第41話  それでもみんな生きていく

 抱き締めたお菊の背には、二本の矢が深々と突き刺さっていた。

 しかし、初め草平はそれが何を意味しているのかわからなかった。


「ん・・・? 何だ、コレは・・・・・え?」


 突き刺さった物から目を離さないでいると、次第にお菊の着物に赤黒い染みが物凄い勢いで拡がっていくのがわかった。


「お、お菊ちゃん⁉」

 お菊の体を離して見ると、寝間着の帯の辺りからも染みが拡がっていた。

「先生ぃ、わたしはここで死にます」

「え?」


 死ぬ? 死ぬってなんだ?


「ここでわたしが死ぬことで、予言は完成するんです」

 お菊の顔はみるみる青ざめ、息も荒く大量の汗をかいていた。

「何を、何を言っているんだ⁉」

「先生、さようなら。これが最良の未来へ続く道・・・」

「お菊ちゃん、お菊ちゃん!」

「ありがとう。犬の・・・熊友さんにも・・・」

 虚ろな目は、呆気なく閉じてしまった。


「ああ、ああ、おきく、お、お菊ちゃぁぁぁぁぁん‼」


 崩れ落ちるお菊の体を抱き留め、草平は天に向かって叫んだ。

 橋の周囲には大きな水柱が建ち、紫電が弾け、象ほどもある強大な白銀の狼が現れ、耳をつんざく巨大な咆哮を上げていた。


      ※


 数日の間、理由は曖昧のまま、上野公園は立ち入り禁止になった。

 早朝に爆発の音を聞いただの、動物園の動物がみな逃げ出しただの、ロシアのスパイが潜伏していただの、怪物が吠えるのを聞いただの、いろいろな噂がまことしやかに囁かれては消えていった。


 未だ入園出来ない上野公園の入り口に、草平は菊の花束をそっと置いた。

 あの日以来、初めてここを訪れた。来るのに決心がつくまで数日かかったのだ。

 どうしてお菊は死ななければならなかったのか。何度も何度も自問自答を繰り返した。しかし答えは一向に出ない。いや、もう答えは示されていたのだ。ただ、それを認めたくなかっただけだった。


 僕に未来を変えさせるため。僕に東京を救わせるため。


「犬八ぃ・・・」

 草平は逃げ出すように、隣に立つ犬八の胸に顔を埋めた。

「僕に、いったい何が出来るっていうんだ」

 犬八の体に強く顔を押し付け、その着物を涙で濡らした。


       ※


 国家反逆罪により警察の強制捜査を受け、王母教団は解体した。

 軍部の手先である伊吹戸からの接触は未だに無い。

 あの日、お菊に矢を射ったことは完全に否定していた。


 お菊を求めていたのに、それをあんな形で失う動機がない。むしろぼくたちの方が損害を被っているのだからある種の被害者だ。


 どこまでいっても物事を平面的に捉える男だった。

 では、お菊に矢を射たのは誰だったのか。それは解明されていなかった。

 客人対応係の融の見解では、お菊の未来を視る力を疎ましく感じていた輩、あるいは勢力の犯行でないか、ということだった。

 草平たちには、それが一番納得のいく考えだと思えた。


 予言されては困る存在。


 それはもしかして、あの東京の未来と関係あるのかもしれない、と草平は思った。

 とにかく、不忍が池の真ん中辺りに居たお菊を、伊吹戸の軍隊連中の包囲網の外側から、正確に射抜くのは、並外れた、いやそれ以上の能力が必要だということだった。

 だいたい、草平たちや教団や警察や軍部の動きを正確に察知して取られた行動は、恐ろしく機動力がある証明だった。

 これらは何を意味するのか。


       ※


 具体的に何をしたらいいのか、何が出来るのか草平には皆目見当がつかなかったし、自信も無かった。しかし、お菊が視せてくれたあの未来を心に焼き付け、常に生きて行こうと決めた。これからどうなるかなんてわからない。それでも草平は、自分の信じた道を生きて行こうと思った。それくらいしか自分に出来ることはないから。


 無理したってしょうがない。だいたい、何をしたらいいかわからないんだから、無理のしようがない。

 わからない、わからない、世の中わからないことだらけだ。未来なんてもっとわからない。

 でも、信念をもって生きて行こう。お菊ちゃんと共に過ごした時を胸に抱いて。彼女の短い人生と、未来への覚悟を胸に秘めて。

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