09:比翼連理でどこまでも(1)

「小鳥を拾いました」

 少女――システの細い手の中には、白い産毛に覆われた、彼女の掌より小さな小さな、鳥の雛。まだ目もしょぼしょぼしているようで、忙しなくこうべを巡らせている。

「……ああー」

 キラは直感して溜息をついた。この鳥は助からない。巣から落ちた雛は、親鳥からの餌をもらえずに衰弱し、そのまま朽ちるか、他の動物の腹に収まる道しか残されていない。それは自然界の摂理で、人間が介入してはいけない、生態系を守る為の文無き約束である。

 だが。

「わたしが育てても良いでしょうか」

 システが薄緑の髪をさらりと肩に流して首を傾げつつ放った言葉に、キラは目を丸くして、瞬間、言葉を失った。

 てっきり彼女なら、

『見捨てるのが秩序システムです』

 と言ってのけると思っていた。だのに今、彼女は普段の言動とは真逆の事を口にしている。

「秩序に則れば、手を出さずに看取って土に返すものだとはわかっています」

 そこで一旦言葉を切り、「ですが」と彼女は紫の瞳をまっすぐ青年に向けてくる。

「わたしは『諦めない事』を旅の中で学びました。試行を、させてください」

 愛しい妻にそこまで言われて、駄目だ、の一言で願いをねじ伏せるのは、オルハの長として、いや、男がすたる。

「わかった」

 たん、と両の手をひとつ打ち合わせ、キラは胸を張った。

「俺様に任せろ。何としてでも、こいつに空を飛ばせてやろうな」

「はい。ありがとうございます」

 システは相変わらずの平坦な調子でうなずく。だが、心無しかその顔には喜びの色が宿ったように、キラには見えた。


 水を飲ませて、餌はそこらの木々に這っている虫。夜も温かく、しかし直射日光は当たらない自然の巣を再現する為に、柔らかい草で編んだ篭に綿を詰めて、そこに雛を入れた。

 小さな翼をばたつかせ、必死に開いてぴいぴい鳴く口に餌を近づけると、ぱくり、と食いつき、一息に呑み込む。拾った時の頼り無さからは想像がつかない逞しさで、それがシステの興味をより煽る。

「大きくなると良いですね」

「はい」

 ティヤという、システの外見年齢と同じ十六歳だという、世話役の娘が、隣からにこにこ顔で雛を覗き込む。システは彼女の言葉に、淡々と首肯した。

 喜怒哀楽に乏しく独特の態度を取るオルハ族長の若妻に、最初は誰もが近づき難そうにしていた。だが、好奇心の塊のようなこのティヤは、朗らかにシステに語りかけ、反応が淡泊でも、怯んだり、これは駄目だと距離を置く事は無く、『秩序』に従うシステの話に根気強く付き合ってくれる。今回も、小鳥を育てるという話を聞いて、率先して世話の仕方を調べてくれたのだ。

 ぴいぴい鳴く雛に対し、身体をくねらせる虫を黙々と与えるシステを見ていて、ティヤが不意にどこか懐かしそうな目をして、しみじみと洩らすように言った。

「そうしてらっしゃると、長になる前の若様を思い出します」

「キラを、ですか」

 システは手を止め、ティヤの方を向いて、ぱちくりと目をまたたかせる。

 キラは実の母親に疎まれ、あまり幸せではない少年時代を過ごしたと聞く。一体自分とどういう共通点があるというのだろうか。小首を傾けると、ティヤは柔らかく微笑んで先を継いだ。

「昔の若様は、年齢を問わずに子供達を集めて、毎日のように一緒になって、剣の稽古をしたり、浜辺を走って遊び回ったり。それこそ小鳥のように忙しない方でした」

 やはり共通項が見出せない。システの無言の促しを感じ取ったか、ティヤは雛の喉元を撫でながら、話を続ける。

「若様は、ご自身のお生まれが辛かった分、オルハの全ての民を愛し、その幸せを思って行動してくださいます。まだ至らぬ点もありますが、皆が今でも『長』ではなく『若』と呼ぶ事があるのは、未熟さを嘲ってではなく、先代までよりも、心を近く添わせてくださるからこその、親しみを込めての呼び方なのです」

 だから、とティヤの黒目がちな瞳が、システをじっと見つめる。

「若様が見初められたシステ様も、いずれは若様に最もお似合いの伴侶として皆が認め、慕うと、私は信じています」

「わたし、は……」

 餌の入った器を下ろして、システは長い睫毛を伏せがちにする。

 自覚している、自分は『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』の支配から解き放たれて尚、『秩序』のしがらみから抜け出せない。損得、意味無意味を、感情ではなく理性で判断してしまう。その四角張った性格が祟って、オルハの民の中にも「とっつきにくい」と距離を置く者がいる事も、気づいている。

 それでも尚、ティヤはシステを信頼してくれている。そう、これは『信頼』だ。エクリュ達との旅の中で、システは他者を信頼する事を覚えた。その感情を、この少女は自分に向けてくれている。

 人の感情の機微を読み取る事にかけては、得手不得手の範疇外だったシステにもわかる。彼女は、キラを愛する者同士として、システに期待をかけてくれているのだと。

 人は同じ相手を好きになると、時に嫉妬という感情を覚えるという。だがこの少女は、そんな負の思いを微塵も抱かず、システにありったけの好意を向けてくれる。期待をされたら応えねばならない、というのは、システの秩序に則るものだ。

 だから、逡巡の後、システは両目を開き、ティヤを見つめ返して、ほんの少し、ほんの少しだけ、口の端を持ち上げて、返答をする。

「努力はします」

 その答えは、ティヤを満足させるに充分だったようだ。

「応援していますから」

 少女は、大輪の向日葵の花が咲くかのように、満面の笑みを見せた。

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