紙飛行機ラプソディ02

 ホームルームに向かう足取りはいつもより遥かに重かった。かつてここまで面倒だった頼まれごとはあっただろうかと凉花すずはなは溜息をつく。


 気温と人口密度で蒸し返す、居心地の悪い教室。一番奥側の窓が近い席へと座る。薄いカーテンからは夕方と言えども強い陽射しが激しい自己主張を永続させているため、じりじりと肌が焼かれるような錯覚を覚えた。


 宮守は教室に入るや否や、数人の友人に囲まれて愉しげに何かを語り合っていた。宮守と凉花はどちらから決めた訳でもないのだが教室内では、あまり話さないどころか、絡みすらない。

 話すことがないと言えばそれまでだが、大きな要因としては宮守が人気者であるという事が起因するだろう。


 現に今、宮守は数人の中心として輝いている。そんな宮守が積極的に普段あまり学校の来ない異端な凉花に話し掛けたら、途端に教室内は不穏な空気が流れてしまうだろう。

 それに凉花は集団を得意としないタイプだ。恐らく凉花にも配慮しているというのは、どことなく伝わっていた。


 凉花はぼけっと窓の外を見つめながら、校庭にある時計に目を移すともう四時を回っている。


(……あと三時間か)


 あと三時間で手紙の主が発覚する。心底どうでもいいと思う半面、少し面白おかしい気持ちも否定は出来ない。もし格好の良い男が現れたら宮守は付き合うのだろうか。夏休みだし二人で夏祭りなんて行って、キスをしてしまうんだろうか。


 キスされそうな宮守が真っ赤な顔をしてあたふたと慌てる様子がすぐに目に浮かび、顔にこそ顕さないものの、少し凉花は面白くなった。


 ガラリと扉が大きな音を立て開くと、気だるそうな白髪混じりの教師が入ってきた。髪を掻きながら「静かにしろぉ」と心のこもってない間延びした口調で生徒達を鎮める。

 ざわざわとした騒雑な教室が次第に静まっていき、教師が淡々と業務連絡や熱中症対策について語っていく。


 名簿をパタンと閉じたのを皮切りに、わぁっと声という声が飛び交い、やがて雑音となる。

 そのBGMを背に一足先に凉花は例の三〇七教室まで面倒そうに歩み始めた。


 階段を上がる頃、ふいにスカートのポケットから携帯電話が短く震える。


「……宮守から?」


 凉花は絵文字だらけのその読みにくいメッセージにしかめっ面をしながら確認するとすぐにスカートへ携帯を戻す。


(『誰か分かったら教えて、すぐ行く』って、結局来るなら自分で確かめればいいのに)


 凉花はそんな臆病な宮守を鼻で笑うと三〇七教室の扉に手をかける。久しく誰も使用してないその空間は埃が舞い、厚いカーテンから入り込む陽射しでそれがキラキラと神秘的に光っていた。

 サボるには丁度いい場所かもなぁ、なんて怠惰な感想を持ちながら机が幾多に重なる猥雑とした教室の奥へと進んでいく。一番後方の窓際までたどり着くと手で埃を払い、重なる机達をバリケードのように盾にして床に座り込んだ。


(おお、ここなら誰にも見つかりそうにないな。埃っぽいのが難点だけど、天気が悪い日はここでサボるのもいいじゃん)


 広さにして畳半畳にも満たないその秘密基地を得た凉花は思わぬ収穫に少し誇らしい気分になる。


 不思議と落ち着くこの狭い領域。人間、意外と狭い所には安心感を覚えるもので、それが他人に見つからない場所となればまるで凉花にとっては別荘のようにも思えた。

 蝉の鳴き声と遠くでがやがやと生徒達の雑踏が聴こえるその空間で、凉花の瞼は次第に重みを増していき、ついには微睡まどろみの世界へと誘われてしまった。




 不意にガラッと勢いよく扉を開ける音がする。

 凉花すずはなは反射的にびくっと身体を強ばらせ起き上がろうとした。刹那、机に足がぶつかると、まるでピタゴラスイッチのように安定の失った机や椅子らがガラガラと崩壊しそうになる。


「っ!!」


 凉花はめいいっぱい腕を突き出した。間一髪。バランスを失い、今にも凉花に襲いかからんばかりのそれを抑えることに成功する。しかし、どうにもあと一ミリでも動くと崩壊してしまいそうだ。

 凉花自身も乱雑と組み込まれた机と椅子のオブジェと化してしまったようだ。


(うわぁ、吃驚した!え?寝てた?今、何時?てか、何が起きたの!?)


 半ばパニックになりながら、目をぐるぐる回すと、次はピシャッと音がして凉花が隠れている教室の扉がしまった。こんな体育座りをしながら万歳をして机や椅子と戯れてる様子を知らない人に見られるのはとても恥ずかしい、なんて思いながら凉花は目を凝らして教室に入ってきた人物を目視しようとする。が、それを樹海のように積まれた机が許さない。


(むむ…これは非常にまずいぞ…)


 先程までうたた寝をしていた凉花は時間感覚がまるでなかった。厚いカーテンの隙間から差し込む光は日中の暴力的な明るさではなく、ほんのり優しいオレンジ色に変わっていることを考えると現在はもう19時近いか、まだふわふわと宙に浮いてるような思考を確実に少しずつ辿り寄せていく。


 不意に「あ!」と凉花は声を出しそうになるのを堪える。身体が微妙に動き、支える椅子や机が今にも凉花に襲いかかりそうになるのを、凉花は先程よりも俄然腕に力を入れて堪えた。


(もし19時頃だったら宮守に手紙を送ってきた人が入ってきたんじゃないの!?)


 足音が近づく。推測した事実とこちらに向かってくる足音に再びパニックに陥りそうな凉花すずはなな本能的に息を潜める。そして、樹海の隙間から見えた見覚え深く、忘れもしないその人物に凉花は絶望するのだ。


 ――どうやら私は今日という今日はとことんツイてないらしい。こんな所で“雪女”に遭遇してしまうのだって、きっと私が今日、宮守がグラウンドに飛ばした紙飛行機を片付けなかったせいだろう。神様はよく見てる。


 声を出せる状況なら、この絶望感が乾いた笑いを誘うだろう。


 何故“雪女”がここにいるのか、何故私はこんなにも落ち着いているのか。血の気が引く。絶望に近い諦めを覚える。長らく負荷が掛かって小刻みに震えている両腕は、負荷だけのせいではないような気がするのは気のせいではないだろう。


「宮守さん好きです、付き合ってください」


 凛としていて、それでいて埃っぽい教室が透き渡るような透明で、意思のこもった力強い声が聴こえる。ほらな、と最悪の事態を想定していた凉花だが、突きつけられる現実に、白目を剥いて気絶したい程、精神が追い詰められていた。


 ――今日の私は本当に人生で一番ツイてない。どうせ数分も経たないうちに、空き教室で私の友人に告白の練習をしている傍若無人残忍残酷冷血雪女だってきっと隠れてる私に気付いて、そしてこの後私は殺されるに違いない。


 きっと私は雪女の下僕になる為に命乞いするのだ。

 絶対そうに違いない。


 “雪女”が凉花の死守する机群の一角に緊張混じりであろう溜息を吐きながら腰をかけると、それを待ってましたと言わんばかりにガタガタと崩れる机や椅子。


 ――ほらみろ。あぁ、わかってましたよ、わかってましたとも。君達がこのタイミングで崩れることくらい理解していましたとも。


「ぬわぁ!!」


 机に押し潰される凉花が間抜けな声を上げると、崩れた机に引き込まれるように預けていた身体を後ろに引っ張られ、尻餅を付くように転倒した“雪女”が小さく悲鳴を上げる。


 咄嗟とっさに複雑に絡みつく机と椅子を押し退けて、瓦礫のように積み重なった埃まみれの倒壊地点を脱出する。驚きで事態を把握してない“雪女”が尻餅をついたまま、愛らしくも凛々しい大きな目をぱちくりとさせていた。

 その様子にどこから説明をしたものか、と凉花が“雪女”を見下ろしながら考えていると意外にも先に口を開いたのは“雪女”の方だった。


「全部……」


「え?」


「全部聞いていたの?」


「えーと……」


 凉花は複雑な表情をする彼女が怒っているのか、悲しんでいるのか、それとも別な感情なのか。全く分からずに嘘を付くべきか悩んだ末に、短く「うん」と答えた。


 その瞬間、彼女からぽろりと涙が流れる。

 その大粒の涙は留まらずに頬を伝い、制服を濡らしていく。瞬きすらせずに、ただ凉花を見つめていた視線も、何処か遠くに行ってしまってるように思えた。凉花はまるで美術品のような、完成された彼女の世界に割り込む事が出来ずに、言葉をかけることすら叶わなかった。


「もう…」


 涙を流す、美しい彼女は呟いた。


「もう……じゃない……」


 へ?と、声をあげる凉花。


「もう貴女を殺して、私も死ぬしかないじゃない!」


 ヒステリックに彼女が叫ぶ。彼女の言葉を脳で処理して理解にかかるまで約3秒。しかし体感時間にしてその3秒は余りにも長く、それでいて彼女に体制を整えさせる時間としては余りにも十分過ぎた。


 刹那、彼女の長く、白い両腕が凉花の首に向かって一直線に伸びる。

 凉花は間一髪、その腕を片手で振り払うと、今度は彼女は視界から消えた。

 直後、脚に鈍痛が走る。地を這う様な蹴りを入れたのは彼女。小さく呻き声をあげる凉花。ぐらりと視界が揺れ、無様にも横転してしまった。


(足払い!?)


 パニックになる涼香が次の攻撃に備え、起き上がろうと腕に力を込めた瞬間。酷く瞳孔が開き、昼に屋上で見かけた、人々を氷漬けにしようとするような狂気に満ちた瞳で凉花へ迫る雪女を確認する。

 凉花は怖気付き、咄嗟に腕で顔を隠す。本能的な防御の体勢だ。こうなると優勢になるのは“雪女”。


 彼女は凉花の腹の上に荒々しく馬乗りになる。歯を食いしばりながら、またもや凉花の首を絞めんと、今にも壊れそうなくらい美しく白い手を猟奇的に伸ばした。


 凉花はその両腕を掴み必死で押し返そうとするが、彼女の体勢が有利な為かなかなか押し返せず、また彼女も決そ定打に欠き、緊迫の膠着こうちゃく状態が続く。


「その顔……!ミシマリョーカ!!宮守さんの隣にいた奴ね!!!」


 ギリギリと歯を食いしばりながら昼の件を思い出したように一層力を込める。


「ス、『スズハナ』だよ……!!」


 名前の間違いをムッとしながら、指摘した凉花も負けじと握力を込めて、彼女の腕を押し返す。


「もう死ぬから名前なんてどうでもいいじゃない!」


「その“トンデモ理論”はなんなのさ!!」


「大丈夫、私達はあの世できっと親友になれるわ!!」


「出来れば今世でお願いします!!!!」


 押しつ押されつ両者一歩も退かぬ攻防。

 もう何分もそんな攻防をしていると不意に彼女の力が緩むのを凉花は見逃さなかった。ぐるりと凉花が体勢を入れ替える。


 形成逆転、馬乗りになられた彼女は長期戦の疲労で頬を蒸気・・させ、肩で息をしながら、悔しそうに唇を噛み締めた。勝利を確信した凉花はニヤリと悪役じみた、それでいて嫌らしい笑みを浮かべ、彼女の細い腕を床に押し付ける。


 ――ガシャンッ!


 突然。それは二人にとって突然だった。それもそのはず、殺すか殺されるか、生きるか死ぬかの死闘を演じていたのだ。周囲の音、気配を察するには余りにも酷という話。

 そう、二人にとっては突然なのだ。突然、大きな音を立て勢いよく教室の扉が開く。


凉花すずはなちゃん、大丈夫!?」


 そこに駆けつけたのは、凉花の荒い声と大きな物音に心配そうにする、二人にとっては良く知る人物。いや、今回の騒動の中心人物であると言っても過言ではない宮守その人であった。

 その宮守が血相を変えて二人の戦場に颯爽と現れたのである。


 世界が停止かと思われた。


 三人とも唖然とした表情で、動けない所か、思考すら追いつかない。なぜ宮守がここにいるのか、なぜ凉花は女子生徒を押し倒しているのか、なぜ“あの”雪代が押し倒されているのか。目が回るような状況は勘違いの激しい彼女によって最悪な事態へと展開する。


「な、なるほど!」


 混乱する宮守が開口一番、ぽんっと手を叩いた。


「じゃ、邪魔してごめんね!じゃあね!」


「ちょっと待てぇい!!」


 顔を燃やすように真っ赤に染めた宮守がそそくさとその場を去ろうとするのを、嫌な予感がした凉花が必死の形相で止めた。


「待って、宮守、勘違い!」


「いやだって、ねぇ……?」


 見たらいけないものを見るように、大袈裟に両手で顔を覆う宮守は、指の隙間からちらちらと凉花と雪代を見比べる。宮守が勘違いするのも至極当然だった。

 共にはだけている制服、顔を上気させつやめくような吐息を漏らす押し倒された雪代、馬乗りになり、雪代の手を拘束してニヤリと嫌らしく笑っていた凉花。証拠過多にも程がある。裁判無しで死罪確定級の言い逃れ出来ない現場であった。


「実は……えーと、そのだね、宮守……」


 真実を打ち明けていいものか、凉花の下で押し倒されている毒気の抜けた“雪女”をちらりと見ると、今にも泣き出さんばかりの表情で雪代が首を小さく何度も横に振った。


「あれだよ!」


「どれ……?」


「ほら、お昼にさ、雪代…さん?に私の小テストで折った紙飛行機取られたじゃん!?あれ赤点で恥ずかしいからさ!さっき偶然・・ここで会ったから返して貰おうとしたんだけどなかなか返してくれなくてサー!」


 『偶然』を大きく主張するのは忘れない。


「……それで?」


「ちょっとじゃれあって、お腹とかくすぐったりしてなんとか返して貰おうとしてたとこなのよ!ね!?」


 ね!?と雪代に話題を振ると、すっかり勢い飲まれた雪代は大きく何度も頷く。


「……本当なの?」


 まだ怪しむ宮守は少し考えつつ問いただす。


「いや、マジだよマジ!雪代さんったら強情なんだもん困っちゃうナー」


 冷や汗をかきながら、必死に宮守に笑いかける。宮守は「うーん」とまだ納得していないようだった。


「そ、そうだ!」


「え?」


「例の手紙の件!多分、私達が騒いでるのを見て逃げちゃったかも!ね!雪代さん!」


「え!?あ、あぁ、そうね、確かにさっき人影があったようなないようなそんな気が……」


 話題をずらしに掛かった凉花が強引に雪代へ話題を振ると、すっかり勢いに飲まれた雪代が初めて凉花に歩み寄った。


「あぁ、そっかぁ……」


「ご、ごめんね」


「ううん、大丈夫だよ。むしろ良かったかも!名前のない手紙なんて怖いし。放課後に呼び出しなんて憧れだったけど、私の事は知ってて、自分の事は私に教えてくれないなんて……なんかずるいよね!だから断るつもりだったし。平気だよ!」


 雪代が全身全霊を込めたであろう渾身の手紙を否定して、えへへと笑う宮守。凉花は固まる表情筋を無理にフル稼働させた作り笑いを見せると、恐る恐る雪代を見た。


 雪代は白目を剥いて気絶していた。


 宮守に悪気は一切ないが、“否定”という名のあまりにも鋭利で恐ろしいナイフをざっくりと雪代の胸へ深々と刺してしまったようだ。

 いくら整った絶世の美女と言えども、白目を剥いて気絶する顔は酷く、とてもじゃないが見せられるような顔ではない。特に好きな人になら尚更である。


 凉花は雪代の顔を隠すように抱き抱え、「え!?具合が悪い!?保健室連れてってあげるね!」と下手な小芝居を打つと、宮守がいる反対側の扉へと駆け出した。


「雪代さん遊びすぎて具合が悪いみたいだから保健室運ぶね!宮守、今日はごめんね!先に帰ってて、じゃあまた明日ねばいばーい!!」


「え!?あ、うん、大丈夫、ばい、ばい……」


 宮守が事態を把握するより、そして手を振る前よりずっと早く、嵐のように凉花は脱力しきった雪代を抱えて走り去ってしまった。

 宮守は今起きた事を一ミリも処理出来ないまま、一人ぽつんとその場に取り残されてしまったのであった。

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