第9章:帰ってきた勇者(3)
ダヌ族の男だった。ただ、他の連中より背が高くてひょろりと細く、南海諸島は暑いのに、黒いローブを着込んでいる。
そして、底知れぬ闇に濁った黒い目の上、その額には、深い紫の魔律晶が埋め込まれ、周囲の皮膚が醜く引きつれていた。
「ゲ=ルド!」
ダヌ族の一人の脳天を叩き割ったキラが、憎々しげに相手の名を叫ぶ。対する、ゲ=ルドと呼ばれた男は、「おやおやおや」と、嘲るように笑ってみせた。
「もう立ち直りましたか、オルハの若造? 片腕を失くして、子供のようにめそめそしているかと思いましたが」
「うるせえ!」
キラが我鳴り大剣を握り直した。
「俺様だっていつまでも女々しくしてねえんだよ、そんなんしてたら、あいつが浮かばれねえ」
それを聞いたゲ=ルドは、興味深そうに目をみはった後、「ほう、ほうほうほう」と、肩を揺らして、またもわざとらしい笑いを零す。
「では、本当に浮かばれていない事を、その目に映してみますか?」
男がすっと手をかざす。すると、『転移律』の気配が訪れ、ゲ=ルドの傍らに赤い魔法陣が生じた。そこから現れた者に、エクリュは驚きを隠せず、キラが愕然と瞠目し、システもリビエラも絶句してしまう。
白が混じった口髭をたくわえた、中年を過ぎて尚、筋骨隆々としたオルハの戦士。数時間前に永遠に別れたと思っていた、カッシェだ。だが、その全身はたった今水から上がってきたかのようにずぶ濡れで、ぽたぽたと水滴を滴り落とし、肌の色はさも水死体のごとく青ざめて、白目をむいている。それが、言葉にならない呻き声をあげながら、片刃剣を手に、ゆらゆらと身体を左右に揺らして、一歩一歩を踏み出す。
「『
「いやいや、これが神の力ですよ、お嬢さん」
システに向けて、ゲ=ルドは大仰に両手を掲げて宣ってみせる。
「魔剣『オディウム』と同時に手に入れた、この『狂信律』によって、私はシュレンダインの神に等しい力を得ました」
まるで演者のように大きく首を横に振って、男は炎の勢いすらかき消す大音声で続ける。
「いや、私こそが神! 最早デウス・エクス・マキナなど、恐るるに足りません!」
「神の魔律晶で得た力で、神を超えたと豪語する事は、傲慢に過ぎると断定する」
珍しくロジカが眉をひそめ、不快感を露わにして、ゲ=ルドを睨むが、神を称する男には、針ほどの痛みにもならなかったようだ。
「何とでも言いなさい、蝉のように短くしか生きられない、哀れな偽神の子が」
揶揄するように歪んだ笑みを浮かべて手を振り、ロジカの言い分を一蹴すると、「さあ!」と傍らのカッシェに呼びかける。
「行きなさい、オルハの右腕! 貴方が守ろうとした長を、その手で斬り捨てておしまいなさい!」
その言葉に、『留魂律』で強制的に現世に留まらされた戦士は、一瞬、苦悶の呻きを洩らした。が、その声もすぐに濁った唸り声に変わると、それまでゆったりとした動きだったのが嘘のように地を蹴り、剣を振りかざし、キラ目がけて飛びかかる。
「カッシェ! やめろよ! 俺がわかんねえのかよ!?」
大上段からの攻撃を大剣で受け止め、キラがいつに無く必死な声で呼びかけるが、相手の心に届いた様子は見えない。いやそもそも、言葉が届く心が、その身に宿っているかも怪しい。攻撃は、第二打、三打と、遠慮無く打ち込まれ、キラはそれを受け流すしか出来ない。システが魔法で援護しようとするが、下手に攻撃魔法を撃てばキラを巻き込む事を察してか、好機を見出せずにいる。
「あっはははははは!!」
腹心に翻弄されるオルハの長を、ゲ=ルドは心底楽しくて仕方無い、といった態で笑い飛ばし、「まあ、あちらは勝手にしておけば良いでしょう」と、エクリュの方を向き、差し招くように右手を伸ばした。
「私の目的は、魔剣の継承者、貴女ですよ。勇者と魔王の子の力を手に入れれば、私の神としての座は、揺るぎ無いものとなるのですから」
相手は、人ではなく、欲しい物品を値踏みするような視線で、こちらを頭のてっぺんから爪先まで舐めるように見つめてくる。ベルカにいた頃、周囲が自分を見ていた目と同じ気色悪さを感じて、身を引きかけたが、ここで怖じ気づいたら相手の思うつぼだと直感的に察し、エクリュはより一層強い眼力で睨めつける。
「ほう、気の強いお嬢さんだ。魔王の娘は、そうでなくては張り合いがありません」
ゲ=ルドが顎に手を当てくつくつと笑い、それからゆるりと腰の片刃剣を抜き放った。
「いいでしょう、一部族の長として筋を通します。正々堂々一騎討ちとまいりましょう」
にたり、と唇をめくり上げて、ダヌ族の長は言い放つ。
「誰も手出しは無用。破ればこの広場だけでなく、オルハの集落全土が炎に包まれます。良いですね?」
それは確認だったが、実質脅しであった。世話になったオルハの人々を、これ以上巻き込む訳にはいかない。エクリュは不安そうに喉の奥で唸るメイヴィスの首をそっとひと撫ですると、彼から離れ、『オディウム』をしっかりと握り直して、地面を両足で踏み締めた。
ハ! と、先に気合いを吐いて踏み込んできたのは、ゲ=ルドだった。上段から振り下ろされる一撃を剣の腹で受け流し、横薙ぎに振り払う。戦闘向きではなさそうな体格のくせに『狂信律』が力を与えているのか、エクリュの攻撃は素早く身を引く事でかわされ、ローブを浅く切り裂くにとどまった。
反撃の余地は与えない。空振った勢いのまま回転し、それを剣の威力に乗せて左上段から斬りかかる。ゲ=ルドはにやりと笑って片刃剣を振り上げると、甲高い音を立てて『オディウム』を跳ね返し、一歩、二歩と踏み込んで剣を突き出してくる。エクリュは即座に後方に跳躍して一段目を避け、側方宙返りで二段目をかわした。
ゲ=ルドがちっと舌打ちする音が聴こえる。『狂信律』で身体能力を強化されているらしいとはいえ、血によって生来身軽なエクリュの方が一線を画している。このまま攻め立てれば勝てない相手ではない。魔剣を握る手に力を込めた時。
ぶおん、と。
耳障りな虫の羽音のようなものが耳に届いたと同時、エクリュの身体が突然言う事を聞かなくなった。『束縛律』だ、と気づいた直後、破裂音と共に、『雷撃律』の衝撃が体内を駆け巡った。力が入らず、『オディウム』を取り落として、エクリュはその場に崩れ落ちるように倒れ込む。
「卑怯者!」リビエラが怒声をあげる。「何が『正々堂々一騎討ち』だってんですの!?」
「おや、おやおや」
彼女の非難にも、ゲ=ルドは動じなかった。小馬鹿にするように笑ったかと思うと、高々と剣を振りかざす。
「一騎討ちを行ったでしょう? 『魔法を使ってはいけない』とは、私は一言も言っておりませんよ」
「理屈の整合性を認める」「そんな屁理屈認めやがらなくていいんですのよ!」
ロジカがぽつりと呟いて、リビエラに後頭部を叩かれる。虎の姿のままのメイヴィスが低く唸って、棘が刺さった足を引きずりながらも動こうとするが、「おっと!」とゲ=ルドは愉快そうに制した。
「私に攻撃をしようなどと考えない方が良いですよ? 魔剣の使い手は、最悪血を搾り採れれば良いのですから」
そうして、骨張った手が、痺れで動けないエクリュの頬を、腕を、足を、するりと撫でる。触れられた場所が気持ち悪くて、吐き気がこみ上げる。
「そうですね、一人が私に攻撃を加えようとする度に、一本ずつ手足を切り落としてまいりましょうか。ああ、それではすぐに切るものが無くなってしまいますね。指の方がいいですか」
「この、クズ……」
「今度はリビエラに同意する」
あまりにも非人道的な言い分に、リビエラが忌々しげに歯噛みし、ロジカもうなずきながらも、二人共『混合律』を握った手を下ろすしか無い。メイヴィスも低く唸っているが、距離を詰める事はかなわない。それらを見て、ゲ=ルドは実に満足げに何度も首を縦に振り、謡うように天を仰いだ。
「さあ、行きなさい、私の可愛い下僕達! 今こそ宿敵オルハを徹底的に壊滅させる時!」
それに応えるように、炎は一層激しさを増し、ダヌ族は勢いづく。オルハ族の戦士達が圧され始め、キラはカッシェの攻撃をかわして呼びかけ続け、エクリュの仲間達は手出しが出来ない。
ここまでなのか。エクリュの心に、諦めの雲が漂い始める。
海を越えてまで、魔剣を取り戻したのに、こんな、狂った相手一人の前に、再びデウス・エクス・マキナと向き合う事すら出来ずに、終わってしまうのか。きつく目を閉じて、歯ぎしりした時。
ぽつ、と。
エクリュの頬に、水滴の当たる気配がした。気のせいかと思って目を開けば、今度は丁度その目に水滴が落ち、吃驚(びっくり)して何度も瞬きしてしまう。その間に、水滴が落ちる頻度は増し、遂には雨となって降り出した。
広場に満ちていた炎が消えてゆく。自然の降雨とは思えないタイミングの良さに、「んん?」とゲ=ルドが首を傾げる。
すると、再び『転移律』の気配が場に生じた。今度は禍々しい赤ではなく、静謐さを帯びた、白の魔法陣が、二つ。魔法陣を越えて、術の主が姿を現す。それを見たエクリュ達は、我が目を疑って瞠目してしまった。ロジカとシステだけは無表情を保っていたが。
一人は、波打つ水色の髪に、琥珀色の瞳の魔族。ユージンだ。戦装束のつもりか、いつもの格好の上に白衣をまとっている。
そして、いま一人は、ここにいるはずが無いと思い込んでいた人物。
銀の髪が雨の中でも静かに揺れる。
青い瞳が、静かな怒りをたたえて、ゲ=ルドを見すえている。
その左手には『静音律』と『加速律』の埋め込まれた銃を持ち。
無かったはずの右手には、凜と淡い青に輝く聖剣『フォルティス』を、確かに握っている。
リビエラが、エクリュ達の驚きを代表して、彼の名を叫ぶ。
「――ミサク様!?」
その人物は、『呪詛律』の影響で死したはずの、ミサクその人に相違無かった。
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