第48話  竈と異界

 家に戻ると、草平は早速竈の上のお札を貼り替えた。


「ふう、これでよし。竈の掃除も済んだし、ちゃんと新年を迎えられそうだ」


「他のところの掃除がまだですが・・・」

 犬八は遠慮がちにいった。


「そ、そうだった!」


 午後の三時頃まで二人で家中を掃除した。


「犬八、ちょっと休憩しよう」

 草平はくたびれた顔でそう提案した。


「そうだろうと思って、お茶の準備をしておきましたよ」


 犬八はへばっている主人もまた愛しいな、とどこか勘違いした愛情を抱きながら、お茶と菓子を出した。


「やや、寒いから熱いお茶はありがたい。うん、この豆大福も美味いね」

 喜んでいる草平を見て、犬八は頬を緩めた。


「神棚は明日掃除しようかな」

「お仕事はお休みなんですよね」

 草平が教鞭をとっている大学は、既に冬休みに入っていた。

「そういえば、神棚があるのに、竈は別にお札を貼ってお祀りするんですね」


 犬八はお茶を啜りながら訊いた。


「うん。竈以外にもいろんな場所に神様はいるって信じられているからね。納戸や厠、天井裏なんかに。竈は特に火を使うからね。火は創造もすれば破壊もする。両義的であり、むしろ本質は変化の媒介にあると思うんだ」


 話は草平が研究している『民属学』の方向へ及んだ。それは“民が属する世界を解き明かす”学問だという。この手の話題になると普段口下手な草平も饒舌になった。


「火は物質を変化させる。燃焼で、熱で。木が燃えれば炭に、灰になる。熱で食物を煮炊きする。水を沸騰させ、鉄を溶かす。ある状態からある状態へと、変化の橋渡しをする。その火が燃える処、変化の場所が竈なんだよ。そして今まさに変化の触媒として働いているとき、木が灰になり熱が発生し、鉄が違う物へ生まれ変わるとき、竈の内側はそれらどれでもない、どちらでもない、曖昧で不安定な場所、つまり異界への通路となるんだ」


「う、うーむ、なるほど・・・」


 犬八は湯呑のお茶が冷めてしまうのも忘れて聞き入っていたが、こういう時の先生の話はいつも難しい、と思っていた。しかし、なんとなくはわかる。むしろ言葉ではなく、心で伝わってきていた。

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