第8章:魔剣を継ぐ者(3)
ぴちゃん、ぴちゃん、と。自然岩の天井から、水が滴り落ちてくる音がする。
そこに混じって、ぺたり、ぺたりと、足音を立てながら一人のダヌ族が歩いてくる。彼は周囲をぐるっと見回し、後からやってきた仲間と何事か言葉を交わすと、二人揃って来た道を戻っていった。
しばらくは、水の滴る音だけがそこにあったのだが。
「……あー……」
心底気が抜けた、とばかりの、ダヌ族には聞こえない男声がその場にあがった。
「本当に隠せるんだなあ」
地面にへたり込んだキラが、しみじみと噛み締めるようにぼやく。システの『遮蔽律』とエクリュの弱めの『阻害律』で、ダヌ族から姿と声と気配を隠した一行は、岩場の陰に身を潜め、敵をやり過ごす手段を選んだ。今、彼らはエクリュ達を肉眼で捉える事も、音や魔力の反応で感づく事も出来ないはずである。
「魔法ってすげえなあ。俺様はからきしだから、羨ましいわ」
「とはいえ、属性によっても適性がありますから。わたくしは攻撃魔法が使えませんし」
キラの賛美を、リビエラはしれっと受け流し、隣で身を屈めて微動だにしない少年の薄緑髪の頭を、不安そうに見やった。大きな魔法を使ったロジカは疲弊し、『回復律』を施しても、まだ動けるまでには至っていない。彼は出来るだけ、体力消耗が早い事実を隠しておきたかったようだが、最早隠し立ても出来ないところまで来てしまったのだ。
「まったく。あの魔法で動けなくなるくらいなら、さっさと言いやがれってんですのよ」
リビエラが目を閉じてわざと大きく溜息をつくと、ロジカはのろのろと顔を上げ、まだ弱々しい声を洩らした。
「言えば姉上達に気を遣わせる。足手まといにはなりたくなかった」
「言わなかった結果、逆に足引っ張ってるじゃあありません事?」
リビエラの反撃に逆らえず、ロジカは黙り込んでうつむいてしまう。流石に落ち込んだのかと思ったが、そうではないようで、まだ少し気怠そうに、彼は言った。
「ロジカを置いていく事を提案する」
たちまちエクリュ達は一様に目をみはり、「はあ!?」とリビエラが頓狂な声をあげる。
「リビエラの言う通り、ロジカは今、足手まといになっている。戦力低下の度合いを鑑みれば、姉上達はロジカを置いて先に進む方が合理的と判断する」
「それはしない」
理解しがたい、という色を紫の瞳に込めて、ロジカがこちらを向く。自分の考えが間違ってはいないと信じながら、エクリュは言を継いだ。
「お前はあたし達の仲間だ。仲間を見捨てる事は、しない」
「エクリュの言う通りだよ」メイヴィスが薄く微笑み。
「だあな」キラが続いてにやりと歯を見せる。
「口論を交わしてこれ以上疲弊するよりは、『遮蔽律』で身を隠している間に、少しでも体力を回復すべきと判じます」システも無表情ながら提案し。
「ほら、観念なさいな」リビエラがロジカの頭を平手で軽く叩いた。
「皆、貴方を待つって言ってるんですのよ。さっさと動けるようになりやがれってんですの」
ロジカはぱちくりと目を瞬き、それから、
「ありがとう」
と皆に向けて頭を下げると、また背を丸めて、動かなくなった。仮眠に入ったようだ。リビエラがひどく驚いた様子をしている事に気づいたエクリュが首を捻ると、少女はぎこちなくこちらを向き、
「今、いつもの『感謝する』じゃあなくて、『ありがとう』って言いましたわよね」
と、珍獣でも見たような表情で、傍らの少年を指差したので、そういえば、と思い至る。「ありがとう」は、エクリュもリビエラに教えてもらった、友達への感謝の言葉だ。だが、ロジカがそれを使った事が、そんなにも異常事態なのだろうか。きょとんとしていると。
「ロジカも、エクリュに影響されてきたって事じゃないかな」
メイヴィスがくすりと笑み零れて、こちらを向いた。その笑顔を見ると、また心臓が勝手にどきどきと騒ぎ出す。真正面から相手を見ていられなくて、うつむいてしまう。
「エクリュ?」少年が心配そうに声をかけてくる。「どうしたの。君も具合が悪い?」
「な、何でもない!」
実際は何でもなくないのだが、精一杯の声を張り上げて誤魔化す。
「おなかが空いただけだ」
渾身の言い訳をすれば、「ああー……」とメイヴィスが苦笑する気配が伝わった。
「そういえば、昼飯の時間くらいだよな。大したもんじゃねえが、腹が減っては戦は出来ぬ、ってな」
二人のやり取りを笑って見ていたキラが、ごそごそと荷物袋を漁り出した。人数分の干し肉と干し果物を取り出した彼は、皆にそれを配る。ロジカの分だけはリビエラに渡して。
熱い頬に気づかないふりをして、エクリュは干し肉にかじりつく。正直なところ、どんな味がするのか、今は全くわからない。
「エクリュ、そんなにがつがつ食べて大丈夫? また、喉に詰まらせないでよ」
メイヴィスが気遣わしげにこちらの顔を覗き込みながら、水筒を差し出してくる。引ったくるように受け取って、ごくごくと喉を鳴らしながら水を飲めば、「そんなに喉渇いてたの」と少年が目を丸くした。
(誰のせいだと思ってるんだ、誰の!?)
言葉に出来ない反撃を心の中で叫びながら、エクリュは水筒の中身をほとんど空にしてしまった。
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