雪女と咲かせる花は百合なのか?

花井花子

第1話 紙飛行機ラプソディ

  一緒に授業をサボっていた宮守ミヤモリが「紙飛行機を飛ばそう」と言い出した事が最悪の始まりであり災厄の訪れであったと言えるのを数時間後の凉花すずはなは断言するだろう。


 季節はもう夏休みまで数日を残して、世の高校生達は“夏休み”という一大イベントに思いを馳せていた。授業なんてみみっちい消化ゲームには誰一人として気が乗っていない蒸し暑い午後。

 そんな気乗りしない授業を真面目に受けれる程、我慢がきかない駄目人間二人。


「なんで宮守と二人で紙飛行機なんて飛ばさなきゃならないのさ」、そんな凉花の反論なんて耳に入るだけで脳に届いちゃいないのか脳天気な宮守。

 マスコットキーホルダーだらけのスクールバッグから『夏休みについて』と注意書きが書かれたプリント用紙を取り出すと「にしし」と笑いながら軽快に紙飛行機を折り始めた。


 紙飛行機作りに凉花は反論をしたものの、いささか宮守との他愛もないやりとりにも飽きてきた頃である。凉花は自分のスクールバッグから数学の小テストを取り出すと何年ぶりかであろう紙飛行機を黙々と折り始めた。


「凉花ちゃんはさ、夏休み予定ある?」


 あっという間に完成した紙飛行機を手に取った宮守は思い出したように問いかける。

 本来ならば高校一年生の夏。それも長い人生で一二を争う程輝く、華の女子高生の夏。新しく出会った友人達とプール、海、お祭りなど盛り沢山のイベントで胸いっぱい予定帳いっぱいに埋まってるはずであろう“夏休み”。

 凉花の夏休み予定帳(脳内)には“寝る”しか予定が記載されてない上に、それが毎日記帳されていた。


 つまりは悲しいかな、虚無。


 友達が少ない彼女にとって夏休みとは暇を持て余すイベントくらいにしか認識でしかない。その旨を伝えると、流石凉花ちゃんとけらけら宮守は笑って見せた。


「宮守は彼氏と熱々デートかなぁ?」


 “流石”とまで付けられたら負けず嫌いの凉花も黙っちゃいない。嫌味ったらしくジト目で反撃を試みる。


「しないよお!! 彼氏いないもん!!」


「はっはっは、そんなに慌てないでよ。んで、今回はどうするの?」


 核心を突かれた宮守はうーんと頭を大袈裟に抱え込み、凉花の隣に座り込む。それを見た凉花が愉しげにうりうりと肘で突ついた。


 凉花と宮守は旧知の間柄では無い。

 むしろ高校に入ってからの比較的浅い仲であり、正直な所彼女の全てを知っているわけではないと凉花は思っている。一緒に登下校することも無ければ、休日に何処かへ出掛けるということも無い。

 ただなんとなくサボると、たまに栗色のツインテールを揺らしながら小さい奴がなんとなく着いてくる。その程度の関係でしかなかった。


 そんな宮守が初めて自分から自主的授業ボイコットに誘ってきたと思いきやの今回の件である。

 恋愛かぁ、と過去を振り返るも全く思い出がない凉花は自虐気味に思い耽った。


「あーうー」


 間抜けな声を上げたのは宮守。彼女を尻目に凉花は今朝、古風にも宮守の下駄箱に納められていた手紙を、宮守のスクールバッグから取り出した。


「『放課後七時に、三〇七教室で待っています』だってさ。まったくモテる女は辛いねぇ」


「まだラブレターって決まった訳じゃないし……」


 煮えきらない様子の宮守が小さく反論する。


「いやいや、こんな達筆でしっかり封筒にまでいれて、しかも放課後の空き教室に呼び出しだよ? これがラブレターじゃないと言われましてもねぇ宮守さん」


 凉花は茶化すようにニヤニヤと宮守を挑発した。そんな意地悪に宮守は小さな身体を更に丸めて小さくなる。

 全くそんなあざとい動きまで絵になるとは……凉花は劣等感を感じながら、熱気で蒸し返す夏の空をぱたぱたと仰いだ。


「す、凉花ちゃん、こういう時ってどうしたらいいのかな!?」


「え?私?聞くだけ無駄無駄」


 凉花は笑いながら手を横に振る。こんなんだからね、と凉花はうっすらと茶色に染めたショートカットの髪を指でちらつかせた。夏の日差しでその髪はますます茶色に見える。


 凉花は宮守と違って平凡だと自己分析する。

 女にしては高めの身長で周りに揶揄こそされた事はあるものの、仲間外れにされた訳でもない。もちろん輪の中心でもなかったが。そんな私が浮いた話等ありはしない、と決めつける。


 凉花は流されるがまま、教室の背景として今まで無難に過ごしてきた。


 しかし高校生になるとこれが見事に大コケをしてしまう。初めての一人暮らし、退屈な授業、馴染めない環境。極めつけは怠惰な性格。

 今思うとただの早めな五月病だった入学したての凉花は、周囲からみたら立派な不良(授業をサボる程度だが)に成り下がってしまった。いや、始めて自分で自分のしたい行動を実行出来たという点では不良に“成り上がった”のかもしれない。


 そんなクラスから浮いていた凉花に唯一声を掛けてくれたのが宮守だった。

 彼女は誰にでも人当たりがよく、クラスで腫れ物になってる凉花にも臆せず、まるで旧来の友人のように話し掛けてくる。

 初めはうるさいチビくらいに思って無視していた凉花だが、今では立派な不真面目仲間だ。

 ただ凉花と違う点は、毎日授業をサボっている訳では無い事。たまに息抜き程度に凉花と連れ添う。

 その程度の健康的な不真面目さであった。


「せめて名前さえ書いててくれたらなぁ」


 凉花が手紙を返すと、宮守が手紙に視線を落とす。


 そう、問題は手紙に名前が書いて無いことなのだ。

 怖いなぁ、と宮守は続ける。宮守は好奇心旺盛のように見えるのだが異性が絡むとてんで臆病になってしまうのを凉花は知っていた。


「まぁ、確かになぁ。シンプル過ぎるのもどうかと思うね」


 鈴花は笑うと、困り気味に「だよね」と眉を潜めて宮守が笑った。


 紙飛行機何処まで飛ぶかなぁ、なんて現実逃避気味に呟く宮守がグランドに向かって作ったお手製の紙飛行機をひょいっと投げ出す。

 空を滑るように真夏の陽炎を滑空する宮守の紙飛行機をぼうっと二人は見つめていた。


「おお!凄い飛ぶね!」


 そこそこの飛距離に思わず宮守が興奮する。屋上の太陽に照りつけられた熱い鉄柵から身体を投げ出さんばかりに前のめりになる宮守は、小学生のように目をキラキラさせながら紙飛行機を目で追っていた。

 小さい容姿と子供のような無邪気な笑顔は絵になるなぁなんて思いながら宮守の横顔を見てた凉花だが、突然宮守はハッとした顔で凉花にバッと素早く振り向く。


「ちょちょちょちょ、凉花スズハナちゃん……」


「な、なに、いきなり」


 急な動きに戸惑う凉花の言葉に食い気味で宮守は続けた。


「私の紙飛行機より凉花ちゃんの紙飛行機が飛ばなかったら、代わりにどんな人か凉花ちゃんが見に行ってよ!」


「はぁ〜!?」


「うん、それがいい!名案だ!」


 今まで浮かなかった顔がぱあっと明るくなる。

 宮守はいつもそうだ、と凉花はげんなりした。突拍子もない事で宮守はいつも他人を良い意味でも悪い意味でも振り回す癖がある。


「いや、あのね……」


「もし!!!」


 凉花の言葉を強引に遮ると宮守は得意気に提案する。


「もし私より凉花ちゃんの紙飛行機が飛んだら、凉花ちゃんの夏休みの宿題ぜ〜んぶ私が引き受けるよ」


「よし、その勝負受けよう」


 思考時間にして0.001秒。人智を超える速さで凉花は提案を飲み込む。こんな美味しい話はない、凉花は涎が垂れる思いで先程作った紙飛行機を何度か飛ばす真似をした。


(宮守の紙飛行機が飛んだと言えども、所詮それは屋上からの高さがある分。紙飛行機に性能差はない。身長のある私の方が有利!)


 めいいっぱい紙飛行機の先端を尖らせ、しめしめと気合いを指先の紙飛行機に込めた。ブンっと力強く紙飛行機を投げる。


「って、えええ!?」


 が、それが仇となる。力強く腕を振り抜き投げた紙飛行機は気流に乗ることなく、無様にも真下へと急降下していくのだ。その様は『宿題くらい自分でやれよ』と紙飛行機がお節介をするように。


「あ!!!危ない!!!」


 慌てふためきながら太陽光が蒸し返しているグラウンドを指指す宮守。その指先を視線で追うと急降下する凉花の紙飛行機の着地点(不時着地点)には女の子がいた。


 紙だろうが屋上から空気を裂きながら真っ逆さまに落ちてくる先の尖った物体が脳天に落ちた時の衝撃なんて誰が想像つくか。刺さるのか? 痛いのか? 凉花はパニックになりながら行方を見つめるしかない。


 そして時は訪れる。


 “クシャッ”と小気味よい音が屋上まで聞こえると共に女子生徒の頭に先端の潰れた紙飛行機が見事に着地した。


 何事もなく(何事はあったが)女子生徒の頭に着地したのを確認した宮守が心配そうに見つめる。凉花は紙飛行機を頭にさ女子生徒に言葉を失っていた。


 刹那、女子生徒が動き出す。片手でぐしゃっと紙飛行機を掴み、今にも破きそうな勢いで紙飛行機を広げる。「……あれ、赤点なんだけど」、凉花が呟くと宮守は困り気味に笑った。


 こちらを見上げる女子生徒。驚く宮守。引き込まれる凉花。


 遠目で分かるほどくっきりした、全てを見通すようなその瞳。ほっそりとして長い手足、小さな顔、透き通っている新雪のような白い肌―――その美しさは“人間離れ”していた。

 凛とした雰囲気はこの夏の熱気をも忘れさせてくれる。


 簡単な話、凉花の頭では処理出来ない程の美少女がそこにいた。


 そのお姫様の様な彼女が長く綺麗な黒髪をなびかせて此方を凝視する。

 凉花の隣で固まる宮守を見てハっと一瞬驚いた顔をしたと思えば、次に凉花に向けられた視線は好意的なものではない。睨みつけている。明確な敵意である。嫌な汗が吹き出る。夏のせいでもない。体調のせいでもない。本能的に脳から赤信号が発信される。動けない。SOS。身体が一ミリも、あまつさえ眼球ですら、凉花は彼女にらされていた。

 真夏の火照る身体に酷く悪寒を持たらし、絶対零度の世界へ誘われたかのようだと凉花は凍り付く。


 彼女は口早に何かを呟く。この距離では呟く程度の声量じゃ何も伝わらない。伝わらないがしかし、彼女は三文字呟いた。怯える凉花に余りにも暴力的で猟奇的な三文字を彼女は吐き捨てた。


 “殺す”


 はっきり殺意を認識出来る。怯える凉花に向けられた言葉である。

 凉花はへたりとその場に倒れ込んだ。


 なんだっていうんだ一体。こんな威圧感を持つ女子高校生が存在するのか。或いは魑魅魍魎の類で私は見ちゃいけないものを見たのではないか。


 そう、例えるなら“雪女”のような。


 なんで雪女が夏にいるのさ、柄にもなく瞳に涙を浮かべる凉花はハハッと乾いた笑いをあげる。諦めに近い感情がじわぁっと雪が溶けるように染みだした。


「うわぁ…雪代さんと目合っちゃった」


 最初に声を上げたのは宮守だった。

 宮守はへたり込む凉花と目を合わせると、怖かったねと作り笑いを見せた。宮守なりの気遣いであろうが、自身も脚を産まれたての小鹿のように震えさせる。立つのだけで精一杯といったところだろうか。


「あ、あれ誰……」


 凉花は精一杯の声を振り絞ると間髪入れずに驚きの声が上がった。


「え!? 凉花ちゃん、雪代さん知らないの!?」


「知らないも何も、自慢じゃないけど学校さえまともに来てない私だよ!? クラスメイトの顔だって覚えてないのに、上級生の顔なんて分かるわけないじゃん!?」


「いやいや、雪代さんは同い年だから」


 宮守は凉花の発言に引き気味で続ける。


「雪代さん、隣のクラスで有名人だよ?ほら聞いたことない? “雪女伝説”って」


「あぁ……えぇと、視線合わせたら凍り付かせるとか目の前を歩くと教師すら塵と化すみたいな、この学校の七不思議のあれでしょ?」


「そうだけど違うよう。七不思議じゃなくてそれ全部実在の人だよ。雪代さんのこと!」


 へっ?と思わず素っ頓狂な声を上げる凉花にクスクスと宮守は笑う。終いには凉花ちゃんは何も知らないなぁなんて言われる始末だ。


「才色兼備にして冷酷残酷、入学3ヵ月でフッた人数その数100人以上! 同級生だろうが上級生だろうが告白しようものなら3日は寝込ませる!! 才色兼備にして畏怖の象徴冷酷冷徹雪女!!!」


 オーバーに身振り手振りを交えながら何故か誇らしげに文句を謳う宮守。恐らくこの謳い文句も有名なのであろうと言うのは流暢に語る宮守から感じ取れる。そんな宮守は続ける。


「2週間くらい前にクラスメイトを病院送りにして停学したって聞いたけど、停学解けたのかな…」


(おいおい、どんな化け物だよ…)


 凉花は地獄を覗く様な顔で、恐る恐る鉄柵から屋上の下を伺う。そこには先程の恐怖が嘘のように消え去り、照りつけられたグラウンドの土しか見えなかった。


「良かったもういない」


 ほぅっと凉花は一つ溜息を吐き、落ち着く。

 真夏の火照る陽射しのおかげか宮守の調子のおかげか、雪女に凍り付かされた全身を覆う氷は溶け始めいつもの調子に戻ってきた様な気もする。


 あんな化け物規格外だ、と凉花は興奮気味に続けた。


「どう考えてもおかしいでしょ、あ〜んな威圧感持ってる同級生なんてこの世に存在する!? 凶悪の権化!! 驚きじゃ済まされないって!」


「でも一度雪代さんと話した事あるけれど、あまり悪い人とは思わなかったなぁ。怖い人ではあるけどね」


 淡い栗色の髪を揺らしながら、宮守はくすくすと私を笑う。あんな化け物と会話できるなんて、宮守もまた別の化け物か、凉花は唖然としたまま固まった。

 そんな事はつゆ知らず、夏休み明けはちゃんと皆の顔覚えるように出席しなきゃね、と宮守らしいお節介まで付け加えられた。


 宮守は勘違いが激しかったり、たまに突拍子もない事を言い出したりする他は、基本的にはお節介焼きのしっかり者なのである。


 ふいに予鈴がなると共に椅子の引く音や、机の動く音が四方の教室からザワザワと聞こえてくる。


「お、やっと放課後だね〜」


宮守は凉花に手を差しのべて、へたり込む凉花を起き上がらせた。


「そうだね、じゃ、お疲れ宮守!」


そそくさと帰ろうとする凉花スズハナの手を、その小さな身体からは想像のつかない力強さでがっちりと掴む。

作り笑顔でにこっと微笑む宮守は『忘れるなよ』とばかりに続けた。


「放課後、よろしくね?」


「……はい」


 凉花は憂鬱になる。しかしそんな事は知った事ではない、重荷から開放されて御機嫌な宮守に手を繋がれ教室へ戻っていく。ジトっと額に汗で髪が張り付く。そんな蒸し暑い夏の日である。

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