戻った。


「あ、先生ぃ。新聞なら俺が取ってきましたのに」

「いいんだ、いいんだ」


 草平は犬八に笑いかけ、火鉢のある茶の間に滑り込んだ。


「さて、いよいよ今日は大晦日だ」


 独り言をいって、新聞を広げる。

 目に飛び込んできたのは暮れの強盗の記事だった。

 ふん、まったくこんな時まで厄介なことだ。

 草平は辟易しながら頁をめくった。


「そうへい。おきた」


 襖を開けて、眠そうに目を擦りながらカネヒコが這入ってきた。


「おはよう、カネヒコ。またそんなに寝間着をはだけて。いい加減風邪をひくよ」


 草平は新聞を読みながら、チラリとカネヒコを見上げた。

 乱れた寝間着の間から、頑強そうな胸板が覗いている。

 なんとも、心はからっきし子供なのに、体は立派な大人の男だ・・・。


「先生ぃ、朝餉の支度が出来ましたよ」


 急に犬八が声をかけてきたので、草平は驚いて体が跳び上がる心地だった。


「どうしたんです? 先生ぃ。驚かしましたか?」

「いや、なんでもない! 朝飯が出来たって? 今そっちに行くよ」


 今朝はパンなので、テーブルで食べることにしていた。


「ほら、カネヒコもおいで」


 厨の側に置いたテーブルの席に草平とカネヒコはついた。

 そこへ犬八がバターを塗ったトーストを運んでくる。

 パンは七輪で焼いたのだった。


「なに? これ」


 カネヒコが尋ねる。


「パンだ」


 素っ気なく犬八が答える。


「おれ、ごはんがいい」

「いいから食え」


 犬八は無理矢理カネヒコの口にトーストをねじ込んだ。


「むぐ!」

「カネヒコ、パンも美味しいんだよ」

 不本意ながらパンを口にしたカネヒコは、仕方なくもぐもぐと咀嚼した。


「うん、うまい! カネヒコ、パンもすき!」

「だからいったろう。ほれ、もう一枚食え」


 犬八は苦笑しながら、カネヒコの前にトーストを置いた。


「しかし良かったんですかい? 大晦日の朝に洋食で」


 犬八は草平の前には紅茶を注いだカップを置きながらいった。


「いいんだ。明日からは餅とお節三昧だろうし。それにカネヒコにパンを食べさせたかったしね」

「はぁ、左様で」


 犬八は、そういったものですか、という顔で席に着くと、自分もバターをたっぷり塗ったトーストに噛り付いた。


「カネヒコ、今夜は除夜の鐘を聞いて、初詣でに行くよ」

「はつもうで? なんだそれ?」


 カネヒコは興味なさそうにいって、またトーストを食べ始めた。


「犬八、夜にはとうとうカネヒコの正体が判明するかもしれないね」


 草平はそっと囁いた。


「え、先生はなにかご存じなんですか?」

「まぁ、だいたいの察しはついた気がするよ」


 パンを頬張るカネヒコを見ながら、草平は紅茶を啜った。

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