第40話  魔都

「え・・・ここは、どこだ・・・?」


 朝靄に霞む不忍が池の幽玄な光景は掻き消え、草平は驚天動地の世界に一人立ち尽くしていた。


 これは東京なのだろうか?

 草平は確信が持てなかった。何故なら見渡す限り建物という建物は皆、ほぼ倒壊していて、原形をとどめて居なかったからだ。

 この眼前に広がる荒廃した都市の至る所で火の手が上がり、挙句の果てに見るも恐ろし気な炎の柱が幾つも禍々しく渦を巻いて、そこらじゅうを焼き尽くしていた。


 聞こえてくるのは物が焼ける音、風と炎の唸り、そして人々の呻き声。

 瓦礫の下敷きになった者や炎に焼かれた者たちの苦悶の声、救いを求める声。あるいは泣き叫び、失った物を嘆き、失った者を探し求める声。

 立ち込める黒煙、舞い散る火の粉、人が焼ける臭い。


 やがてこの猛火の廃都のそこかしこから、蛍の光のようなモノが現れ、そして天へと昇っていく。その数は百、二百、いや数千、数万? 夥しい数の光子が舞い上がり、それは炎と煙によって赤黒く染め上げられた空へと至る。しかし突然、凶悪なまでに色付いた空が文字通りに割れ、更に醜悪な赤紫色が溢れだし、幕のようにそれは遂に地上にまで達した。


「空が、割れて、そこに光が吸い込まれていく・・・」


「異界が地上に堕ちてきたのです」

 草平の呟きに答えるように、お菊の声が聞こえた。

「お菊ちゃん⁉ どこに居るんだ? これはいったいなんだ⁉」

「わたしはここには居ません。これはわたしが視た未来を、おじさんに見せているんです」

「こ、これが未来・・・?」

「そう。未来の東京の姿」


 やはりこれは東京だった。しかし何があったんだ?


「詳しくはわからない。だけどなんらかの大惨事によって東京は壊滅し、そして余りにもたくさんの魂が一度に別の世界へと旅立ったため、この世とあの世の境界が裂け、異界がこの東京へ堕ちてきて、この世界と重なり合ってしまった。それがこの光景。これは十年以内に起こる」


 草平には混乱している暇が無かった。必死で頭を巡らせ、お菊の話に喰らい付いていこうとした。しかし、余りにも、余りにもこの未来は想像を絶していた。


 それにしてもどうしてお菊ちゃんは僕にこれを見せたんだろうか。


「わたしは、おじさんと初めて上野公園で会った時、この未来が視えた。そしてどうしておじさんと出会ってこの未来が視えたのか、いろいろと探ったの。そしたら、どうやらおじさんがこの大惨事を避ける鍵を握っているらしいということがわかった。でも、正直わたしはもし近い将来東京が滅びてしまっても、別にかまわないと思った。だって、教祖様もお亡くなりになったら、わたしにはこの世界に生きていても何の意味もないから。でもね、興味があったの。こんな悲惨な出来事に深く縁を結んだ人ってどんなだろうって。だから会いに行った。教祖様の居ない教団なんてなんの未練もなかったし、この先あそこに居ても酷い未来しか待っていなかったから。


 そしておじさんと犬のお兄ちゃんと熊友さんと知り合った。おじさんと犬のお兄ちゃんとは一緒に暮らした。ああいうのが生活っていうのかな。楽しかった。信じられないくらいに、信じたくないくらいに楽しかった。そしたらね、ふと、助けたいって思ったの。みんなの生活を守りたいって。だから必死でこの大厄災を避ける未来を探した。数限りなくある未来の中から、ようやくたった一つだけ、見つかった。避けることが出来る未来へと繋がる道は、ここから始まっていた。今、この時、この場所で、おじさんに未来を見せること。ここから伸びる道が、一番強かった。


 あ、それから、せ、接吻も、必要なことだったんだよ。あれでおじさんの頭を空っぽにして、この光景を見やすくしたんだから。変な意味はないんだよ」


「そうだったのか・・・」

 草平は燃え盛る都市を目の前にして、そっと唇に触れた。

 この未来を僕に見せるため、僕たちの生活を守るため、お菊ちゃんはどれだけのものを犠牲にしてきたんだい?


「ギセイ? よくわからない。難しい言葉。だいたい、教祖様が死んでしまって、もうわたしには何も残ってはいないの」


 残っていないなんて言わないでくれ。僕がいるじゃないか、僕たちがいるじゃないか。


 それに対して、お菊は何も答えなかった。

「おじさん、見て。あんなにも沢山の魂が昇っていく」


 光の粒は、まるで流星のように不吉な色の空を流れていく。それはとても悲しく、そして何故か美しくもあった。

 やがて地獄絵図の如き地上を、なんとも不気味な、人の形をした巨大な影が何体も、何処からともなく現れて、静かに徘徊し始めた。草平には、ソレが押し潰され焼かれた人々の苦痛と阿鼻叫喚を糧にして生まれ出たように見えた。


 終わりだ。人の都としての東京は、終わってしまった。もうここは人の世ではない。これでは、もはや魔都だ。


「おじさん、東京を救って。おじさんにこの未来を見せることが分かれ目なの。だからおじさんは必ずなんらかの重要な役目を果たすと思う。だから、どうかわたしの、わたしたちの楽しい思い出が残る東京を、守って」



 ハッと気付けば、目の前にお菊の顔があった。

「あ・・・戻った・・・?」

 草平は我に返った。

「おじさん、大好きでした」

 微笑むお菊の目から、銀色に輝く涙が零れ落ちた。


 愛しさと同時に、途轍もない不安を覚え、堪らずにお菊を抱き寄せよせると、ヒュンと空を切る音が聞こえ、その小さな体が二度ほど重く揺れた。

 お菊の背には、草平の抱き締めた腕を的確に避けて、二本の矢が深々と突き刺さっていた。

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