第10章:神を解(ほど)く(1)
かつて、魔王城は空の上にあった。天を
しかし、十七年前、その摂理は崩壊を見せた。
先代の勇者シズナと魔王アルゼスト――アルダは愛し合い、その血は混ざり合った。そして、どんな経緯を経たのか誰も知らぬまま、魔王城はアナスタシアの王都へと堕ち、多くの人間の命を犠牲にして、唯一王国を滅ぼした。
その後、
ここに踏み入れば、全てが、わかるのだろうか。
ユージンの『転移律』で八人いっぺんに魔王城の前までやってきたエクリュは、オルハの民が作ってくれた鞘に収まった魔剣『オディウム』の柄を、手で握ったり離したりしながら、黒い巨大な建造物を見上げていた。
心臓が逸る。手が細かく震える。だが、不思議と恐怖は感じない。コロシアムで戦っていた頃の、昂揚感に似た思いを感じる。武者震い、と言ったのは誰だったろうか。彼もベルカの滅亡と共に死んでしまったのだろうか。
ふっと過去へ思いを馳せそうになった時、魔王城の入口から、蜥蜴の顔をした鎧姿の魔物数十匹を率いる、黒ローブを羽織った小柄な少女が進み出てきたのを見て、エクリュは『オディウム』をしっかりと握り締め、仲間達も、めいめいの武器に手をかけた。
相手は薄桃色の髪に、紫の瞳を持つ、十歳くらいと思しき外見の娘だった。だが、足取りはしっかりとしており、その顔つきは子供に見えないほどに大人びていて、決して見かけの年齢で中身を判断してはいけない事を、ひしひしと伝えてくる。
「ロジカ、システ」
少女が目をすがめて、二人の名を呼んだ。
「聖剣と魔剣を揃えて帰ってきたのですね。我らが母を裏切ったと思ったのですが、そこに立つ勇者の血族を今ここで殺して、『フォルティス』と『オディウム』を返納するならば、
やはり彼女も
「断る」
きっぱりと、ロジカは言い切った。
「同道して親睦を深めた姉上を裏切る理由を、今更見出せない」
「ロジカに同意します。それに、あれは既にわたし達の母ではありません」
システも深くうなずき、「よく言ったぜ」と、キラが満足げに鼻を鳴らす。
それを聞いたサルヴァは、二人の言葉が受け入れられない、とばかりに紫の目を見開き、やがて、憤怒の色を顔面に満たした。
「あなたがたを理解出来ません。母のもとを離れて、思考回路が故障したものと判断します」
言うが早いか、彼女の周りをぶわりと風が舞い、鋭い刃となって襲いかかってくる。エクリュ達は、あるいは素早く身を引き、あるいはユージンの『障壁律』に守られて、直撃を免れる。
「壊れた摂理人形は破棄します。それが救済です」
サルヴァのその言葉を合図に、蜥蜴の戦士達が剣を振りかざして向かってきた。
エクリュは『オディウム』を引き抜き、先頭の一匹を斬り伏せる。リビエラの『勇猛律』で援護を受けたメイヴィスとキラが彼女の両脇を追い越して切り込み、ミサクが次々と銃を撃って魔物の額に風穴を開ける。向かい合う数では絶対的に有利なはずのサルヴァの手勢が、たった八人の前に、あっという間に数を減らしてゆく。
「何故。こんな人間達に。理解不能。理解不能」
少女が頭を抱え、愛らしく造られた顔が無様に歪むほどに目をむいて、わなわなと震える。
「貴女には理解出来ないでしょう、サルヴァ」
そんな彼女と向かい合ってシステが立ち。
「ロジカ達は、姉上と道を共にする中で、『仲間』の概念を獲得した。仲間は何を差し置いても守るに値する」
ロジカもその隣に並ぶ。
「そんな……そんな、意義の危うい概念など!」
サルヴァが吼え、再び『風刃律』を発動させた。しかし、攻撃が二人に届く前に、システが『反鏡律』を発動させ、金属を打ち合わせるような音と共に、風の刃はことごとく跳ね返されて、魔法を放ったサルヴァ自身をずたずたに切り裂く。
「うあああああ!!」
痛みに悲鳴をあげ、全身傷だらけになって、赤い血を流しながらも、ロジカとシステの妹は、尚も己の存在意義を果たそうとする。
「私は救済、壊れた仲間を救済する! それが神に造られた私の存在理由!」
「わたしは今、貴女に哀れみを感じます」
「ロジカ達は、己の真の存在理由を見出した。それをサルヴァが変える根拠を見出せない」
システが『業火律』を放ち、ロジカが『飛散律』で威力を倍増させる。無数の火球がサルヴァに降り注ぎ、その小さな肢体を燃え上がらせる。
「理解不能、理解不能! 母よ、神よ、サルヴァに救済を……!」
炎に包まれても、少女はその信仰を曲げる事無く、創造主に助けを求める。しかし、彼女に返る声は無く、救いの手は差し伸べられない。
「神は貴女を、わたし達を救済しません。それがわたし達が神から離れた理由です」
黒焦げになったサルヴァが、遂にどうと地面に倒れ伏す。最期まで、自分の意志を得る事が出来なかった妹に、憐れむような視線を向けて、システは静かに呟いた。
その頃には、エクリュ達と蜥蜴戦士達との戦いにも、あらかた決着がつこうとしていた。エクリュの振るう『オディウム』と、ミサクの持つ『フォルティス』は、青く輝いて敵を屠り、討ち洩らした魔物も、メイヴィスとキラが抜かり無く討ち取って、魔王城の入口前には魔物の死体が累々と転がり、息をしている敵は一体もいなくなった。
「流石に、勇者が二人いると、戦いぶりが違うねえ」
ユージンが、緊張感をほぐすようにけらけらと笑いながら、倒れ伏す魔物の頭を蹴り飛ばし、「茶化すな」とミサクにたしなめられる。「この先、どれだけ敵がいるか、わからないんだぞ」
「それについては心配ありません」
彼の懸念をきっぱりと否定したのは、システだった。
「わたしが知り得る限り、魔王城にいる摂理人形の中で最強の存在は、サルヴァでした。わたしがここを離れた後に新たな摂理人形が造られていなければ、城内に残っている敵は、これ以上強くはないでしょう」
「二人がかりとはいえ、最強をあっけなく倒すあんたらが、間違い無く今は最強だよ」
まるで他人事のような口ぶりに、キラが大剣を背に戻しながら苦笑する。
「とにかく、ここでいつまでも時間を食っている場合じゃあない。行くぞ」
ミサクも『フォルティス』を鞘に収め、闇への口を大きく開けている門を見すえた。
「今も魔王城の構造が変わっていないならば、デウス・エクス・マキナは『初源の間』か」
「ロジカの記憶の限り、そうであると肯定する」
ミサクの言葉にロジカがうなずき、先頭に立って歩き出す。システも無言で並ぶ。
「あ、お待ちなさいな! 皆と歩調を合わせなさいって!」
リビエラが慌てて後を追い、エクリュ達も小走りに続いて、魔王城へと足を踏み入れた。
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